モデルや俳優、映画監督といった芸能業界で知られる一方で、実業家としての一面も持つ伊勢谷友介(いせやゆうすけ)さん。なぜ、株式会社を立ち上げ、経営に携わろうと思われたのでしょうか。起業に至るまでの経緯や、考えたことを行動に起こす実行力について、お話を伺いました。
行動ゼロは「考える」ではない
僕はデザイン思考で物事を考えているのですが、何も「デザイン思考が必要だ」と思って取り入れたつもりはありません。そもそも、世代的に「デザイン思考」という言葉はまだ広く知られていませんでしたからね。自分のやり方がデザイン思考というものなのだと知ったのは、リバースプロジェクトという株式会社を立ち上げ、経営に取り組んでいるときでした。「伊勢谷さんのやっていることを、実は昔にやっている人がいたんですよ。ヨーゼフ・ボイスって知ってます?」と。そこから、自分の会社経営、現代美術の運営の形はひとつの社会彫刻の形なのではないかと思うようになりました。
自分たちが住みたい未来を想像し、そのために今を律して生きることができるのは、人間以外の生物には絶対にできないことです。むしろ、それができないと人間ではないとすら僕は思ってしまう。他の生物と同じように、目の前のことに対処するだけではなく、未来を想い、その未来に自分の命をどう賭けるのか、使い切るのか。どのくらい遠い先のことを想像できるのか……。でも今の社会にはそうした価値基準はありません。何となく行動して何となく生きてきた結果が今の社会の姿です。もっと人間の機能として高められるはずだし、おそらくそれが求められる時代だとも感じています。
「何のために生きたいのか」は、若い人であっても自分で問うことができます。その問いに対して答えを出し、そこから道程をつくって歩んでいくことだって、僕からすると当然のことなんです。でも、意外と学校でも教わることはないですよね。大谷翔平選手が実践していた目標の立て方をメディアが取り上げたことで、ワークショップなどで流行したことがありました。こうしたアプローチはとても有効だと思いますが、同時に社会全体を見渡すような、さらに広い視点で「自分にできることは何か」をデザイン思考することが大事だと思っています。
そうでなければ、たとえば「資本主義という仕組みをどう活用して、どこを目指すのか」といった思考にはたどり着けない。そこを考えられなければ、現状に流されるしかなくなります。つまり、お金を稼がないと住む場所も食べるものもなく、医療も教育も受けられない。そんな状況に置かれるわけです。

個の役目は種の存続であると僕は考えています。そのうえで、その次のステップとして、種が存続する社会の未来とはどういうものかを思い描き、「では今何をはじめるべきか?何を変化させるべきか?」を考えていくことが大事です。でも、実際は多くの人がどうしても目の前のお金を稼ぐことなどに振り回されてしまい、そうした思考にたどり着く余裕がない。だからこそ、今の人たちにデザイン思考が必要なのではないかと思っているのです。
そして、なにより行動に移すことが大事ですよね。考えても行動に移せていなければ、それは考えていない人と同じですから。考えて答えを出し、行動する。そのプロセスが社会に提供するサービスや新たな価値に変わっていくと思っています。行動ができない、つまりやれることがゼロになってしまうというのは、たぶん思考が止まっているんですよ。それは「考える」ではなく「悩む」なんです。考えるというのは、答えを出して行動に至っていることまでを含みます。今の自分にできる行動は何かを明確に落とし込んではじめて成立するんです。それは一歩歩いてみることなのかもしれませんし、誰かに会いに行って話を聞くことかもしれません。とにかく、悩むのではなく考えなければならないと思っています。
宇宙人の視点という最も遠い視点と、ただの動物としての個の存在の視点との間で、自分がどこまで社会と関わり、どう行動していくのかを、その年齢なりの経験から発見し、行動に移していく。それを社会が当たり前にできればいいのですが、してこなかったから社会が進まなくなっているのでしょう。学校では右向け右と集団行動を求められ、個よりも歯車としての役割が重視されてきました。集団生活の中では、仕方がないところもあるのですが、そうした構造に変化を与えなければ、今まで通り変革とはほど遠い社会のまま、日本という国ができることは、今後ますます限られてしまうと危惧しています。
