2018年、「SHIMA DENIM PROJECT」を立ち上げ、実店舗「SHIMA DENIM WORKS」をオープンさせた山本直人さん。SHIMA DENIM PROJECTは、限られた資源を循環させ、持続可能な産業を生み出すことを目的とした取り組み。「SHIMA」は沖縄県や日本を指し、限られた資源を循環させてきた歴史からサーキュラーエコノミーの象徴という意味が、「DENIM」には経年変化しても価値が落ちないデニムから、サスティナブルの象徴という意味が込められています。はじめに取り掛かったのが、沖縄県の産業であるさとうきびを使ったデニムづくり。搾りかすであるバガスを糸にし、沖縄県内のデニム職人の手によって一着一着丁寧につくられています。
山本さんがバガスに着目したきっかけ、そこからデニムづくりという発想に至った理由についてお聞きしました。
観光産業の活性化の裏で
衰退する一次産業の現実と挑戦
私は東京都の出身です。そんな私が、沖縄県でSHIMA DENIM PROJECTを立ち上げたのは、20年近く勤めた広告代理店での経験がきっかけでした。観光関連のコンテンツ制作に携わる中で、日本の各地域の経済活性化を目的としたプロモーション活動を行っていたんです。そこで、特に沖縄県との関わりを持つようになりました。
沖縄県の観光客はコロナ禍前には1000万人超えと、一時はハワイを超えるほどの数になっていました。コロナ禍を機に観光客数は減ったものの、20数年前の500万人ほどからは増加しており、観光産業の成長ぶりが伺えます。観光産業の盛り上がりで地域が豊かになることは良いことなのですが、一方で問題も起こります。それが、他の産業へのリソースが足りなくなること。顕著なのが一次産業で、収益性や後継者問題から、大事な産業であるにもかかわらず、ないがしろにされやすいのです。沖縄県では、さとうきび栽培が盛んで、農地の47%がさとうきび畑であり、栽培農家も全体の70%を占めるなど、地域の基盤を支えていますが、今はかつての3分の1にまで生産量が減少しています。
さとうきびから砂糖を生産しているのは、主に沖縄県と鹿児島県・奄美大島です。重要な産業として補助金が支給されているものの、それでも生産量は減少しています。地域の将来のために観光産業に取り組んでいたつもりが、その発展により衰退してしまう産業がある。地域創生が矛盾を生んでいると感じました。別の方法で地域を活性化できないか。そんなことを考えていたときに、沖縄本島のさとうきび工場との出会いがありました。
本島に1軒しかないそのさとうきび工場との出会いは、地元のホテルさんからの紹介でした。観光土産として、さとうきびでお菓子をつくれないかなというのが当初の発想だったんです。ただ、一方でさとうきびでお菓子をつくるという発想は一般的であり、「それは僕らが取り組む必要はないのでは?」という想いもありました。また、お菓子では地域創生、沖縄県のリブランディングにはつながらないだろうなと。
工場を訪れると、「さとうきびは沖縄の宝」という言葉が目に入りました。事務所に向かう途中には山積みにされている何かがあり、「これは何ですか?」と尋ねたところ、「バガスという、さとうきびの搾りかすです」と教えてもらいました。一部は再利用されるものの、すべてを活用することはできないため、そのまま放置されているとのことでした。搾りかすのため、見た目はきれいではありませんが、置いておくことで大きな害になるわけでもないのだと聞きました。
これはチャンスがあるなと思いましたね。捨てられるものにも、利用価値が眠っている可能性があるなと。そこからスイッチが入り、「食物繊維から何がつくれるだろう?紙?」とアイデアが生まれていったのです。
「つくれたら良いな」から
さとうきびのアップサイクルデニムが誕生
バガスを利用したものづくりをしようと考えた私が思っていたのは、「デニムのような製品がつくれたら良いな」でした。アパレル業界の環境負荷が課題とされている中、デニムは製品寿命が長いため、環境負荷の軽減に貢献できます。また、沖縄県には多くの米軍関係者がいるため、彼らにも購入してもらえる可能性があるのではと思いました。
バガスから糸をつくり、その糸でデニムをつくれたら面白いのではないか。そんな発想から、「どうすれば実現できるのか」を探りはじめました。
まず、アパレルに詳しい方に相談したところ、バガスをそのまま糸に加工するのは技術的に難しいことだと知りました。ただ、紙の糸にすることはできると。広く残ってはいないようですが、紙を原料とした糸を使った生地や服は古くから存在していました。
では、まずは余剰バガスから紙の糸をつくってくれるところを探そう。そこで出会ったのが、岐阜県の和紙工場です。沖縄県で乾燥後、粉砕したバガスを持っていき、トイレットペーパーのような紙のシートをつくります。そのシートを短冊状にスリット加工します。
そして、その紙を、今度は国産デニムの生産地である広島県福山市の撚糸工場へ。ここでスリット状の紙に撚りをかけてバガス繊維に仕上げてもらい、テキスタイル工場でデニム生地を織っていただきました。こうした協力先との出会いは、自分で探したり紹介してもらったりすることで得られたものです。
最後に、織りあがったデニム生地を製品化する工程では、何としても沖縄県にこだわりたいと考えました。ただ、調べたところ、沖縄県内で本格的にデニムを縫える職人はひとりしかいなかったのです。デニムには丈夫につくるために特別な縫い方、織り方が求められます。その方はデニムの産地である岡山県で修行され、沖縄県で工房を立ち上げた方でした。
