あの鮮烈な想いを残したい
<祭りで起業>
〜thinc なひと・オマツリジャパン代表 加藤優子さん×全国各地の祭り〜
学生時代にハマった日本各地の祭り巡りが高じて、株式会社オマツリジャパンを立ち上げた加藤優子(かとうゆうこ)さん。祭りの何がそれほどまでに加藤さんを魅了したのでしょうか。会社立ち上げに至るまでの軌跡、祭りの魅力や抱える課題について伺いました。
震災後に改めて感じた
日本の祭りのすごさ
小さい頃から表現することが大好きで、小学生のときには「美大に入って絵描きになろう」と思っていました。クラスで1番絵が上手だったわけでも、何か賞を取ったことがあるわけでもありませんでしたが、ただ絵が好きで、描き続けたいという気持ちが強かったのです。その想いから、2浪の末に美術⼤学へ進学しました。
しかし、美大で学ぶうちに、アーティストとして生きていくことに少し違和感を持ちはじめました。私が学んでいた現代アートは抽象的で複雑な表現が多く、作品を見た親からも「よくわからない」と言われることがあったんですね。自分としてはおもしろいと思っていても、人に喜ばれている実感がなかなか得られませんでした。
そうした想いがより一層強くなったのが、東日本大震災のときです。あれだけの大きな災害を目にして、「今まで私がやってきたことは一体何だったのだろう」と考えるようになりました。アーティストは命を救うことも、食べ物を届けることもできない…。そんな無力感を感じていました。今は「アートは人の役に立たない」とは思っていませんが、当時はそう思わずにはいられませんでした。
震災が起きるまでは、役に立とうが立たまいが生きていける世界だったんですよね。企業務めをしながら絵を描き続けたり、学校の先生になったり、このまま表現を続けていけば進む道はいくらでもあると思っていました。でも、震災を機に「人の役に立ちたい」「役に立たないと生きていけない」という想いが芽生えたのです。「アートの表現力や発想力を社会に活かせないか」と考えるようになりました。
震災から5カ月ほど経った8月、母の故郷である青森県を夏休みに訪ね、青森ねぶた祭に行きました。子どもの頃から何度も見てきた祭りでしたが、2011年は雰囲気がまったく違っていましたね。
当時は日本中が沈んだ空気に包まれ、祭りは不謹慎といった自粛モードが広がっていたため、ねぶた祭もきっと寂しいものになるだろうと思っていたんです。「けっぱれ(がんばれ)東北」と書かれた横断幕を掲げて、震災からの復興の願いを込めてはじまったその年の祭り。皆さんも不安を抱えていたはずです。でも――いや、だからこそ、だったのでしょう、ねぶたに明かりが灯され、お囃子が鳴り響くにつれ、みんな笑顔になっていったのです。大きな衝撃を受けました。「祭りは元気に楽しんでいいんだ」「人の心を明るくするのが祭りなんだ」と思いましたし、同時に「日本の文化ってすごい」「伝統文化っておもしろいな」とも思いました。この経験から私は、長期休みを活かして全国各地の祭りを巡るようになりました。
当時、私は大学3年生。就職活動もはじまっていたのですが、企業選びの軸は「伝統的な食品を扱う会社」でした。大学の作品制作で扱っていた素材が食材だったからです。古臭いと思われがちな伝統的な食品に、表現力や発想力を活かして新しい価値を吹き込めないかと考え、お漬物メーカーに就職することになりました。

仲間内のコミュニティが
会社「オマツリジャパン」へ
学生時代は時間の融通が利いたこともあり、全国を巡って祭りに参加することができましたが、社会人になるとどうしても難しくなってしまいました。それでも、行ける範囲で足を運び続けていたんです。
祭り巡りをするなかで、いわゆる「奇祭」と呼ばれる風変わりな祭りの存在を知りました。奇抜な山車が登場する祭りや、風変わりな盆踊りなど、各地に残る独特な風習にどんどん興味を引かれていきました。
