「農」という新スタイルの提案を。
<正反対の最強タッグ>

〜thincなひと・ハマラノーエン×長野県諏訪郡原村~

長野県諏訪郡原村。八ヶ岳といったほうが全国的になじみがあるかもしれません。そんな八ヶ岳で、メロンより甘い「八ヶ岳生とうもろこし」を栽培し、メディアにも引っ張りだこになっているのが、ハマラノーエン(旧HAMARA FARM)です。運営会社である株式会社ハマラ(旧株式会社べジパング)で代表取締役を務める柳沢卓矢(やなぎさわたくや)さんと、農園長の折井祐介(おりいゆうすけ)さんが友人同士で立ち上げた農園です。農家として独立を決めた理由、「八ヶ岳生とうもろこし」のブランド誕生までのストーリーについて、おふたりにお話を伺いました。

「やってみよう」から農家へ

ハマラノーエンは、HAMARA FARMとして産声を上げました。幼馴染ふたりが人生を楽しむために立ち上げたのが、すべてのはじまりです。

Q.HAMARA FARM立ち上げの経緯をお聞かせください。

柳沢:もともと「HAMARA」というのは折井とやっていた音楽活動、レゲエグループの名前だったんですよ。僕と折井とは昔からの腐れ縁で、地元である原村の仲間という由来で「HARA」の間に仲間の「MA」を加えてHAMARAと名付けたのがはじまりでした。ふたりで農業をやることになったとき、音楽を楽しんでいた感覚を忘れないようにということで、「HAMARA FARM」という名前にしたんです。

農業をはじめることになったきっかけは、農業を営んでいた折井の祖父母から「農業をやめる」と聞いたこと。それまで、僕も折井も農業とは関係のない会社で働いていたんですが、僕はストレス発散のため、農家の手伝いを数年間やっていて、朝2時から作業したりしながら、「気持ちいいな」と思っていたんですよね。ちょうど自分たちでも事業をはじめようか考えていたタイミングということもあり、これも何かの縁ではないかと、「とりあえずやってみない?」という話になったんです。ただ、おじいさんたちからは「大変だからやめておけ」と反対されました。

折井:柳沢とは違って、僕はもともと農業をやりたいとまでは思っていませんでした。だからといって、農業のイメージが悪かったというわけではなく、子ども時代は土遊び感覚で畑にいることがありました。子どもの頃から手伝わされていた父は農業が嫌いだったようですが、僕はそういったこともなかったので、ネガティブな感情はなかったんです。祖父母に「やりたい」と伝えたとき、まさか反対されるとは思っていなかったですね。

柳沢:僕は農家の手伝いをするなかで農業の大変さも多少は経験できていましたから、反対を受けて「そうだよね、やっぱり大変だよね。やめようかな」という思いもよぎったんです。正直、折井ほどポジティブには捉えられていなかった。ただ、一方で年配だからこそ若手の僕らが思うより大変だと感じているからこそ、反対してくれたのかなという感覚もあって。折井といると自然とポジティブになるので、「やろう」という口車に乗ってそのまま決行したという感じでした(笑)。

(Photo:CURBON)

Q.おふたりとも、もともと独立願望はおありだったのですか。

折井:ありました。会社員としては当然ですが、ノルマを達成しなければならないという責任感から「やらなければならない」という不本意な義務感も芽生えてしまい、いずれは独立したいなと。ただ、やりたいことは決めていなかったんですよね。そのため、それが農業になったのは偶然でした。

柳沢:僕は逆になかったですね。保守的な人生を歩んできたタイプで、会社員もつらくはなかったです。自分の生き方を改めて考えるきっかけになったのは、折井の存在ですね。折井は子どもの頃からガキ大将で、みんながついていくようなタイプでした。成人してから会っても、成人っぽくない人間で(笑)。

折井が仕事でおこした前代未聞な事件の話が酒のつまみになっていました。でもこんな生き方ってありなんだなと衝撃を受けましたね。同時に、自分の人生はこれだけでいいのかなという疑問を持ちました。別に今の生き方に不満はないけれど、独立して好きなことをやったほうが楽しいのかもなと。

