マチと人のつながりを紡ぐコミュニケーションデザイン
〜thincなひと・杉原禎章さん×岡山県岡山市〜
岡山県岡山市を拠点に活動するコミュニケーションデザイナー・杉原禎章(すぎはらさだあき)さん、通称さだっちさんは、スタートアップ企業やNPO法人の広報支援から、地域クリエイターのコミュニティ運営、企画イベントの制作まで、幅広いフィールドで人と人の間に立ち、仕事をデザインしています。2018年にはデザイン事務所スギカフンとして独立。2023年には「おかやまデザイナーコネクト」を立ち上げ、地域のクリエイターたちが集い、学び、支え合うコミュニティを発足しました。
岡山に生まれ、岡山で育ち、岡山で働く。その歩みの中で自然と身についた「つながりのデザイン」とはどのようなものなのか。杉原さんのこれまでと、これから描こうとしている地域の未来について伺いました。
幼少期から育まれた
大人との豊かな関係と企画力
僕は岡山県に生まれ育ち、一度も地元を出たことがありません。小さい頃、家の近くに造形教室があり、アートが好きな先生のもと、絵を描いたり、工作をしたりして過ごしました。今でも先生との関係は続いているのですが、モノづくりの楽しさを教えてもらった原体験が、僕の中にしっかり残っています。
毎年夏には2泊3日のキャンプに参加していました。小学生の頃は参加者として楽しみましたが、中学生になると運営側に回り、晩ご飯のメニューを一緒に考えたり、必要な量を計算したり、翌朝の買い出しの担当を決めたりしました。そうした準備や話し合いを子どもたちで行っていくキャンプで、企画することの楽しさを知った気がします。今思うと貴重な経験でした。キャンプにはいろいろな大人たちが関わっていました。夜中に卒業生が来て、中学生の僕たちに夜食を作ってくれたりして。その人たちと接しながら、「こういう関わり方もあるんだ」と自然に思っていたように感じます。こうした環境で育ったことが、人との距離感やつながりを大事に思う感覚につながっています。

大学に入ってからは、企画づくりやチームでの活動にどっぷりとはまりました。博報堂出身の先生の研究室の扉を叩き、「アートディレクターになりたいんですが、どうしたらいいですか?」と直接尋ねたほどです。当時、佐藤可士和さんや森本千絵さんといった活躍されているアートディレクターに刺激を受けて、チームで企画し何かを形にすることにとても興味がありました。
大学4年間を通して関わっていたのが、「倉敷フォトミュラル」というプロジェクトです。当時で10年続いていたこの企画は、全国から写真を募集し、選ばれた30〜40点ほどの作品を倉敷駅から美観地区へ向かう商店街に掲示するというもの。学生10人ほどのチームで運営し、一年を通してひとり一企画を担当し、応募対応から掲示場所の調整、ワークショップ企画まで、役割を分担しながら取り組みました。僕は企画や設営の裏側業務を中心に経験させてもらいました。
学外でも学生団体の活動に参加し、神社のお祭りや地域のゴミ拾い、ライブペイントのイベントなどを企画。広報のチラシ制作を担当することが多く、デザインを仕事にしたいという気持ちが少しずつ形になっていきました。大学の仲間たちは今でも深い関係で、結婚式に呼んでももらうなど、家族ぐるみの付き合いが続いています。仲間から「さだっちって、大学の頃とやっていること変わってないよね」と言われて、僕自身、大学時代に好きだったことが、そのまま今の仕事につながっていると実感しています。まさに、自分の核になっているなと思います。
地域のつながりの中で働く道へ
会社勤めからフリーに戻った理由
大学4年生の頃、就活をはじめましたが、いわゆる一般的な就活に馴染めず、卒業後の1年間はフリーランスのような形で働いていました。大学時代からつながりのあったNPOやお店から、「チラシを作ってほしい」「名刺をデザインしてほしい」と声をかけてもらい、お小遣い程度の報酬で仕事を請けていたんです。大学時代から関わっていたコミュニティスペースで、人と話したり、料理をしたりしながら過ごす中で、地元のデザイン会社とつながり、まずはアルバイトとして働きはじめ、その後社員に。会社では、アシスタントとしてさまざまな業務を担当し、環境学習の冊子を制作するプロジェクトでは、取材、撮影、編集、文章、紙面デザインまで、一連の作業を経験しました。大学時代、東日本大震災があったことで、学生たちの間で「何かしたい」という空気があったこともあり、環境やまちづくりの仕事に関わる経験はとても意味のあるものでした。
しかし、会社が成長するにつれて働き方が変わっていきました。自由だった服装はスーツ着用になり、朝礼を行い、売り上げや時間も管理するようになりました。その変化にうまく馴染めず、体調を崩してしまったんです。体調不良がしばらく続いたため、会社と話し合い、最終的に退職することに。もう一度、自分のペースで働く道を歩みはじめました。当時は会社の成長に付いていけない自分を悔みましたが、自分で事業を営む現在では、業務改善に取り組みながら経営の勉強もさせてもらった経験をとてもありがたく感じてます。最近、社長とも再会し、また一緒に仕事もするようになりました。