奇祭に行きたいと思って調べても、情報はなかなか見つからない。旅行雑誌やWebメディアにも、全国の祭りを包括的に集めてデータベース化しているものはありませんでした。祭りの情報がまとまっている場があればいいのにという想いと、飲食店のように行った人の口コミを見ることができたら便利なのに、という考えから、社会人として働くかたわら、Facebookページで祭り情報を発信するページを立ち上げました。Facebookページを選んだのは、単に作りやすいものがそれだったためです。
最初は友達、友達の友達といった身近な人たちとつながって「次の休みに、ここの祭りに一緒に行ってみよう」といったゆるいサークルのような雰囲気でスタートしました。学生時代は基本的にひとりで祭り巡りをしていたので、誰かと楽しさを分かち合えるようになったことが嬉しかったですね。
Facebookページからはじまったコミュニティは、どんどん成長していきました。最初は美大の仲間が多かったのですが、大企業に勤めている人など、メンバーのバックグラウンドも多様化していきました。東日本大震災後、地域創生が叫ばれるようになったことを受け、私たちのコミュニティでも「祭りこそ、地域創生の一手段としていいのではないか」という話があがるようになってきたのです。各地の祭りに足を運んでいるなかで、「もっとこうしたら盛り上がるのではないか」といったアイデアもたくさん出るようになっていきました。
そんな折に、ビジネスプランコンテストという存在を知ったのです。考えたビジネスアイデアを審査員の前で発表し、評価されると賞金や支援が受けられるというもので、三鷹市版や品川区版といった地域ごとのコンテストに応募してみることにしました。当時の私の案は「マチを祭りで盛り上げるプラン」で、「それを広げて全国各地で日本の祭りを盛り上げ、日本を元気にする」といった非常にふんわりとしたもので、いま聞いていても「何のこっちゃ」と思うような内容でした。ただ、みんなでアイデアを出し合い、試案を作り、何度も応募していくうちに、「今の時代にこそ必要だ」と評価をいただけるようになっていったんです。
あるとき、友人から祭りのお手伝いの打診が入りました。友人の父親は商店街の副会長を務めている方で、自分たちの商店街の祭りを手伝ってほしいという話でした。そこでチラシやポスター作り、大道具の手伝いをしたり、当日の人手としても働いたりしたところ、「これって、やはり求められている仕事なのかもしれない」と確信したんですよね。
ビジネスプランコンテストで何度も受賞できていたことに加えて、実際の現場を見たことで、本当に困っている人たちがたくさんいることがわかりました。祭りは当たり前のように開催されるものだと思っている人たちが多いと思うのですが、実はそんなことは全然なくて。ある祭りは、80代の方が10人ほどで立て看板の設置や商店街内のフラッグの取り付けをがんばってやられていました。他の地域の祭りでも「もう腰が痛くて、やぐらも建てられない」とおっしゃられているところもあって、人手不足が顕著ななか、何とかギリギリのところで継続開催されている祭りの多さを痛感したのです。
あとは、「当たり前」だと思われているがゆえの苦労も見えてきました。地域の祭りは、そのほとんどが無料で楽しめるのに、苦情はこれど、感謝の言葉がかけられることは滅多にない。そんななか、皆さんがんばっていらっしゃるんですよね。楽しむ側だったときには見えていなかった現場の実態を知って、今は「開催してくださって、本当にありがとうございます」という気持ちになっています。

現場のニーズに応えようと思うと土日だけでのお手伝いには限界がありますし、祭りの関係者である自治体とのやり取りは平日に動かなければ何も進みません。こうした「困っている人たちがいる」というニーズと「でも、今のままだと不十分な活動しかできない」といった実態とが掛け合わされ、起業へと踏み出すことになりました。
当時の私は27歳と若かったこともあり「今なら少し失敗しても、また仕事をすればいい」と思えたのも大きかったですね。試しに1度起業して、しっかりと日本の祭りを支援し、日本を盛り上げようと思っていました。
