ねぶたを100年先まで残す
<楽しむ姿を見せたい>

〜thincなひと・ねぶた師 北村麻子さん × 青森県青森市〜

女性初のねぶた師として、2012年から活躍されている北村麻子(きたむらあさこ)さん。2022年には株式会社北村麻子NEBUTAstudioを設立し、経営者としての挑戦もはじめられています。ねぶた師としての1年間の過ごし方や経営者として、ねぶた師のひとりとして目指す未来について、株式会社クリエイターズマッチの代表取締役、呉京樹(ごけいじゅ)がお話を伺いました。

ねぶた漬けの1年間

呉:北村さんの1年間や1日の流れについて教えてください。

北村:ここ数年は、冬にクリスマスねぶたの制作依頼を多くいただくようになりました。今年も松屋銀座さんやシャングリ・ラ 東京さんからのご依頼をいただいています。そのため、8月のねぶた祭が終わってすぐ、そちらの制作に取り掛かっているところです。

制作を進めながら、頭のどこかで「来年は何を作ろう」と考えはじめ、すでに候補もひとつ挙がっています。クリスマスねぶたの納品が11月初旬なので、そこからは翌年のねぶたの下絵描きに取り掛かります。年明けからはパーツ作りを開始。パーツ作りには結構時間がかかるので、4月いっぱいまでかけて制作します。そして、パーツを作りを終えたあと、ねぶた小屋に移って組み立て作業をはじめるという流れですね。

呉:パーツ作りは小屋でされないんですね。

北村:ねぶた小屋は仮設テントなので、雪が溶けるまで使用できないんです。冬のあいだは別の制作場所でパーツを作り、事前に組み立てられるものは準備を進めておきます。

呉:それを5月になったら小屋に持ち込み、組み上げていくんですね。色を塗るまでにはどれくらいかかるのでしょうか。

北村:ねぶた小屋に入って組み上げるだけの期間で考えると2週間ですね。私は1台、父が2台を制作するので、チーム全体で3台を仕上げなければなりません。そのため、事前準備をしっかりしておいて、いざはじまったら猛スピードで作ることになります。高所作業になるため、安全面にも気を配りながらの作業です。

呉:そこから色付けをされると。ここはどれくらいの日数がかかりますか。

北村:私の場合は17日間ほどです。塗って、乾くのを待つ間に別の箇所を塗ってといった感じで、時間を上手く使いながら同時進行していくイメージです。そして7月に納品するという流れです。

(Photo : Kyohei Narita)

呉:本当に1年中、ねぶた制作をされているという感じですね。クリスマスねぶたは北村さんに直接オファーがあるものだと思いますが、他のねぶた師の方々は、ねぶた祭が終わったあとの期間はどのように過ごされているのでしょうか。

北村:そうですね。意外と皆さん、さまざまな仕事をされていらっしゃると思います。ただ、昔はそこまでではなく、たとえば父は、夏にねぶたを作り、冬は東京へ出稼ぎに行って左官の仕事をしていました。そうした生活を50代ごろまで続けていたんです。父が苦しんで一生懸命に働き、家族を支えてくれていた姿を小さいころから見ていたので、父への尊敬の気持ちがとても強いんです。ここ数年で、関東の方にもねぶたを活用した企画が知られるようになってきて、ありがたいことにいろいろな仕事が少しずつ増えてきました。ねぶた制作者としては、いろいろな経験をさせてもらいながら本業に向き合えるのは、本当にありがたいです。

呉:北村さんはInstagramで作品を紹介されていますし、メディア取材も多く受けてらっしゃいます。北村さん自身がねぶた業界の盛り上げに影響している印象を受けるのですが、そうした意識はありますか。

北村:私が注目されたのは、男性社会だったねぶたの世界に初めて女性として飛び込んでいった物珍しさがあったからだと思っています。「女性だから」「女性初」と言われることについて、嫌じゃないですかと聞かれることも当然あるのですが、私はむしろ、ちょっとおいしかったなと思っていて。私がそうやって取り上げられることで、ねぶた祭そのものを、これまで知らなかった方々にも知っていただくきっかけに少なからずなったと思うのです。私の「女性初」という物珍しさを上手く活かしていただき、ねぶた祭りを盛り上げていただけたら嬉しいですし、実際多少なりとも影響はあったんじゃないかなと思っています。

呉:間違いなく、影響はあったと思います。注目されることで、クリスマスねぶたのように冬場でもねぶたの仕事ができるサイクルが生まれてきているのではないでしょうか。ねぶた祭用のねぶたと、クリスマスねぶたとでは、作り手としての気持ちもやはり違いますか。

北村:全然違いますね。たぶん、作っているときの表情からして違うと思います(笑)。クリスマスねぶたのようなかわいらしいものを作るときは、優しい気持ちで作っていると思います。だからといって、ねぶたを作っているときに怖い顔をしているわけではないと思いますが、やはり気持ちは全然違いますね。

(Photo : Kyohei Narita)

呉:そうなのですね。過去の作品もいろいろと拝見しましたが、家にひとつ飾りたいくらいです。多くの方に広がっていって、ねぶた師を目指す方がもっと増えてくるといいですね。

お話を伺っていると、本当に1年中お仕事をされていらっしゃる印象ですが、オフの日はどのように過ごされているのでしょうか。海外旅行がお好きとも伺ったのですが。

北村:昨年は親孝行をしようと思い、両親をイタリアに連れていきましたが、やはりまとまった時間を取るのはなかなか難しいですから、数年に1回行けたらいいな、くらいの頻度ですね。

