「自然の風景の中で人を撮ることが好き」というKIZEN(きぜん)さん。自然と人が調和する「天人合一」という中国の思想を大切にしているそうです。また、中国の文化、故事、神話などにも深い関心を寄せています。その想いを写真でどのように表現されているのでしょうか。作品への想いをお聞きしました。
写真に宿すアジアの文化
出身地の中国・雲南省は自然が豊かな町。タイ族という少数民族の自治区域があり、町中には仏教寺院や菩提樹など、仏教になじみのある木がたくさんあります。そういう土地に生まれ育ったので、中国の民族文化、民族思想にちょっと興味があったんです。例えば、中国の道家思想に「天人合一」という考え方があります。僕ら人間は生まれた時から天(自然)とつながっていますが、年齢を重ねるにつれて、本能的なつながりを忘れがちになるとされます。つまり、人間界での人の行いは自然界と何かしらのつながりを持っていて、例えば雷が落ちたり、雨が降るなどの自然現象は人間の心理状態に影響を与え不安を感じさせることがあるとされています。そういった思想や文化、昔のことわざや神話を、ファッション写真などの自分の作品にも、ちょっと落とし込んだりしています。
天人合一(てんじんごういつ) ※広辞苑第七版より
中国の世界観の一つで、天と人とは道を媒介にして一つながりだと考えるもの。古代には、人の心・性は天と通じあっていると考え(孟子・中庸)、また人には天が投影していると考えられた(薫仲舒)。この天人論が宋代に発展し、宋学の重要な基礎観念となる。
自然の風景の中で人を撮ることが好きでしたが、新型コロナウイルスの流行時は山や海に行くことが難しくなりました。家に閉じこもっていては自然と触れあうことができません。そうした中で、どうすれば人間と自然の関係を表すことができるのかと思い、人間の体を使ったランドスケープを見せる作品を撮りました。屋内のスタジオで人間の体に自分が思いついた風景のメイクを施したんです。天人合一の思想で人間の体を1個の地球と考えると、地球に海や山などの風景があるように人間の体の中にもランドスケープに見えるパーツがあるんじゃないかなと思いました。スタジオにモデルさんを呼んで、仲の良いメイクアップアーティストさんと一緒に「この指がちょっと崖に見えるな」「この背中がちょっと滝に見えるな」などと自由に撮影。実際には28点ぐらいは撮りましたが、公開したのは20点ぐらいですかね。新型コロナという時代の要素もあります。スタジオの中で何か行動ができないかと考えた時に出来た作品です。
自然界では滝とか、山とかには具体的な地名があります。スタジオではある種、そういう自然風景を抽象化したんです。「心象風景」という言葉がありますが、それは自分の心の中で解釈したものです。何となく滝っぽいが、どこの滝かは分からず、何となく海岸に見えるけれど、どこの海岸かは分からない。自分の心の中の世界を、作品を通して覗くことができたことはすごく面白かったです。実は作品はまだ完成していません。人間の体の構造は複雑で、僕らもまだ発見できていない部分もあります。一旦は発表はしましたが、実はまだアイデアが出るたびに撮り続けていて、もうちょっと、50点ぐらいに増やしたいなと思っています。現在進行中なのでまだ詳細を明らかにはできませんが、これからちょっとご期待いただけると嬉しいです。
「高山流水」をテーマにした作品があります。どんなストーリーかというと、伯牙(はくが)は非常に才能のある琴の演奏者でしたが、彼の演奏を理解できる人はほとんどいませんでした。伯牙が琴を弾いてた時、たまたま出会った鍾子期(しょうき)が琴の音を聴いて、伯牙が思い浮かべて演奏した風景を全て理解したことで2人は意気投合。しかし、ある日に鍾子期が亡くなってしまいます。自分を一番理解してくれる友達がいなくなったから、この琴があっても意味がないとして、伯牙は自分の琴を壊してしまいました。中国では誰でも知っているその故事を、ファッションストーリーに落とし込めたビジュアル作品を作りました。
