マチおこしは人おこしから
<無理と言われた芸能界>

〜thinc なひと・地域プロデューサー安達勇人さん×茨城県〜

茨城県で生まれ育ち、18歳のときに芸能界入りした安達勇人(あだちゆうと)さん。モデルから、俳優、声優とキャリアを広げ、活躍しているさなか、東京での仕事を徐々にセーブし、地元・茨城県を拠点とした活動にシフトしました。「電車も通っていないようなマチ」で芸能界への想いを抱いていた安達少年が、なぜ絶頂期に仕事をセーブして地元にUターンし、「地域プロデューサー」という肩書きが生まれるまでの存在になったのか。 幼少期時代の話から、茨城県への想いについて伺いました。

人見知りの殻を破った中学時代

子どもの頃から、人に喜んでもらったり、笑顔を見るのが好きでした。じいちゃんがよく笑わせてくれる人で、そんなじいちゃんから「勇人の笑顔は人を幸せにできるから、笑顔を大切にしなさい」と言われていた影響もあったのかな。元気を与えられるっていいなと思っていました。歌うことも好きで、小学6年生の頃の将来の夢は歌手や俳優でした。ただ、当時は人前に出るのは苦手で。人見知りが激しかったからか、小さい頃の写真はほぼないんです。

そんな僕が口にした「歌手や俳優になりたい」という夢に対して、周りの人たちは「無理だ」と言いました。「僕が芸能人になることが無理」というよりは、「こんな田舎から芸能界を目指すのは現実的ではない」という意味合いが強かったです。インターネットやSNSで誰でも発信できるようになった今とは違い、当時の僕たちからすると、芸能人はテレビの向こう側の存在でしたから。電車の本数も限られているようなマチの人間にとっては、完全に別世界の話で、「何を夢見ちゃってるの?」と言われてしまったんですよね。

それが本当に悔しくて。押し入れに隠れて、 思い切り泣きました。でも、泣きながら「田舎出身でも夢を叶えてみせる」と心に決めたのです。そして同時に「夢を叶えていいんだよ」というメッセージを届けられる、夢を与えられる人になりたいとも強く思いました。

(Photo :CURBON )

人見知りな性格は、中学生の頃を境に変わっていきました。当時流行っていたアカペラに友達と挑戦し、全校集会のステージで披露したんです。そのときの盛り上がりがすごくて、「ステージに立つって楽しいんだ」という経験が、人見知りボーイが開花するきっかけになりました。そこからは学級委員長に立候補したり、全校生徒を前に原稿を見ずにスピーチをしてドカーンと受ける経験をしたりと、人に喜んでもらえることを繰り返していました。自己表現って楽しいんだなとも思いましたね。個性って武器になるんだな、と。

自分の頑張りで人の人生も少し変えられるのかもしれないと思えたのは、高校3年生の頃のこと。剣道部の主将として、みんなで全国優勝を果たしたことが転機でした。幼稚園から剣道を続けていたものの、強くもなんともなかったのです。なんなら、部内で1番成績が振るわない選手だったのですが、映画「ラストサムライ」に感化され、練習に没頭したところ、ぐんぐん成績が伸びまして。その結果、主将となり、強豪校に打ち勝って優勝をつかみ取ることができたのです。部員たちの人生を変えたというと大げさかもしれませんが、この経験で、改めて「人の人生を変えられる存在になりたい」という想いを強めました。

運命的な出会いで、芸能界へ

芸能界に飛び込むきっかけは、高校の学校行事で訪れた東京で、モデルのスカウトを受けたことでした。夢に見た芸能界デビューのチャンスでしたが、「よっしゃ!」とは思わなかったです。「騙されているんじゃないか」という不安が強くて。だから、そのときは話を受けなかったんですよ。

でも、運命ってあるんでしょうね。上京して大学生活を送っていたある日、友達と立ち寄ったカフェで、なんと当時スカウトしてくださった方と偶然再会したのです。びっくりですよね。改めてきちんと話を聞き、バイトがてらファッション雑誌モデルの仕事をはじめることにしました。

モデルを続けているなかで、編集長から「役者に興味がないか」と声をかけてもらいました。「ついにチャンスが来た!」と舞台のオーディションを受けたことを機に、夢だったお芝居の世界へ。映画のオーディションにも合格し、俳優の仕事も増えていきました。養成所を出ていない人間ですから、共演したベテラン俳優の方たちにたくさん助けられましたね。現場で揉まれながら、ああでもない、こうでもないと芝居を学んでいきました。

(Photo :CURBON )

