日南のマチに惚れた
<初めての寂しさが繋いだ縁>

〜 thincな人・GLIDER 志伯さん ✕ 宮崎県日南市 〜

クリエイティブディレクターとして数々のCM・映像作品を生み出し、国内外のコンテストで多数の受賞歴を持つ志伯 健太郎(しはく けんたろう)さん。2011年には独立し、クリエイティブ・ブティック「GLIDER」を立ち上げ。日本を代表するクリエイターがなぜ、南国・宮崎県の人口5万人ほどのマチ、日南市のPRに奔走しているのか。「マチに惚れた」と言い切るほどのその想いに迫りました。

広告の世界へ

元々は建築の勉強をしていました。日本の大学院で学び、イタリアのローマ大学に留学したこともあります。「建築家になりたい」じゃなくて、「建築家になるもんだ」と思っていたんですよ。願望とかのレベルではなく、決心していたんです。ところが、イタリアでは築100年どころか、築1000年、さらにはローマ共和国・帝国時代の築2000年レベルの建物が残っていたりする。そうしたものに日々囲まれている中で、「これは自分にはできないな」と思ったんです。ローマの街を歩いていて、自分が作った建築が1000年、2000年も残るのは気恥ずかしいし、辛いし。まず作れる気がしないと思って。

その時に強烈に思ったんですよね。「あ、建築の世界は違うんだ。自分にはできないんじゃないか」って。大学院の1年生の終わりぐらいで、まさに就職活動を始める時期だったので、どうしようかと思っていました。そんな時に本当にたまたま、広告のクリエイティブという世界に気がついたんです。媒体としては映像があるし、紙があるし、場合によっては建築もある。「なんでも作れそうだぞ」ということで慌てて帰国して、日本の広告代理店の入社試験を受けました。それでたまたま、電通という一番大きい会社に入ることができたんです。

独立を選んだ理由

独立したのは3・11(2011年3月11日の東日本大震災)がきっかけです。東京にいたのですが、実家がある仙台はえらいことになっていて。わけもわからず、2日後ぐらいには車を運転し、東北に向かいました。実家が崩れたり、家族が津波に流されたりすることがなかったのは幸いで、両親にも友達にも会うことができました。ただ、海岸方面はぐちゃぐちゃの状況でした。宮城県仙台第一高等学校に通っていた当時はボート部に所属していて、練習場所は塩釜市の松島などにあったのですが、ボートを置いている艇庫などを見に行くと大変なことになっていました。

その頃に担当していたクライアントはほぼ全て、アメリカのグローバル企業でした。予算枠も大きく、やりがいがあり、自分が頑張れば頑張るほどクライアントは潤う。つまり、グローバル企業の利益を上げるために仕事をしていたんです。それは当然の構造ですが、疑問が沸いてきたんですよね。仙台だけではない、日本は大丈夫なのだろうか――との危機感が全国に漂っていた時に、自分はアメリカの企業に貢献するべく、アメリカの仕事をしている。「これでいいのか。ダメではなかろうか」、その想いが建築を諦めた時のように強烈に舞い降りてきたんですよね。また、その年の年末ぐらいにはもう1人、子供が生まれてくることがわかっていました。上の女の子は4歳ぐらい。2人の子供を養わなければならず、生活への不安はありましたが、一方で子供たちに対し、父親としてのあるべき姿をきちんと見せたいという気持ちもあり、独立することを決めました。

日南市で知った「寂しさ」

日南市での初仕事は独立してから、5年ほど経った頃。当時の市長さんと共通の知人がいて、市のプロモーション動画を制作することになりました。それで、このマチを好きになってしまった、惚れてしまったんですよね。こんな言い方をするとちょっと偉そうですけど、僕は世界中のいろいろな場所を訪れていて、都会も地方も知っている。ところが、日南市には全然違った魅力があったんです。「おおっ!」っていう、なんというんですかね、それがなんなのかよくわからないんですけれども。まあ、惚れてしまったんです。

制作した動画を納品する時、寂しいと思ったんです。こうした仕事は通常2〜3カ月で、長くても1年ぐらいで完結します。今までは「やっと終わった」と思うことがほとんどでしたが、その時は「あ、終わってしまう。もうこの先、日南市に来る用事が、理由がなくなってしまう」と思ったんですよね。また、一緒に仕事をしてくれた市役所の方々のことも好きになっていたので、「市役所の人たちとも会えなくなるのか」とも思いました。仕事が終わることが寂しいという気持ちが初めて、湧いてきたんです。

その感情を正直に伝えると、ありがたいことに喜んでいただきました。それだけでなく、その後に日南市から、「特命大使」というちょっと風変わりな肩書きをいただきまして。お金をもらうことはないのですが、地元の特産の飫肥杉を使った任命状もいただきました。特命大使は地元に資することをする役割。非常に嬉しかったですね。


(Photo:Mikiho Odagiri)

大使に就任 会社も移転

新型コロナウイルスの流行を受けて、日本の社会全体が働き方を見直すようになりました。事務所は東京・南青山にあったのですが、スタッフは多くはなく、特に始業時間などを厳格に定めていたわけではないので、元々がフルフレックスみたいな感じで、全員が好き勝手にやっているような会社でした。そんなこともあって、事務所を日南市に移転したいと話した時も、反対はされませんでした。それで、適当な物件を借りたいと日南市に相談しましたところ、堀川運河という運河沿いに建つ、非常に雰囲気のある2階建ての古民家を使わせてもらえることになったんです。

