始めるから創まるクリエイティブ。
雲海写真で地域の魅力を再発信。

〜 thincな人・秩父市役所 田中さん ✕ 埼玉県秩父市 〜

秩父の雲海の素晴らしさに地元でも殆どの方が気づいていなかった頃にその魅力に着目し、秩父市に新たな価値を生み出した田中 健太(たなか けんた)さん。

大学生時代に秩父雲海と出会い、秩父雲海写真家として注目された田中さんは現在、秩父市の総合政策課に身を置き、今でも秩父の雲海を追い続けると共にその活躍の場を行政にまで拡げています。

今回の取材記事では、地域を盛り上げたいという思いを「クリエイターの視点(秩父の雲海写真家)」「行政に身を置く民間人材からの視点(地域活性化起業人)」の両側面からの実現に取り組まれている田中さんならではの、クリエイターと地域・行政の在り方の理想のカタチに迫ります。


秩父への愛が雲海へ導いてくれた誕生秘話。
普通の大学生から雲海写真家に!

SNSが普及し、誰もが情報発信をするようになった時代。当時大学生だった田中さんは、地元の情報を調べている中で秩父の濃霧が引き起こす自然現象の噂を見つけます。これが後に秩父雲海が大きな話題となるきっかけに。はじめに、その経緯と秩父市でのこれからの活動について伺いました。

Q.秩父雲海との出会いについて教えてください。

私は秩父の生まれ育ちで、高校生までずっと地元でした。世代でいうと高校生の頃にSNSが世の中に広がり始めて、普通の学生だった私も日常的に親しんでいましたね。そして大学生になった2014年頃にTwitterを皆んなが使うようになり、情報を拾うようになっていきました。秩父の人って地元愛が強いんですよ。私も同様にお祭りなどが好きで、地元について調べるのも楽しかったのです。

秩父は昔から朝霧が出るところで、霧が濃い時には運転が危なかったりもします。今で言う雲海の状態についても、地元の人は霧としての認識はあったのですが、雲海という認識についてはほぼ無い状態だったんです。朝方にそれが雲海として見られる、というところまでたどり着いていなかった。もちろん写真を撮っているような一部の方は昔からご存じだったかもしれないですが、秩父の雲海が魅力的なものだということに我々は誰も気づけていなかったのです。

ある朝、市街地に霧がたちこめていた日に、展望台のあるミューズパークまでドライブに行ったんです。天気は悪いだろうなと思っていたのですが上の方は霧が晴れていて。そして市街地を見下ろすと、目の前に霧の海が広がっていました。「これが雲海か!すごい!」と驚いたのを今でも覚えています。地元にこういう光景があるということを、初めて自分の目で見て体験することができました。

なぜこんなに近くに絶景があるのに知られていないのだろうと思いSNSでの発信を始めました。


秩父雲海とハープ橋(撮影:田中健太さん)




(撮影:田中健太さん)


Q.SNS反響はどうでしたか。どのように拡散されていったのでしょうか。

ちょうど同じ頃に西武鉄道さんの企画部門の方が、秩父で雲海が見られるという情報を探されていたんです。その一環で発信を見つけていただき、その頃まだ全くの無名だった私に、雲海を追い求め撮影している人として一緒に企画や雲海の調査をやりませんかとお声がけをいただきました。

他方で秩父ミューズパークさんからもお話がありました。使用していない施設の利活用に、雲海を新たなコンテンツとして注目してもらおう、そのために写真展をやりませんかという内容で、雲海を撮り始めて半年から1年ぐらいの時でした。こうしてミューズパークさんの協力もあり、雲海写真展を開催。それが新聞社さんの目に止まって記事になり、「秩父で雲海が見れるんだ!しかもそれを追いかけて撮っている大学生がいる」・・と一気に話題になりました。

こうして秩父の宿泊施設さんや様々な方々から、ぜひ会ってみたい・話してみたいという沢山の反響やご連絡をいただくようになり、多くのプロジェクトにも参加させていただきました。何の肩書きも持たない、地元が秩父であるというだけの無名の一大学生が注目された、最初の瞬間がこの時でした。