しばらくは俳優業のかたわら、生活のためにアルバイトもしていました。そのバイト先にアニメーション制作会社の方がたまたま来店されたのです。「声優に向いていそうだから、オーディションを受けてみないか?」と誘っていただいたので、受けてみることに。そこで合格し、メインキャラクターの声優を務めることになりました。

「安達勇人」の知名度を一段引き上げてくれたのは、忍たま乱太郎のミュージカル舞台です。そこからファンが全国に増え、2.5次元と呼ばれるアニメ・マンガの舞台化作品に出演させてもらえる機会も増えました。さらに、アイドルグループとしての活動にもつながっていき、表現の場が順調に広がっていきました。

絶頂期に決めたUターン

俳優、声優、アイドル。どの仕事も良い波に乗れていて順調だったのですが、僕は東京の仕事をすべてセーブする決断を下しました。その理由は、地元・茨城県での活動に力を入れたかったからです。

「こんな田舎じゃ芸能界入りなんて無理」と言われた小学6年生のあの日から、ずっと「地元で何かをしたい」想いがありました。ただ、どうすれば良いのか、いまいち分からず、芸能界入りした頃から茨城県に貢献できる方法を探していました。そんな時、男女不問で申し込める10代目笠間観光大使の募集が目に留まりました。小さい頃に遊んでいた、思い入れのある地域でもあったので「これだ!」と思い応募。ファンはまだ少なかったですが、できることをした結果、笠間市内初の男性大使に選ばれました。

このように、東京で活躍しながら地元での活動をすることもできなくはなかったのですが、どうしても主軸が東京にあると「地元でトークショーやイベントがあるときに呼ばれて行くだけ」になってしまうことが僕にとってのもやもやでした。エンタメは結局、東京が主流で、果たして地域では何ができるんだろうと。

「こんな人になれたら」と思っていたのは、大泉洋さんです。まだ大泉洋さんが今ほど全国的には知名度が高くなかった頃、仕事で行った北海道で出会った方たちが、みんな「北海道で有名な人といえば、大泉洋さんです」と話してくれたんですよ。「地元からの絶大な信頼がある人なんだ、僕もこういう人になりたい」と思いました。茨城県の人たちが夢を燃やせる火付け役になりたいなと。

ありがたいことに、俳優や声優の仕事をたくさんいただいていて、ツアーで全国や海外に行く機会もあり充実していました。ですが、「この仕事は僕じゃなくてもできるな」とも思ったんですよね。対して、茨城県で勝負するのは僕にしかできないことなんじゃないかと思いました。だから、茨城県での活動に特化させるため、東京の仕事をセーブすることにしたのです。周りは止めましたよ。「なぜ順調な今、声優や俳優をやめるんだ」と。一度、今の仕事をセーブしないと、やりたいことができなかった。だから、やめた。それだけなんです。

茨城県での活動に軸足を移してから、夢だった歌手、アーティストとしての活動を本格化させました。逆転の発想が好きなこともあって、ライブ会場に選んだのは「誰もいないところ」。賑わっている場所でのライブは誰でもやっていますから、あえて来客数が少ないショッピングモールなどを選びましたね。最初は3、4人しか観客がいないところからはじめました。月1回のライブ開催を続けていくことで、50人、100人、さらに多い時は1,500人、と応援してくれる方を増やしていきました。

(Photo :CURBON )

目指してきたのは「人間・安達勇人」でファンを付けること。「声優」「俳優」という側面だけでは、地域を盛り上げきれないなと思ったのが理由です。「声優」「俳優」という芸能色って、地域ではかえって壁を作ってしまうところがあるんですよね。「相手は芸能人だから」と勝手に線を引かれてしまうというか。

地域活性化活動の鍵は、その線引きを取り払い、人として付き合って、どこまでスクラムを組めるかだと感じています。「安達くん、来てくれてありがとう」で終わらせず、「一緒に盛り上げていきましょう!」という関係性になりたい。呼んでほしいのではなく、一緒に泥くさいことをやって、汗をかきたいんです。だから、東京で活躍していた「俳優」「声優」の安達勇人ではなく、「人間・安達勇人」でゼロから活動を広げる道を選びました。

ありがたいことに、僕のファンは老若男女さまざまで、男性ファンも非常に多いんです。茨城県の人たちが楽しんでくれる習慣をつくりたくて、毎週末ライブを開催したりしています。週末ライブにも300〜400人が来てくれますし、サイン会では「参加するために仕事をがんばっています」といった声もかけていただいています。みんなの生きがいや、日々の楽しみにつながる活動をできていたら嬉しいですね。