学生の時から、寺山修司さんや山口小夜子さんが好きで、日本の純文学、カルチャーが好き。たまたま古本屋で山口さんと山海塾が共演した写真集『月・LUNA』という写真集を見つけて、その時に舞踏にすごく興味を持つようになりました。実際に山海塾の公演を1度見に行き、西洋的なダンスとは違うことがすごく面白かったんです。西洋的なダンスは体を伸ばすフォームが美しいと思いますが、舞踏の場合は体を曲げ伏せて、意識をせずに肉体のビートを感じさせるんです。そういう舞踏のイメージを海外にも届けたいと思い、ニューヨークのファッション雑誌に掲載された作品は、暗黒舞踏をモチーフにした「現代的な山口小夜子」というコンセプトで作りました。
暗黒舞踏 ※広辞苑第七版より
日本の舞踏の一分野。民族的モチーフを取り入れ裸体を白塗りしてゆったりと舞う。1959年土方巽(ひじかたたつみ)の「禁色」が嚆矢(こうし)。ヨーロッパの舞踏に多大な影響を及ぼした。
例えば僕らが赤色とか、赤と黄を混ぜた色とかはちょっと中国を連想させるのではないでしょうか。そういう色の使い方を見て、「これはアジアだな」と感じる瞬間は誰にでもあると思います。言葉では説明できなくとも、ビジュアルでは空気感を、懐かしさを、生まれてきたルーツを感じることがあります。僕の作品は言葉にしなくても、ビジュアルでちゃんと表現しています。
この作品はイギリスの雑誌のために撮影しました。カリグラファー(書道家)が参加することはすでに決まっていました。だから、書道を要素としたファッションストーリーを作りたいなと思ったんです。ちょっとした墨の動きなどを表現するため、実際にアクリルボードに書いていただき、作品も一緒に写しました。特に題名はなく、11枚で1つのファッションストーリーになります。プロのモデルさんを起用すればポージングは容易ですが、書道という本質がなくなり一種の嘘とも言える。僕らのファッションの撮影は割とファンタジーの中でやっていますが、あえて書道家を入れることで、リアリスティックを残したいなと思っています。
アイヌ民族を渋谷で撮り下ろす
特別写真展『AINU PURI』
アイヌの特別写真展を引き受けたきっかけは、知り合いのアートディレクターさんからのお声がけでした。出身地の中国・雲南省には国内の少数民族の半分ぐらいが住んでいる地域があり、子どもの頃から民族文化に興味を持っていました。アイヌの存在は知っていますが、詳しいことは正直、今回の撮影を引き受ける前にはあまり知らなかったんです。ただし、特別写真展の相談が来て、自分なりにアイヌ文化を調べました。アイヌ文化も自然界の万物に魂が宿る、自然と共生していくという考えがあることが心に響きました。それで、撮影を引き受けることにしたんです。
特別写真展『AINU PURI』
2020年に北海道の白老町にウポポイ(民族共生象徴空間)が開業しました。アイヌ文化の復興と創造の拠点として、多くの人々にアイヌ民族の歴史や文化を理解してもらうことで、豊かな社会を築く象徴となる施設です。
日本の貴重な文化の1つであるものの、まだ北海道以外の地域だとあまり知られていないアイヌ文化を、渋谷という多様な人が行きかう街で触れてもらうため、ウポポイ渋谷公演が開催されることになりました。特別写真展は、渋谷公演を告知するプロモーションとして、体験×告知を連動させた企画です。