もちろんこうした展開には地元の様々な大人の方たちからの応援、例えばメディアに精通している方や、面白いことをやっている子がいるよと各界の関係者に繋いでくれた方の存在があった、という背景もありました。メディアに取り上げていただいたり、まとめサイトでの拡散に協力してくださったり。多くの方が背中を押してくれて、私は後ろから押されながら前に出ていくみたいな感じで。今になって思えば、「大学生が面白いことをやっている」という文脈にきちんと乗れるよう、そういう顔として動いていたのかもしれません。

あと、面白いことが出てきた時に周りが行け行け!と言ってくれて自分も自由に動けた、というのがあって。 更には私が当時まだ大学生だったこともあり、企業の利害関係とは関係のない立ち位置=ピュアな状態だったことも功を奏したのだ思います。こうして秩父雲海の話題はだんだんと広まっていきました。




Q.個展なども開催されたとお聞きしました。これまでの活動をお伺いさせてください。

当初は雲海が発生しそうな日に撮影スポットに足を運び、撮影してはSNSに投稿していました。最近では“雲海に詳しい人”として情報の提供やインタビュー、メディア出演などもしています。
しかし、過去も含めてフォトグラファーとして活動していたわけではないので、秩父の雲海を広める手段として写真を撮っていたというのが実際のところです。

数年にわたるこうした活動や先ほどの西武鉄道さんのツアーなどもあり、秩父の雲海は徐々に世間に浸透していきました。そして大学3年か4年ぐらいの時、秩父市が「クラウドファンディング型のふるさと納税」を企画することになったのです。その第一弾が、ミューズパークの展望台のモニュメントに雲海カメラをつけようというもので、私もプロジェクト達成に助力すべく広告塔のように記事に出演したりしました。結果クラウドファンディングは見事成功し、雲海カメラが設置されました。

余談ですが、雲海写真の個展を開催するにあたって、はじめてちゃんとしたカメラを買いました。とはいえ大学生でお金がなかったのでコンパクトデジカメだったんですが(笑)。それまではガラケーやスマホで撮影した写真だったので、それで話題になったとはいえ流石にもっと綺麗な写真も撮らなくてはと。このカメラは今でも使い続けています。

カメラや技術についてももっとこだわれば?という話もあるんですけど、今ではそのポジションは多くのフォトグラファーさんが秩父に来て撮ってくださっているのでお任せしています。 あくまで情報を伝えていくのがライフワーク的なところで、私自身としては発信の方に重点を置いています。

大学生がその独自のアンテナによって、今まで誰も気づいていなかった地元の新しい魅力を発見し、その延長で写真展が開かれたことへの反響は結構ありました。それまではSNS中心に話題になっていたものが実際に多くのメディアにまで広がっていき、いろんな方とお会いする機会が増えたのも、楽しかった貴重な経験の一つです。




秩父雲海写真家から地域活性化起業人へ。
好き、が広げる地域との関係性。

秩父雲海の魅力を発見し、SNSを中心に話題を提供した田中さん。地域からも注目され、いまでは地域活性化起業人として雲海のみならず秩父の魅力を伝えるために尽力されています。そんな田中さんに、地域とのあり方について伺いました。

Q.地域と繋がりを作っていく活動で、特に意識されていたことは?