やはり、何か助けられる国のほうが格好いいと思うのですが、そういう国にしていこうという気概みたいなものも、デザイン思考で考えていくなかではじめて芽生えるものではないでしょうか。決して国粋主義者という意味ではありません。種の存続として日本国ができることとは何かまで考えられる人になっていくきっかけがないよね、ということです。
そこまで考えられる人が増えれば、いつの間にか社会や世界の変革まで想像できる人が当然現れてくるだろうと思っています。それが僕の期待であり、僕のやっていることすべての目的でもあります。
ヨーゼフ・ボイス※美術手帖より
【注】ヨーゼフ・ボイスは1921年ドイツ・クレーフェルト生まれ。脂肪やフェルトを素材とした彫刻作品の制作、アクション、対話集会のほか、政治や環境問題にも介入し、その活動は多岐にわたった。(中略)
自ら意思を持って社会に参与し、未来を造形することを「社会彫刻」と呼び、それこそが芸術であると提唱する。
社会はひとりでは変えられない
リバースプロジェクトを立ち上げた当時、日本には社会的企業という考え方はあまり浸透しておらず、SDGsもまだ謳われていませんでした。僕自身もまだアートや映画を通じて何ができるかを模索している段階で、映画監督として2作目を撮影した頃、「映画を観た人の人生が、作品のテーマをきっかけに変わる。……そんなことは、そうはないよな」と思ったんですよね。僕自身、映画を観るときにそういう気持ちで観ているわけではありませんし。では、日本を変えたいなら自分はどんな立場で、何をすべきなのか。それを考えるようになりました。
ひとりでは社会を変えることはできないので、どんどんたくさんの人が自分の行動に共鳴し、真似し、つながっていってくれたら、それが変革につながるだろう。そんな思考と、資本主義社会という僕たちを1番大きく取り巻いている条件とを掛け合わせ、株式会社の運営を自分の表現のベースとすることにしたんです。つまり、自分の作品を展開していくメディアとして株式会社というスタイルを選んだわけですね。
この選択自体が、おもしろいと思いました。藝大では株式会社の運営なんて学ぶ機会はなく、だからこそ未知のことをはじめること自体にワクワクしたんです。ひとりの力でできる社会の変革には限界があります。だから様々な分野のスペシャリストに協力をお願いしました。利益を独り占めしなければ、多くの人が関われる会社になる。そうした想いで、あまり利益を得ずともたくさんの人が関われる組織を目指していきました。
当時としては前例のないスタイルの会社だったと思います。日本のビジネスでは1番手よりも2番手のほうが成功することが多い、という現実があります。しかし、藝大生である自分は、「失敗したとしても1番手で飛び込んでいったやつが1番格好いいよね。じゃないとアートじゃない。2番手は仕組みだ」という考えがありました。また、学生の頃からの展開だったため「こんな基準で会社をつくる人は他にはいないだろ、おもしろいだろ」という勢いがありましたし、何よりも有り余るテストステロンが僕を突き動かしていたのだと思います(笑)。
それに、自分のやりたいことを常に周囲に語っていましたね。幸い、僕は「僕らは種の存在のために生きているんだ、知っているか?」と誰彼構わず聞けてしまう不思議な人だったのもあって、そんなふうに吹聴し続けていたら自分と似た思考を持つ人たちがたくさん集まってきたんです。あとで気づいたのは、僕のような人たちは、疑問に対して答えを出し続けることを厭わないということ。
「厭わない」ことがわかるエピソードのひとつが、水曜定例会です。設立当時、水曜日に定例会議を開いていました。外部のプロデューサーやクリエイターにも集まってもらい、「クライアントさんからこういう話があったけど、やってみたい人いる?」と持ち掛け、手が挙がればその場で自由にアイデアを出し合い、方向性をしぼっていく。いわば社内コンペのような場でした。
そのうち、世の中的に長時間の会議は非効率とされるようになり、水曜定例も一旦はなくなりました。でも、やっぱりああでもないこうでもないとプロジェクトや企業の課題について語り合う時間が実はすごく大事な時間であり、みんなが求めている場だったんですよね。結果的に、水曜定例会が復活しました。かなりアナログではありますが本気の人たちが本気でできるできないを語り、そこに普通であればなかなかつかないところにも、ビジネスとしてお金がついてくる。その熱い時間がすごく良かったなと、今でも印象に残っています。