ビジネスプランコンテストで評価された案ではありましたが、会社として本格的に事業化していくことは想像以上に難しかったです。経営の知識がまったくなく、資金調達をしようにも「デッド(融資)」と「エクイティ(出資)」との違いすらわからない。会社員時代に、営業や会計を経験したこともなかったので、何をどう進めていけばよいかわからず、すべてひとりで、手探りでやるしかありませんでした。初年度はチラシのデザインの仕事をいただいた程度で、年間の売上はたしか100万円台だったと記憶しています。
最初の頃のしんどい状況を打破できたのは、2017年に受けた出資でした。これによってようやく、人を雇うことができるようになりました。出資いただけたのは、当時考えていた「祭りのプラットフォーム化」に興味を持っていただいたからです。たとえば、お神輿が壊れてしまったり、警備員が足りなくなったりしたときに、オマツリジャパンにアクセスすれば、業者を紹介してもらえたり、お祭りに協賛したい会社と協賛して欲しい祭りがマッチングしたり、お祭りを手伝いたい人と手伝ってもらいたい祭りが集まったりというような、便利に使えるプラットフォームを作りたいと考えたのです。ありがたいことに案自体には共感を得られましたが、実際には上手くいきませんでした。というのも、祭りを運営する側は高齢者の方が多いので、プラットフォームがあったところで使いこなすことが難しい上に、資材の調達は基本的に地域内で行われ、なかなか変えにくかったのです。周辺の人脈で補えないような状況になると、祭り自体をやめてしまうという判断になってしまうケースも少なくありませんでした。
残念ながら軌道には乗せられませんでしたが、出資を機に仲間を正式に雇えるようになったことは大きかったです。Facebookページで出会った仲間たちは私と同年代が多く、30歳前後と「そろそろ転職を考えている」という時期でもあったようです。中には大手企業で働いていたメンバーもいましたが、それらを辞め、まだ十分な給料もだせない私たちのもとに来てくれました。このときに入ってきてくれた素晴らしい仲間たちが、オマツリジャパンの骨格を築いてくれたと思っています。

祭りで味わえる感動を
次世代に残したい
オマツリジャパンでは、コロナ禍以降、祭りの実態を把握するために、毎年アンケート調査を実施しています。そのなかで、最も多く挙げられている課題はやはり「資金不足」ですね。物価の上昇も大きく影響していて、昨年と同じ予算では開催できないといった声が寄せられています。次いで多いのが「人手不足」です。
震災後は「不謹慎だ」という理由で祭り自粛ムードが広がりましたが、コロナ禍は感染予防の観点から開催そのものが不可能だった祭りが多くありました。結果、コロナ禍を機になくなってしまった祭りもたくさんあります。残念ではありますが、必ずしも悪いことだとは思っていません。「ここでやめる」という判断に至った祭りには、それまでも本当にギリギリの体制で続けてきたケースが多くあったのです。
祭りの第一目標は「開催すること」であると感じています。もちろん集客も大事なポイントではありますが、有料のイベントほど「多くの人を集めること」に重きを置いてはいないと感じますね。祭りはもともと、感謝や祈りのために行うものが多いので、多少の雨では中止せず「まずは開くこと」が重要だとする文化が根付いていると思います。
そもそも、祭りはお金儲けのためにやられているものではないんですよね。だからこそ、仕組みが必要だと感じていて、私たちは「祭りを社会全体で支えていく仕組みを創る」というミッションを掲げています。
かつての私たちには失敗もありました。祭りそのものをお客様と据えていた時期があったんです。たとえば、たとえば、いくつかの商店街の祭りなどで、対価をいただいて、チラシデザインや人手の支援などを行っていたんですよね。