学生の時からですが、物怖じせずにあえて“一番の若者”である立場を有効的に使ったり、ご相談いただいたことを拒まない、などは常に意識していました。興味があることや交流に対して積極的に参加していったことで、意外な協力関係が生まれたりして。地域で活動するうえでの大切なスタンスの一つってこういうことなのかな、と感じました。

これは地域の課題に限らず、自分が何かしらの肩書きを持って活動していくうえで、一見関係ないような繋がりにも躊躇せず踏み込んでみることの意義について多くの良い経験を得ています。そこから意外な展開が生まれ、また次のご相談が入ってきて連携して、更には自分自身のビジネス領域まで広がったり。
こういう世界においてはクリエイターさん方も含めて、(技術面やセンスはもちろんですが)誰かに会って可能性を広げていくことも大事だなと思っていて。自分でも無意識ながら学生の時から結構一途にやってきました。そこで上手にコミュニケーションを取れていたかは分からないですが(笑)。

Q.個人での活動、地域活性化起業人、会社員とした三役でのご苦労をお聞かせください。

これまでずっと地域に関わってきたので、今後も地域に携わる仕事をしたいという想いは持っていました。就職活動の軸もそこに置いており、大手の旅行会社を選びました。大学までは地元・秩父にすんでいましたが、埼玉県の大宮で初めて一人暮らしをして、イチから社会人として働いて。2年ほど経って業務にも少し慣れてきた頃から、地域に関する仕事も担当しはじめました。

現在は社会人5年目となるのですが、それまで特に顕著な目立つことはあまりしていませんでした。そんな折、会社からの人事異動の辞令で、昨年4月1日から秩父市役所で働くことになったんです。

現在は個人での活動、会社員、地域活性化起業人と三つの立場にいますが、自身の人生観として大学生の頃から地域と関わることができ、今は秩父市で行政側のプレイヤーとしてのポジションを任せていただいているのは大変光栄なので、秩父のためになることを全力でやりたいですね。きっかけは雲海でしたが、引き続き秩父の観光をはじめ、様々な施策のために尽力しています。


※注:写真撮影時のみマスクを外しております。



Q.多くの方から頼られる田中さん。その極意とは?

雲海の話に戻るのですが、世の中的に「雲海写真を撮る人」として注目されがちなんですけど、それ以前の大きなところで、雲海そのものにどっぷりハマったオタクになれたんです。まずは雲海のメカニズムを独自に徹底的に調べて、追っかけては調べ直して、雲海ってこんなところが面白いとかこんな日に発生するんだとかこんな傾向があるんだとか。当時は発生率も調べていました。写真を撮るだけではなく雲海そのものに惹かれていったという。いま思えば昔からそういうタイプで、ピンときたらどんどんのめり込んでいく、みたいな。

それまでは瞬間的にでも一気に突っ走って、ある一定のところまで行くと飽きる・・みたいなことをずっと繰り返してた性格ではあって、雲海もはじめは同じようにばーっと走って、とにかく無我夢中で進めて。そうしたらその熱量的なものに周りがついてきてくれて、少しずつ輪が広がっていくような感じでした。短期集中でガーッと進めるっていうのは、ある意味その頃に話題になっていたゼロイチを作るプロセスであり、その先の結果だったのかなと捉えています。

背中を押してくれた大人の方々の存在も大きかったです。私もまだ大学生だったので自分一人では何もできないというか、世の中のことも知らなければ関係構築の仕方や落とし所の見つけ方も分からない。経験もノウハウもないわけじゃないですか。そうした中でもどんどん人と会って話を詰めていく必要があったので、本当に多くの協力者の方に支えられていましたね。

また私が何かを話す際、いわゆるオタク気質ではありながらも、多少のコミュニケーションができたのか、はたまた熱量なのか、それなりのプレゼンテーションはできていたようで。それがうまく周囲を巻き込んでいったのかもしれません。

これら全ての活動を「宿題」のようにやってたら絶対続かなかっただろうなと思っていて。自分が好きだからこそ実行も継続もできたし、休みの日に誰かに会いに行ってプレゼンすることになっても全く嫌じゃない。正直を言えば家で寝ていたかったり、遊びたい気持ちも多少はあったかもしれません(笑)。それでもお話をいただいたら決して断らずに「やります!」って言えたのは、やっぱり地元が好きで、切り口が雲海で、それを自分自身が何よりも好きだった、というところなんだと思います。

Q.これからの秩父とクリエイティブの関係に期待することは?