リバースプロジェクトでは、地域創生の取り組みにも力を入れてきました。印象に残っているのは、地方交付税を使って取り組んだ、栃木県那須塩原市の黒磯駅前の開発プロジェクトです。駅前再開発として35億円という大きな予算を託され、さてどうしようかと。今でもそうでしょうが、当時は「ハコモノ行政」への問題意識が高まっていた時代で、ただ施設を建てるだけでは意味がないと思いました。だから、アイデアありきだということで、35億円の金の延べ棒の柱をつくり、それを市民のアイデアごとに削っていきませんかと提案したんです。でも予算は法律上1年以内に消化しないといけないという理由で、それは実現しませんでした。
僕としては、地域創生には、その地域の人たちが主体的に関わってほしいという想いがあります。自分たちの意見が未来をつくるという経験こそが次の経験や変化のきっかけを呼ぶでしょうし、自分たちの未来を自分たちでつくっていくという意識を持てる市民が育つことがプロジェクトの本質でした。
そこで、黒磯駅前の地域に住むすべての世代の人たちに「一票」を与え、自分や子ども、孫の暮らす地域の未来を考えて、駅前開発でほしいものを投票してもらうという企画を実施しました。地元の高校にも行き、「投票してね」と呼びかけました。でも、人口約10万人の都市にもかかわらず、票数は1万も届かなかったんです。メディアにも取り上げられ、関心は高いと思っていましたが、振り返ってみると、実質的にはそうでもないのかなと思いました。これは、地域創生に取り組んでいる人であれば、共感できる感覚かもしれません。投票率は想定よりも低かったものの、黒磯駅前プロジェクトを通じて作られた図書館は、現在も多くの方に利用されていると聞いています。
黒磯駅前プロジェクト以外にも、いろいろな地域創生の取り組みを行ってきましたが、正直、成功体験として記憶に残っているものはほとんどありません。地域の方々がみな、個の命の目的を種の存続のためと思って生きているわけではありません。変わらなければ未来はないかもしれないという状況にありながら、心のどこかで今のままでいいと望んでいる部分もあるんですよね。地域創生とは、そんな人たちをも市政に引き込んでいく活動ですから、どうしてもうまくいかなかった記憶のほうが強く残ってしまうのだと思います。
ただ、それは逆にデザイン思考としてきちんと受け止めなければならない現実でもあるでしょう。だからこそ、僕は教育の重要性にも目を向けています。「今日まで」を維持したい人と、「今日まで」がどう作られてきたかを理解しようとしている人たちとでは、当然話の進み方も違ってきます。やはり、変化の兆しを見せてくれるのは若い世代です。彼らは理解するスピードも速いし、柔軟に動ける可能性を持っている。だから、未来を変える希望は、そこにあるんだと感じています。

ー おわりに ー
「デザイン思考」という概念が日本に広がる以前より、実質的にデザイン思考で物事を考え、行動に移してきた伊勢谷さん。「考える」と「悩む」との違いのお話には、耳が痛くなる部分がありました。最終回「幸せの秘訣は脳内物質」では、伊勢谷さんの趣味や、現在力を入れている活動について伺います。
PROFILE
伊勢谷友介(いせやゆうすけ)
モデル・俳優・監督・実業家・アーティスト
1976年、東京都生まれ。 東京藝術大学美術学部修士課程修了。
1996年にモデルとして活動、その後、1998年より俳優として活動。
2002年、初監督作品『カクト』公開。
2009年、様々な才能を持ったアーティスト・プロデューサーが集結し、「人類が地球に生き残るために」をテーマに、新たな価値とモノの創造、社会貢献活動を行う株式会社リバースプロジェクトを設立。等、モデル、俳優、映画監督、実業家、アーティストとして幅広く活動。
最近では、映画『ペナルティループ』(2024年3月公開)出演。
また自身が主宰するアクションブランド「HAPPY SAUCE」にてアパレル、ジュエリーをはじめ、様々なデザイン、企画、制作をするなどアーティスト活動を通して、多様な表現活動に取り組んでいる。
HAPPY SAUCE:https://happysauce.theshop.jp/