特命大使を拝命した時は正直、重い責任感などはなかったです。というか、気楽にマチを盛り上げたり、首都圏の人たちにPRしたりすればいい。それぐらいの結構ライトな気持ちでした。事務所を移転した2023年春には、GLIDERは日南市と包括連携協定を結ぶことになり、その時は背筋が伸びましたね。市の人口は5万人ほど。市と協定を結ぶということは、ここに暮らしている市民全員の方々と協定を結ぶということだと意識したので。


(提供:GLIDER)

伝えたいこと

マチの人が誇りに思えるようなものを作りたい。その想いは最初の動画制作から、一貫しています。マチの人たちが自信を持って、胸を張って、「これ、うちのマチなんだよ」という風に見せたくなるような作品を作りたいと常々思っています。変に茶化したりすることはおかしいと思いますし、いわゆる炎上マーケティングじゃないですけれど、話題になればいいみたいなこととも違うと思います。専門用語ではロイヤルティと言いますが、社員が誇りを持つような企業はやはり強い。それと同じです。住んでいる人たちが自分のマチを誇りに思うような、その一助になるようなクリエイティブな作品を生み出すのが自分の役割だと思っています。

これはどこの地域でもそうだと思うんですけど、やはりいればいるほどわかりやすい観光名所は興味も薄れていくし、わざわざそれを取り上げたいなとも思わなくなっていく。むしろ、ふとした生活の中で、いいなって思うことがよくあります。例えば日南市の魅力を伝える冊子「日南移住~太陽と暮らす~」。表紙に使ってる写真は、定宿にしているホテルの脇を流れている川なんです。そこをたまたま歩いた時、ふわっと風が吹いてきて、「あ、なんて気持ちいい風なんだろう」って思ったとか。




(Photo:Mikiho Odagiri)

ある晩には地元のスーパーで、カツオの刺し身を買ってみたり。ビジネスホテルの一室でおじさんがひとり、缶ビール片手にカツオの刺し身をつまんでみたら、ぷって吹き出しちゃうぐらいに美味しかったんです。「なんだこれ!?」みたいな。スーパーのカツオはこんなに美味いんだと、本当にびっくりしたんですよね。平たい言葉ですけれど、そういう豊かさみたいなものを色々な手段で伝えていきたいなと思っています。

ずっと好きでいたい

独立するにしても、本店を日南市に移すにしても、綿密に計画を立てていたわけではないんです。本当に突発的。マネージャーさんによく、嫌がられるんです。あまりにも思いつきで、色々と決めすぎたり、パッと動きすぎたりするみたいで。それは短所でもあって、長所でもあるかな。やっぱり、周りの人が迷惑するとか、振り回されてしまうというのは良くないところだと思うんですけど。一方で、ある意味では感情に、気持ちに忠実に従って生きることができている。それはこの先も変わらないと思います。

日南市に本社を移して、1年ほどが経ちました。移転した理由は金銭的に儲かるからではないし、自分が日南市をなんとかしなければいけないといった正義感に駆られているわけでもなくて。単純に惚れたからです。だから、この先も日南市にいるということは、それは日南市のことが好きだということが継続していくということ。願わくばそういう状態が少しでも長く、ずっと続けられたらいいなという風に思っています。人生とか仕事とかにおいて、基本はそういうスタンスでやっています。

ー おわりに ー

仙台市出身の志伯さん。独立のきっかけは古里を襲った2011年3月11日の東日本大震災でした。「このままでいいのだろうか」。その強い想いがグローバル企業のための仕事に疑問を抱かせ、日本のためになる仕事へと駆り立てたそうです。だからこそ、日南市との出会いは双方にとって、幸福なものとなったのでしょう。

地方都市の傾向に漏れず、人口5万人ほどの日南市も過疎化の悩みを抱えています。当初は「ライトな気持ち」で特命大使を引き受けたという志伯さんですが、地元の人々との交流を続けるうちに「背筋が伸びた」といいます。いわゆる観光レベルで比べると他の市町村に見劣りするかもしれない。しかし、そこはクリエイターとしての腕の見せどころ。アウェイだからこそ、見えてくるマチの魅力はあります。日南市での仕事を語るとき、志伯さんの笑顔は南国の太陽のようでした。

 

次回、『良いクリエイティブは個人的な「想い」から』はこちら

PROFILE

志伯 健太郎(しはく けんたろう)

クリエイティブディレクター
GLIDER(グライダー)代表

宮城県仙台市出身。慶応義塾大学大学院政策メディア研究科AUDコース修了。
ローマ大学で建築デザインを学び、2000年電通入社後、クリエイティブ局配属。
後2011年、クリエイティブブティックGLIDER を設立。
国内外で培ったクリエイティブ手法とアプローチで、多様な課題に取り組む。
宮崎県日南市特命大使。
2023年春より、宮崎県日南市に本社を置く。国内外での受賞多数。

GLIDER:https://glider.co.jp/

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