秩父はまだまだ未完成だと感じています。いわゆる箱根や日光のように出来上がっていない、そこに可能性があるというような見方もあって。秩父地域がもつ雰囲気や、祭り・信仰の地だからこその地元の良さがあります。例えば電車で山を越えて入ってくると、周囲を山に囲まれた地形ゆえ非日常の気分を味わえる。さながらテーマパーク状態というか。その感覚って、観光で訪れるうえですごく重要なことだと思うんです。

その一方で発展途上・現在進行形な感覚もあって、そこに加えてちょっとニッチな面もあったりする。それが秩父らしさだと思っています。みんなで作っていく都市というか観光地というか、観光客の皆さんも交えつつ、我々地元の人間や外部のノウハウを持ってる方も含めて、「じゃあこの秩父を今後どうしていこうか」って。誰もがプレイヤーになれる地域っていうのが秩父だなと。

近年ではお酒(地元発のウイスキー)が話題になったり、秩父市を舞台にした約11年前のアニメ『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』がきっかけで聖地巡礼をする若者が増えたりと、多くのコンテンツが比較的最近の出来事なんですよね。地元の人や観光客の方も含めた誰もが、それこそ私の雲海のときのように新しい何かをやってもいいポテンシャルや、チャレンジできる環境の雰囲気に恵まれた地域なんです。

地域を盛り上げていこうとなった時に、プレイヤーの想いって本当に大事だなとあらためて感じています。まず本人の主体性とやる気が強く、色んなハードルを乗り越えていけるかどうか。そして、その想いによって関係者をどれだけ巻き込んでいけるかどうかも鍵になってくる。

仮に面白いアイデアなどの“絵’”を描くのに秀でている人がいたとして、それを実行するためには当然ご挨拶周りであったり、相談やお話を通しておくべき順序などへの配慮であったり、地元に根強い方の後押しの存在といったものがどうしても必要になってきます。地域×クリエイティブを考える際には、こうしたある種のノウハウも必要になってくるんです。

特に地方となるとどうしても、プロモーションが弱かったりクリエイターさんが少ないといった課題を抱えていることが多いと思うんです。だからこそ仲間は多い方がいい。これは個人の経験も含めてなんですが、何でも相談に乗ってくれる方、こんな案件あるんだけど一緒にやらない?と持ちかけてくれる方などと人間関係が構築できていて。得意分野や専門分野をこえて自由に意見を出してくださったり、相談にのってくださるような方が周りにいる環境。こうしたコミュニケーションから価値が生まれてくるので、そこに助力したり、私自身も引き続き活動していきたいと考えています。

是非、一緒に取り組めることがありましたら秩父市地域活性化起業人の田中までご相談ください。


※注:写真撮影時のみマスクを外しております。



ますます重要となる、地域とクリエイターの強い関係性

地元秩父の人たちが日常的に認識していながらも、その魅力に気づいていなかった「雲海」の可能性に着目し、そこにご自身の情熱を乗せたことで一気にムーブメントの立役者となった田中さん。写真のクオリティはプロの方に任せようといったスタンスも含め、まさにデザイン思考的なマインドセットをお持ちの方であると感じました。「熱量ファースト」「自分(たち)にとっての“当たり前”は、誰かにとっての“未知の価値”である」「自分一人のスキルでは実現できないアイデアを躊躇してしまうのではなく、まず勇気をもって発言することで協力者や専門家が現れる」これらのエピソードは田中さんのご経験のみならず、多くのクリエイターの皆さんの参考になるはずです。

また、個人での活動・会社員・地域活性化起業人という三つの異なる立場にいることで、それぞれの方の想いや悩みにも共感することができる。地域とクリエイターの関係性を考えていくうえで、今後はこうした取り組み/役割/人物が、ますます重要になってくるのではないでしょうか。


PROFILE

田中 健太(たなか けんた)

埼玉県出身。秩父雲海ハンターとして学生時より活動。秩父雲海ブームの火付け役・発信の第一人者。現在は秩父市にて地域活性化起業人として地域の魅力づくりに尽力する。

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