マチおこしは人おこし

地元の人たちが、「茨城県の安達勇人」という存在をつくってくれました。ライブの観客も増えていき、ついに2,000人規模のライブが開催できました。本当に奇跡としか言いようがないことだと思っています。でも、このままだと、ただのイベントで終わってしまう。もっとマチに貢献できるような活動ができないかと考え、会社を立ち上げることにしました。名前は株式会社ADACHI HOUSE。事務所に所属していた時代のファンクラブ名「あだち家」からきています。

(Photo :CURBON )

改めてファンクラブも作りました。ファンのことを「ファミリー」と呼んでいて、家族のように思っています。このファンクラブは、会費が月額9,500円と、あえて門戸を狭めることで、より深くつながれるプレミアムファンクラブにしています。会員には、カードの会員証が発行され、笠間市にある提携店でその会員証を提示すると割引サービスを受けられるという仕組みをつくりました。僕を応援することが、そのまま地域への貢献に繋がるという構造にしたいなと思って。ここ数年「推し活」がブームですが、僕は「推される側」で支えられている立場でもあります。そんな僕が茨城県を推すことで、「推しつ推されつ」お互いに頑張っていける仕組みをつくったんです。

茨城県の人たちは、コミュニティの結束力が強いんですよね。今も回覧板や折り込みチラシの威力は健在で、「この人がいい!」となったらみんなでプッシュしてくれる強さがあります。それは逆に、僕が信頼を失えば、応援の熱が冷めてしまうということでもあります。それだけ噂が早いのは強みにも弱点にもなるでしょう。せっかくなら、その特徴をポジティブな力に変えたいので、「ADACHI HOUSEや安達勇人を応援していると、マチも盛り上がるんだ、地元に貢献できるんだ」と実感してもらえる構図をつくりたいです。

(Photo :CURBON )

マチおこしって、人おこしなんですよ。人が本気にならないと、どんなイベントや施策も一過性のものになってしまいます。以前、40年続いた笠間のねぶたまつりが予算の関係で開けなくなったことがありました。でも、この祭りがなくなったら笠間市の夏祭り自体がなくなってしまうのです。浴衣姿の人たちがやってきて、出店で遊んで、ヨーヨーを手に提げて……そんな風物詩がなくなってしまうことに危機感を覚えて、「だったら、俺がやります」と笠間納涼盆踊り花火大会をはじめました。

コロナ禍でお祭りを開催することに批判の声もありましたが、民間の祭りは民間の判断で開催できたため、市からは「安達くんに任せる」と言っていただきました。「僕が全責任を取る」という覚悟と熱意に賛同し、「安達くんと一緒にやろう」という人たちも集まってきてくれたのです。結果、当日は1万人の来場者に恵まれました。僕の熱、想いを受けて人が集まり、輪ができ、ムーブメントになっていく。もちろん、何かをするときにはお金もビジネス視点も重要ですが、それ以上に「人」が大切で、人をおこさないとマチはおきないと確信を持てた体験でした。笠間納涼盆踊りは、今では笠間市の代表的な夏祭りになっているんですよ。

笠間観光大使を務めていた無名時代から今に至るまで、僕は多くの茨城県民の方にかわいがってもらいました。その恩返しをしたい一心で、これからも茨城県に人生を捧げたいと思っています。それだけ強い想いを地元に向けていることが伝わっているからこそ、人が集い、巡り巡ってビジネスとしても回りはじめてくれるのでしょう。これからも「常識を覆すマチおこし」をモットーに、ひとりでも多くの人を幸せにしていきたいです。

(Photo:CURBON)

ー おわりに ー

茨城県愛の強い安達さんのお気に入りスポットは「ジョイフル本田」で、「1日過ごせるほど大きい、地元民の聖地なんです」と紹介してくださいました。ADACHI HOUSEのオフィスは、そんなジョイフル本田で買った資材を使ってDIYで作られています。好きな地元フードは「スタミナラーメン」なのだそう。こうした地元の良さについて、茨城県の人たちは「気付いていながらアピールしないので、県外の人にあまり知られないのかもしれない」と安達さん。「茨城県は本当に人があたたかいんですよ」と熱弁する姿が印象的でした。後編「茨城県で夢を叶える」では、茨城県を盛り上げる取り組みへの想いについて伺います。

PROFILE

安達勇人(あだちゆうと)
声優・俳優・アーティスト・いばらき大使・地域プロデューサー

茨城県桜川市出身。
声優、俳優、アーティスト、いばらき大使として活躍中!夢は見るもんじゃなく叶えるもの。老若男女関係なしに楽しめる一体感のあるLIVEは一度参加したらハマる事間違いなし。茨城県内各所にてLIVE開催中!

ADACHI HOUSE:https://adachiyuto.com/

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