2018年には独立し、岡山市内にデザイン事務所「スギカフン」を設立しました。就職活動の際は大阪府に行きたいと思ったこともありましたが、やはり僕は岡山県が好きです。ここにはたくさんの「つながり」があり、高校や大学時代の友人、子どもの頃に出会った大人たちとの関係が今も続いていて、仕事の依頼もそうしたつながりからいただくことが多くあります。
子育ての環境としても、岡山県は恵まれていると感じています。地域の人との距離が近く、子どもにとって良い環境です。僕の一日のルーティーンは、朝、お弁当を作って子どもを幼稚園に送り届けることからはじまります。その後に仕事をし、18時には帰宅して晩ご飯を作るという流れです。子どもと会話をしながら料理をする時間は大切な時間ですね。子どもが夜泣きをしていた頃は、寝かしつけ後もすぐ対応できるように、部屋の一角をカーテンで区切った中で卓上ライトを付け、仕事をすることもありました。子どもが生まれてから、家族との時間を最優先にしながら、どう働いていくかということを、すごく考えるようになった気がします。
幼稚園から小・中・高・大学と進学しながら、自分の居場所と思える場所がいつもあったこと、流れるように自然体で「今」にたどり着けたことは、本当にありがたいです。
フリーランスに仲間と居場所を
『おかやまデザイナーコネクト』
独立して数年が経った頃、フリーランスの仲間たちとの会話の中で、「相談できる相手がいない」、「人手が足りないけど、雇うほどでもない」、「横のつながりがほしい」といった声をよく聞くようになりました。僕自身も、まさに同じ思いを抱えていたんです。そこで2023年に『おかやまデザイナーコネクト』を立ち上げました。
最初はX(旧Twitter)のコミュニティ機能を使い、3〜4人で情報交換をはじめましたが、少しずつ人が増え、気が付けばLINEのオープンチャットには85名以上のメンバーが集まっていました。岡山県に移住してきた若いクリエイターさんからも問い合わせをいただくなど、いつの間にかコミュニティが大きくなっている感じです。月に2回ほど交流会を開くようになり、活動の幅も少しずつ広がっていきました。「この案件、誰かできますか?」という相談が来るようになり、地域の企業からお声がけいただく機会も増えています。
おかやまデザイナーコネクトという団体の形にしてよかったことは、自治体や地域企業からの依頼が増えたことです。たとえば、フリースペースで企画した地域クリエイターの作品展が好評を得て、地元の百貨店で展示を行うことになったり、岡山市から「最近のフリーランス事情を聞かせてほしい」と情報交換会のセッティングを依頼されたりするようになりました。新聞社や岡山市・倉敷市との案件も増えてきており、さまざまな相談をいただけるようになっています。

いつでも集まれる「場所」
―Ho.kuru
コミュニティが広がる中で、「リアルな拠点があった方がいい」と思うようになりました。それは僕自身が会社に行けなかった時期に、大学時代からの仲間たちが運営していたコミュニティスペースに助けられた経験があるからです。料理をしたりご飯を作ったり集まったりする場所に、しんどかった時期、本当に救われました。
そんな折、商店街の不動産会社の社長さんから、「空き物件がある」と紹介していただきました。ひとりで借りるには家賃が重たく感じられましたが、ちょうど大学時代から仲の良いNPO団体も同じように場所を作りたい考えだったので、一緒に運営することになり、生まれたのが「Ho.kuru」です。拠点ができたことで、より行政や地域の企業へ認知が広がっているのを感じています。商店街や地域でも、「コワーキングのような、働く人たちが集まる場所があったらいいよね」、という話が出ていたようで、僕自身としても、クリエイターたちのリアルな拠点を作ることができて、よかったと思っています。