ただ、ひとりで独立することは考えていなかったです。「折井がいるならやるか」と、一緒にやることが前提での独立でしたね。ただ、周りからは「友人同士で仕事をするのはかなりリスキーだよ」と忠告されました。本当にいろんな大人たちから言われたのですが、僕と折井の友情はそんじょそこらの友情とは違うんです。兄弟よりも付き合いが長いといっても過言ではないので。

僕らは「わからない」が当然なんですよ。性格が真逆ですし、物事の捉え方も違う。しっかりずれているふたりなんです。でも、「一緒にやろう」とか「楽しそう」だと思えることへの方向性は一緒。だから、一緒にやれるという確信がありました。

折井:最初は全部一緒にやっていましたが、自然と分業されていったことで、決裂することなくやってこられました。上手くいかなくなるのは、分業できていないからじゃないかと思います。サッカーにたとえると、ボールをふたり一緒に追ってしまうと上手く試合を運べないですよね。「あっちにいったボールは追わない」というような判断が自然とできないといけない。一緒にやっていると意見が食い違うことも出てきますから、「ここは任せる」が大切なんだと思います。

僕らの場合は得意分野が違うので、自然と分業されていって、暗黙の了解が生まれました。営業系は僕で、デザインやコンセプト作りは柳沢がといった具合ですね。もちろんアドバイスや意見は言いますが、最終的な決断では相手の領域のことには口を出さない。これは仕事観が合っていたから上手くいったというより、音楽活動の流れの一環で上手くいったのかもしれません。レゲエ活動でも、作詞と作曲を分業していたんです。その共同プロジェクトが音楽から仕事になった感じだったのかなと。

Q.農業をはじめることに反対されたというお話でしたが、実際のところ苦労の度合いはいかがでしたか。

柳沢:農業界では若手でしたから、最先端技術やネットで得られる知識を駆使すれば、古い農業より楽に軌道に乗せられるのではと見積もっていたのですが、甘かったですね。まずは手あたり次第いろいろな作物に挑戦したのですが、全然うまくいかなかった。2、3年間は無収入でした。

でも、ゼロイチからできあがる瞬間を味わえる楽しさが格別だったので、「やっぱりやめよう」とはならなかったですね。これは会社員経験がないと気付けなかったかもしれません。やりたいことがわからないまま、社会の歯車として回っていたときとは、ストレスの度合いや充実度が違うんですよ。会社員時代は白髪が生えやすかったんですけど、それがまったくなくなったくらいで、変なストレスがなくなったんだなと思っていました。

折井:上手くいかないことが多すぎて、へこむというよりそれがもうスタンダードに一時期なっていたなと思います。農家の失敗あるあるは全部経験したんじゃないかな(笑)。今ではメディアにも取り上げていただいていますが、何も「すごくなった」実感はないです。

よく柳沢と言っているのは、「これ、俺らじゃなかったら心が折れてたかもね」。しんどかった時期を乗り越えられたのは、ひとりじゃなかったからかもしれません。ひとりで抱え込んでしまったらつらかったかもしれないなと。ふたりとも、割とポジティブなんでしょうね。「やばい」となっても麻痺しているというか、「どうにかなる」という感覚があるのかなと。

さっき柳沢が2、3年は無収入だったと言ったように、思ったより稼げなかったのですが、農業の良さは早々に感じていました。好きなように作れて売れて、好きな格好ができる。農業=365日仕事をしなければならないと思う方もいるかもしれませんが、考え方によっては時間に拘束されない、今までの仕事の中で1番自由度の高い仕事だと思うんです。畑という空間も解放感がありますしね。稼げないけど、ストレスは少なく、おもしろかった。だから続けてこられたのかな。

(Photo:CURBON)

Q.その大変だった時期を抜け出せたのはなぜでしょうか。

柳沢:きちんと先人の意見を参考にするようになったからですね。最初は自己流で、先人たちの意見を聞き入れなかったんです。でも、2、3年間やってみたことで、必要なのは表向きの知識だけではなく、その地域の天候や土の知識も重要なんだとわかったんです。経験からしか得られないものを知っている先人の意見は理にかなっているものだったのだと理解し、頭を下げて教えを請いました。折井の祖父母は、亡くなるまで僕らの農業の師匠だったんです。