アイヌの方に北海道から来ていただき、渋谷で1日中撮影しました。渋谷を選んだ理由はまずは公演の場所であること。さらに僕的には新陳代謝を続ける渋谷という街が民族文化とすごくリンクしていると思ったんです。例えば渋谷駅のハチ公前などは昔とそれほど変わってはいないかなとは思いますが、南口では新しい商業施設やビルが建てられ、馴染みのある風景の中でもどんどんと新しいものが出てきています。大事に守らなければならない民族文化や伝統文化、先祖が決めたルールなどはたくさんあるけれど、現代社会に合わせて革新していかないとなくなってしまうこともあります。そうした革新性を渋谷の発展に感じ、渋谷を舞台に新しいものを吸収して、アウトプットしたいと思ったんです。
ロケ地の1つは渋谷の中心にあるMIYASHITA PARK(宮下パーク)。色々なところを探しましたが、ここはコンクリートに緑化が施されており、有機物と無機物がリンクしています。都市建築の中でも自然を感じることができる場所で、そこでアイヌの方にムックリという楽器を演奏してもらいました。
この2枚の写真はたまたま渋谷公園通りを通った時のもの。ちょうど日差しが当たっていて、建築物なのに柔らかさ、温かさを感じたので、そこで撮影をしました。
もう1枚の写真。今までのアイヌへのアプローチは「自然と人の繋がり」でしたが、今回は渋谷が舞台です。だから、「都市と人の繋がり」をビジュアルで表わしたいなと考えていたんです。ここに写っているパイプを見た時、自然界の木を連想しました。それで、これを木と思って触ってみてくださいとお願いをして、その瞬間を捉えました。
これまでのアイヌのビジュアルといえば民族衣装を着てもらい、舞台は自然であったり、ウポポイなどのアイヌの施設であったりすることが多く、そこに違和感はなかったと思います。今回はそうした大自然ではなく、大都市でアイヌの方を撮影でき、それを世の中に発信したことにすごくやり甲斐を感じました。 そして、初めてアイヌの方と実際にコミュニケーションを取ることができ、撮影のやり取りでは柔軟に対応していただきました。ムックリなどのアイヌの楽器を演奏したり、アイヌのダンス、挨拶の仕草などを取り入れた撮影ではオーラを感じたんです。日本人でありながら、アイヌの信念を持ちつつ、それでいて物腰は柔らかい方たちでした。
そうした異なる土地の人との触れ合い。まさにそれも、カメラマンの醍醐味の1つだと思います。今回の撮影を通し、日本の違う一面に出会えたと思います。中国は中国であり、日本は日本であり、韓国は韓国であり、それぞれは違う国で、カルチャーも違います。一方で、何か共通のものは存在するはずです。そうした共通認識を今後もフューチャーして、撮れたらいいなと思っています。
ー おわりに ー
KIZENさんの生まれ故郷の中国・雲南省は25もの少数民族が暮らしているそうです。昆明市(こんめい市)は約1400年の歴史を有している省都。四季を通じて春のように穏やかな気候から、「春城(しゅんじょう)」の異名で知られているといいます。そんな土地柄がKIZENさんの人柄にも、影響を与えているのでしょう。
人はしばしば、あらゆる自然に超越的な存在を見出します。KIZENさんが祖父母の家を訪ねると至る所に菩提樹の木が生えていたとのこと。「その木には人々の魂が宿っている、という話を子供の頃から聞いていました」。KIZENさんだからこそ、アイヌ文化との出会いはより幸せなものとなったに違いありません。
PROFILE
KIZEN/趙僖然(チョウキゼン)
フォトグラファー
中国・雲南省昆明市出身。2014年に来日し、日本語学校に入校。2016~2020年に日本大学芸術学部で、写真を本格的に学ぶ。制作会社を経て2023年に独立。
自然と人間の相互の因果関係をクリエティブの軸に作品制作をし、2022年に初の個展『UNNATURE』を開催。メッセージ性のある写真表現を強みとして、VOGUE JAPANをはじめ日本のモード誌や海外のエディトリアル、広告を中心に活躍中。
公式サイト「KIZEN PHOTOGRAPHY」:https://kizenphotography.com/