地域のつながりを次世代へ
岡山発の地産地消クリエイティブ
ただ、まだまだ僕のつながりを経由してきている仕事が多いのが現状で、団体としての体制はこれからです。コミュニティでの僕の役割は、ざっくり言うと「仕事を取ってくる人」。コミュニケーションデザイナーとして、コミュニティの中の人と人とのつながり、そしてその外側との関係性を丁寧に整えることを大事にしています。
デザイナーとして10年、独立してからは7年が経ちました。これまでは自然のままにやってきましたが、最近では「ちょっとアクセル踏まないと」と思うようになってきています。ここ1~2年、学生時代に憧れていた先輩たちと一緒に仕事をする機会も増え、「次は君がこのポジションを担ってね」と言っていただいたり、自分の立場が意図せず引き上げられているように感じることもあり、プレッシャーではありますが、同時に期待に応えたいと思うことが増えています。
幼少期から育ててもらった岡山で、今度は僕がマチをつくっていく側になりつつある。いろんな大人の人たちに囲まれて、成長させてもらってきたので、もらったものを次の世代に渡したいなと思っています。

今、僕が力を入れているのが、クリエイターのギルド構想です。フリーランスになると、「何でもできること」が求められる場面が多くなります。でも本当は、得意分野を活かして、役割分担しながら仕事をするほうが、良いアウトプットが生まれると思っています。そこで今、チームで仕事ができる状態をつくるために、クリエイターリストを整備し、公開する準備をしています。
また、経験のある人を中心に、ビギナーが実績を積める場や仕組みもつくりたいと考えています。コロナ禍以降、オンラインでクリエイティブ技術を学ぶ場が増えましたが、数十万円かけて学んだけど、その後どうしたらいいかわからないという若手クリエイターやママクリエイターは少なくありません。岡山県にもオンラインスクール出身のクリエイターは多く、実践の場が必要です。
最近では、岡山県外の地域との接点も生まれていて、香川県にあるインキュベーション施設を運営している方と話す機会があり、そこから交流がスタートしました。「瀬戸内でクリエイターが自由に行き来できるような関係ができたらいいよね」と話していて、今その輪が少しずつ広がっています。これからも、コミュニティとコミュニケーションを大切にしながら、岡山県を中心にクリエイティブが循環する仕組みを育てていきたいと思っています。

ー おわりに ー
杉原さんのお話を伺っていると、「地域に根づいて働く」とは、特別な覚悟ではなく、「自然体のまま人と関わり続けること」なのだと気づかされます。幼少期から続く多様な大人との関わり、大学での企画とチームづくり、就職ではなく「つながり」からはじまった働き方。そして今、地域の中で役割を託され、次の世代へつないでいく存在へ。その歩みは決して派手ではないけれど、静かに、力強く、地域の未来を形づくっていると感じました。
岡山県で、コミュニケーションで人と人の関係を編み直し、クリエイターが活躍できる場をつくる杉原さん。その自然体の姿勢が、多くの人に「地域で働くことの可能性」を広げてくれるはずです。
PROFILE
杉原禎章(すぎはらさだあき)
デザイン事務所スギカフン代表
クリエコネクト代表
コミュニケーションデザイナー
岡山県岡山市出身。コミュニケーションデザイナー。岡山のスタートアップ企業やNPO法人を中心に、ウェブサイトと広報物を連動させたコミュニケーション設計を手がける。大学時代の企画運営経験を軸に、地域のクリエイターをつなぐ「おかやまデザイナーコネクト」ディレクターとしても活動。奉還町商店街のクリエイターの交流拠点「Ho.kuru」の運営、番組制作、地域イベントなど、幅広いプロジェクトを推進している。1児の父。
デザイン事務所スギカフン:https://sugikahun.design/
クリエコネクト:https://crea-connect.link/
おかやまデザイナーコネクト:https://o-design.studio.site/