もちろん、祭り側にしっかりとした予算があれば問題ないのですが、実際にはそうではありません。手伝いをしているつもりが、代金が発生することでかえって彼らを苦しめてしまったのではと思えてきたのです。
現在は祭りを支えることで喜んでくれる人たちに向けた取り組みを軸に、事業を組み立てています。たとえば祭り文化を支えようとしている国や自治体から補助金の一部をいただいて、保全活動を行ったり、企業からの依頼で、祭り会場でのプロモーションブースを設置できたりするようにし、企業にはPRの場を、祭りには収益を還元する仕組みをつくっています。その他、祭りをより楽しみたい人に向けてプレミアムな有料観覧席を提供するなどのサービスも展開しています。それらから得られた収益の一部を祭りに還元する。そういった仕組みによって社会全体で祭りを支えることを目指しています。

私たちのモットーは「求められたところに行くこと」。地域で長年続けられてきた祭りに、こちらから無理に踏み込むようなことはありません。また、気になる祭りには事前に自分たちで足を運び、実際に体験しておくことも大切にしています。たとえ関係者のひとりから「来てほしい」と声がかかったとしても、全員が歓迎してくれるとは限りません。一度も行ったことのない祭りに対して「俺らの祭りの何を知っていて、できると思っているんだ」と思われてしまうのも無理からぬことです。知らないまま口を出すのは失礼ですから、私も社員もできるだけ多くの祭りを現地で体験するようにしています。
「祭りの良さって何ですか?」とよく聞かれるんです。難しい質問だなと思います。なぜなら、その祭りによって魅力も役割もまったく異なるからです。「経済波及効果があるから」とか「高齢者の知識を活かす機会になるから」とか「子どもが社会を学ぶきっかけになるから」とかいったことが伝わりやすいメリットかなと思いますし、Uターン者が増えるといった数字で表せるものもありますが、私個人が好きなのは、祭りの一体感や熱量の爆発力です。青森ねぶた祭で感じた、「昨日のつらさを、今日パッと明るくできる」ほどのエネルギーをもらえるのが、私にとっての祭りの良さです。
オマツリジャパンのビジョンは「あらゆる垣根を越えて、祭りに想いを寄せ、笑い合える世界」です。青森ねぶた祭のような大きな祭りですら、人口減により跳人の参加者が半減しているというニュースを見たことがあります。私が体感してきた祭りは当たり前のものではないからこそ、できるだけ維持していきたい。特に子どもが生まれてから「この祭りを未来に残さないと」と思うようになりました。創業時の想いは「孫と祭りを楽しめる世界をつくりたい」だったのですが、今は外国人、若者、高齢者、老若男女誰でも、あらゆる垣根を越えて祭りに想いを寄せたり参加したりして、感動して笑い合える世界を残したいと思っています。

ー おわりに ー
美大を卒業し、商品開発やデザイナーを経て起業するというキャリアを選んだ加藤さん。祭りについて話すときの目の輝きから、本当に祭りが好きなことがひしひしと伝わってきました。一歩中に入ることで見えてきた祭りの課題に対して、加藤さんはどう向き合っているのでしょうか。後編「祭りすべてを応援したい」では、オマツリジャパンの事業について、より詳しく伺います。
PROFILE
加藤優子(かとうゆうこ)
株式会社オマツリジャパン代表取締役
1987年生まれ。東京都練馬区出身。武蔵野美術大学油絵科卒業後、株式会社ピックルスコーポレーションに入社。商品開発とデザインを担当。震災直後の⻘森ねぶた祭に行った際、地元の人が心の底から楽しんでいる様子を見て、祭りの持つ力に気付く。同時に多くの祭りが課題を抱えていることを知り、2014年に全国の祭りを多面的にサポートする団体「オマツリジャパン」を創業。2児の母。Forbes JAPAN「カルチャープレナー」選出(2023)。第7回ビジネス創造コンテスト優秀賞(2016)。
株式会社オマツリジャパン:https://omatsurijapan.com/