感動したおいしさを
お客さんに伝えたい

Q:ハマラノーエンといえば「八ヶ岳生とうもろこし」。ブランドができるまでのお話をお聞かせください。

柳沢:人の話を聞き入れ出してから、いろいろな農家さんに足を運ぶようになり、その中でとうもろこし栽培の師匠に出会いました。そこで食べさせてもらったとうもろこしが、本当に衝撃的なおいしさだったんです。生でかじって、おいしさに2度見3度見して。農業が盛んな地域の人間は、日ごろから新鮮な野菜が身近にあるので、おいしさが当たり前になっていて逆にわからなくなっているところがあるのですが、このとうもろこしはそんな僕らでも驚くレベルでした。これは目を惹くようなものにしていこう、ブランディングしていこうと思ったのが、八ヶ岳生とうもろこしブランドのはじまりでした。

(提供:写真家・五味貴志)

最初は「八ヶ岳生スイートコーン」だったんです。甘さを伝えたくて、デザートをイメージしたブランドにしたんですよね。でも、1、2年やっていくうちに「お菓子なの?」と聞かれるようになり、これはちょっと違ったなと。野菜を広めたいのに、お菓子と誤認される雰囲気になってしまうのは違うなと思い、もう一度考え直しました。そこで作ったキャッチコピーが、「メロンより甘いとうもろこし」です。12、3年前は野菜をあえて果樹と比べた比喩がなかったため、インパクトのあるものとなりました。

折井:このとうもろこしに出会い、栽培する作物も絞られていきました。何でもやってみた時期を経て、とうもろこしとトマトが残り、そのなかでもとうもろこしが特に手応えがあったため、今に至るという感じですね。

でも、実は八ヶ岳ってとうもろこしの産地として有名ではなかったんですよ。年によって順位の変動はあるものの、長野県全体としては、出荷量は全国7番目(2021年農林水産省の「作物統計」)に位置し、常に上位を維持しています。しかし、県内にも産地がたくさんあり、八ヶ岳はとうもろこしよりも、葉物系の高原野菜の産地として知られているんですよね。標高が高くて昼夜の寒暖差があり、日照時間が長かったり火山灰層に恵まれていたり水がきれいだったりと、甘いとうもろこしを作れる条件に恵まれているので、こうして甘いとうもろこしに出会えたのですが。

そんな八ヶ岳生とうもろこしの強さは、おいしさが本当にわかりやすかったことだと思っています。葉物野菜も確かにおいしいんですが、消費者にとって違いがわかりづらいところがあるだろうなと。「甘い」は明確にわかりますからね。あと、土地的にもアドバンテージがありました。とうもろこしの収穫時期は夏で、避暑地である八ヶ岳のハイシーズンです。都市部から来る方に販売しやすく、実際たくさん売れました。

そうそう、これも僕らのやり方なのですが、農協さんを通して全国流通させるという農家のベーシックなやり方を踏襲せず、あちこちで対面販売させてもらうことにこだわって進んできたんですよ。農家への入り方が一般的な農家の方と違うから、農家業界のルールや畑の仕組みなど、業界の常識を知らな過ぎたんですよね。「農協になぜ出さないといけないの?」というノリだったので、周りからも「変な農家がいる」と思われていただろうと思います。

柳沢:そもそも言いなりになるために独立していないので、「こういうものだ」に反発したい反骨精神もあったんです。折井はそもそもが「イケイケ」タイプですしね。出会ったとうもろこしは高くて売れないし生産も難しいから、いずれ種がなくなるかもと言われていたような希少品種で、小さいけど甘く、生食に特化しているものだったんです。当時は、出荷するためには一定のサイズ感が必要というのが常識で、とうもろこしの品種ごとの個性より「◯◯県産のとうもろこし」という産地の情報の方が重要視されていました。僕らはどうしてもそこに乗っかれなかったんです。