ただ、すぐに「はい、やりましょう」とはならなかったですね。これは沖縄県の方だけではなく、協力先すべてに言えることです。ものづくりは、ある程度の生産量が必要となりますが、私の持ち掛けた取り組みでの生産量は、たかが知れているわけですね。話をシャットアウトされてしまったところが大半で、「やりますよ」と言ってくれたところは、私の想いに共感してくれている方たちなんです。デニムづくりの最後を担うデニム工房の方も、そんな共感者のひとりでした。
今でこそアパレルによる環境問題が取り上げられるようになりましたが、当時はまだそこまで問題視されていなかった時期です。それでも、自分たちがやっていることに危機感を抱いていたり、産業が今後どうなっていくのか不安だったりする方たちが、私の声掛けに応じてくれたのかもしれません。
結果的に、「やります」と言ってくれた方たちは、僕と同世代なんです。もしかしたら、一回り上の世代の方だとこうはならなかったかもしれません。僕が「観光産業による地域創生の矛盾」を課題だと感じたように、これからの自分たちの産業に責任や想いを持っている人たちが、今を変えるための何かのきっかけになるのではと感じて集まってくれたのかなと思っています。
今は、紙の糸づくりを岐阜県と北海道の工場が担当。先ほどお話した広島県福山市の工場がデニム地をつくり、沖縄県のデニム工房がデニムに仕立てています。
今では、デニム地以外のアパレル素材づくりにも取り組むようになりました。Tシャツに使うニット生地を大阪府泉大津市や山形県の工場が、スーツ地を尾州ウールの産地である愛知県一宮市あたりの工場が織ってくれています。デニム地以外のこうした生地は、ニットやスーツづくりを得意とする地域で最終的な仕上げを行っており、技術のある産業と連携しながらものづくりをしている形です。
まだ見ぬ答えを求めて
持続可能な産業の可能性へ
SHIMA DENIM WORKSは、沖縄県に店舗を構えています。ただ、小売りでのビジネスをしようとは一切考えていません。それでも実店舗を設けたのは、沖縄県に対し、目に見える形で具体的な貢献をしたかったためです。店舗は、アメリカ人が住んでいた外国人住宅が良いなと思っていたところ、偶然空きが出ることに。コンペを経て選ばれ、オープンする運びとなりました。
本来は、余剰バガスでつくった素材を卸して、それを活用してもらえたらという想いがあったんです。そうすれば、産業が広く知られるきっかけになるのではないかと。ただ、当時は余剰バガスでつくった糸を買ってくれるところはありませんでした。デニムも、生地のままでの販売先が見つからず、ならば製品化して自分たちで販売しようと思ったという事情も実はあります。とはいえ、素材の卸だけでうまくいき、店を持たずにいたら、沖縄県への貢献が見えづらく、ビジネスライクな印象を与えてしまっていたかもしれません。そういった意味でも、小売り主体ではないものの実店舗を構えることは大切だと思っています。
結果的に現在の形が実現しているため、大きな苦労はなかったと言えばそれまでですが、十分な成果を上げているかと言うと、まだまだ課題が多いのも事実です。生産ロットを増やせないため、原価を十分に下げることができていません。経済効果を生み出す課題はまだまだ山積していますが、これまでやってこられたのは、ひとえに多くの方々の支えと、運が良かったからだと思っています。
SHIMA DENIM WORKSのデニムは、ファストファッションブランドなどのものと比べると、値段が6倍ほど違うんです。環境に配慮しているけれど、価格が6倍違うデニムを日本の消費者の方が選ぶのかというと、ピンとこない方が多いでしょう。でも、ヨーロッパでは逆で、そうしたものを選ぶという人が多く、そうした意識の違いもまた課題だなと感じています。
そもそも、日本で小売り拡大し、在庫を多く抱えることは、結果的にアパレル産業が抱える環境負荷の課題に拍車をかけてしまうんですよね。それはブランドコンセプトに反することでもあります。どのように事業をスケールさせていくのかはいまだ手探りという感じですね。
ー おわりに ー
自分にはない技術、知識を持っている人を探し、「バガスでつくったデニム」を実現した山本さん。「たまたま探している人と出会ったら、必然なんだなと単細胞で思っちゃうんです」と語ってくれました。大量生産のほうが少ない負担で利益を生み出せる中、想いを共にした仲間と共に立ち上がったSHIMA DENIM PROJECTは、徐々に事業の幅を広げていきます。第2回「共感者を得て広がる取り組み」では、山本さんのさらなる活動の広がりについてお聞きします。
PROFILE
山本直人(やまもとなおと)
株式会社Rinnovation代表取締役
Curelabo株式会社代表取締役
1977年東京都生まれ。広告代理店で企画立案や商品開発、ブランディングなどの事業に携わったのち、2018年に退社、同社を立ち上げ「SHIMA DENIM PROJECT」を始動。東京都と沖縄県の他、支社のある京都府や各拠点を飛び回る日々を送る。
SHIMA DENIM WORKS:https://shimadenim.com/
株式会社Rinnovation:https://www.rinnovation.co.jp/
Curelabo株式会社:https://curelabo.co.jp/