対面販売にこだわってきたのは、そうしないと売る場がなかったから。食べてもらえればおいしさをわかってもらえるはずだと思っていたので、施設やショッピングモールに直談判し、生で試食できる場を設けてきました。当時、地元にはマルシェもなかったのですが、「しゃべれる農家になろう」と言い合って出られる場所を見つけては出て。最初の2、3年には「僕らの野菜を誰が食べてくれているのかわからない」という味気なさを感じていたので、対面販売はやりがいにもつながりました。

僕は独立前に車関係の会社で営業として働いていたのですが、その頃から「ただ商品を売る」のではなく、お客さまに良い思いで商品を買っていただくことが好きだったんです。商品の魅力をただ伝えるのではなく、それを手にしたあとの暮らしや未来を想像してもらうような話をしていました。八ヶ岳生とうもろこしも、良いものを買った、もらったという感覚で持ち帰ってほしいと思い、考えたのがパッケージです。

産直に並ぶ野菜に、パッケージにこだわっているものがなかったんですよね。八ヶ岳生とうもろこしは贈答にも使えるおいしさなのですが、パッケージがそのままだと良いものをもらった感覚が損なわれてしまうなと思ったんです。でも、仲間には反対されましたね。「売れなくなる」と。でも、数年かけて都会のマルシェにも出店を続けたことで、都会にもお客さんが増え、地元のマルシェでも知っている方が増えていきました。日本ギフト大賞長野県賞(2015)や、フード・アクション・ニッポンアワード(2016)など、受賞が追い風となり、法人対応のニーズも広がっていく見込みが出てきたことから、法人化に踏み切りました。

ー おわりに ー

お話されるエピソードから、「破天荒」な印象を受ける折井さんと、「実直」な印象を受ける柳沢さん。おふたりがおっしゃるように「真逆」な部分がありながら、自然と役割を分担しながら上手く事業を進めていかれている様子が印象的で、本当に仲が良い最高のバディなのだと感じられました。後編「次世代の光になれたら」では、HAMARA FARMからはじまったブランドのリブランディング、「農業」から「農」へと抽象度を上げた取り組みへの想いについて伺います。

PROFILE

柳沢卓矢(やなぎさわたくや)
株式会社ハマラ 代表取締役
Mark&Burns Consulting合同会社代表

公認会計士専門学校を卒業後、大手自動車メーカーで営業として就職。後にキャリアアップとして大手音響機器メーカーで法人営業を経験後、幼馴染の折井とともに農業共同農園「HAMARA FARM」を設立。2015年に自身が手掛けた農園オリジナルブランド野菜「八ヶ岳生とうもろこし」が日本ギフト大賞長野県賞を受賞し、それに伴い生鮮野菜卸売会社として株式会社ベジパングを設立。デザイン、ブランディングに関して全てを手掛ける。2018年には商品デザインやVMD、さらに新規参入時へのフォローで財務やFPを含め提案するMark&Burns Consulting合同会社を税理士とともにはじめる。2025年3月に株式会社ベジパングの社名を株式会社ハマラに変更とともに代表取締役に就任し、2つの会社を長野と東京の2拠点で運営する。農家でもありながら自分らしく生きれる生業も成立させる、新しい農のカタチを表現する。

折井祐介(おりいゆうすけ)
株式会社ハマラ 農園長

高校卒業後、カナダへ語学留学。帰国後、東京で個別指導塾の講師と遺跡発掘の仕事を経験後、地元に戻り結婚式場、大手旅行代理店に就職。2011年に旅行代理店を退職し柳沢とともに実家の祖父母のあとを継ぐ形で就農。「HAMARA FARM」を設立し、2015年に生鮮野菜卸売会社の株式会社ベジパング設立。農家でありながら海外留学や営業時代から培ったコミュニケーション能力を活かし、様々な県内での農業団体などの会長職を全うした。現在は地元長野にて農業体験や講演などを定期的に開催し、より多くの人に新しい農との関わりを増やせるよう「喋る農家」として奮闘中。

株式会社ハマラ:https://hamaranouen.jp/

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