呉:海外に行かれることで、作品作りのヒントを得ることもありますか。

北村:ありますね。ねぶたは浮世絵などからの影響がとても大きいと思うので、日本的な題材を参考にされているねぶた師の方は多いと思います。一方で、私は洋画や、海外の石像などから発想を得ることが多いです。躍動感や色遣いに刺激を受け、制作に活かしているところがあります。参考にする対象が違うことで、他の方の作品とは違うものを感じられるねぶたができている部分も多少あるのではないでしょうか。美術館にもよく足を運びますね。

若い職人を守るため、会社を設立

呉:北村さんは、お姉様と会社を立ち上げ、経営もされていらっしゃいます。ねぶたを継承していくには、ねぶた師を目指す若い世代を増やしていく必要もあるわけですが、そうした活動も会社として行っているのでしょうか。

北村:そうですね。会社を立ち上げたこと自体が、まさに若い世代のことを考えてのことでした。ねぶた師は職人の世界なので、未整備な部分がとても多く、「デビューしたら勝手にやりなさい」という空気もまだ残っています。そこをどうしていけばいいのかを悩んでいるんですよね。

会社にしたのは、将来的にお弟子さんができたとき、デビューと同時にいきなり外に放り出すのではなく、数年は会社に属してもらいながら、業界について学び、経験を積んでもらえる流れをつくりたいと思ったからなんです。数年間は、私たちが「ねぶたの世界はこういうものだよ」「こういうところに気を付けてね」とサポートできる環境にしたいと思っています。

呉:職人の世界は「背中を見て覚えろ」でしたからね。僕は会社経営をはじめて20年と、デザイナーと経営者との両方の経験がある人間なので、北村さんと近しい部分もあるのかなと思っています。20年経ち、今ではほぼ経営者の立場にいると思っているのですが、北村さんは今後どのような方向を目指していきたいと考えていますか。現時点でのお考えをお聞きしたいです。

北村:一応「代表取締役」という肩書はありますが、経営者として自信があるかといえば、まだまだです。会社としてもまだ3、4年ですし、経営ができているかどうかは正直わからないです。あくまでも、ひとりの制作者、ねぶたを愛するひとりの人間として、「ねぶた師になりたい」という若い子たちを守りたい、ねぶたを良い形で残していきたいという想いだけで今はやっています。

会社を立ち上げたことで、社会の仕組みや働くということについて、自分自身も勉強させてもらっている部分が多いですね。社員は姉ひとりで、ほかにアルバイトスタッフが10人ほどいますが、本当にいろいろなタイプの人がいます。仕事を黙々とやる人もいれば、仕事がそこまでできるわけではないけれど、いるだけで空気を良くしてくれる人がいたりする。仕事ができないからといって、ダメな人ではないんだな、社会はいろいろなタイプの人がいろいろな形で補い合うことで成り立っているんだなと実感しました。

ねぶたが好きだと思ってくれている人たちが、私のチームに入ってひとつでも得てくれるものがあればいいなと思っています。ねぶた制作は大変ですが、それでも「楽しいな」と思いながら日々一緒に生きていければいいなと。なので、経営者としてはまだまだ未熟だと思うんです。

呉:今のお話を聞くだけでも素晴らしい経営者だと思いました。人の才能をどう活かすか、その人に何を与えるのかが、経営者の重要な役割ですから。

大人が本気で楽しむ姿を見せることが、
次の世代への継承につながる

呉:今後のねぶた祭がどう発展していけば良いと思われますか。またねぶた師として目指されている姿など、今後について伺いたいです。

北村:父と同じように、おそらく一生「ねぶたって何なのか」を追い求めながら作り続けていくのだろうなと思っています。ただ、いくら男女平等とはいえ、体力やホルモンの違いなど、身体的な部分で男女の違いは明らかにあります。女性の場合は、何の対策もせずにねぶた制作をしていたら、男性よりねぶた師の寿命が体力的な部分で短くなってしまうと思うんです。

そのため、昨年からトレーニングをして体力づくりに努めはじめました。生涯ねぶたを制作できるように、基盤づくりを重視したいです。

ねぶた祭りの今後については、後世の子どもたちに良い形で引き継ぐにはどうしたらいいのか、制作者として日々考えてはいます。ただ、結局は私たちが父たちのように命がけで情熱を燃やし、ねぶた作り、ねぶた祭を楽しんで生きていく姿を見せることが1番大切だと思うんです。

私たちも父たちの姿を見て憧れ、「ねぶたって楽しいものなんだ」「素晴らしいものなんだ」と、言葉ではなく自然と感じてきました。大人たちが本気で楽しんで続けていけば、次の世代にも伝わっていくと思います。子どもたちは「やりなさい」と言われると、逆にやりたくなくなるものですし(笑)。本気で大人が楽しんでいるのを見ると、自然な流れで続いていくんじゃないかなと。

呉:本当にそうですね。会社もそうで、経営者の僕が楽しくなかったら、きっと社員も楽しくないだろうなと思っています。最後に、こちらの記事を読んでくださっている方にメッセージをお願いできればと思います。クリエイターの方、社会貢献をしたい方などに伝えたいことはありますか。

北村:皆さんには言うまでもないことだとは思いますが、自分から発信することがすごく大事だと思います。ねぶたの世界でも、私がデビューするまでは制作過程を外に見せるということが一切なかったんです。伝統的なものであればあるほど、なかなか外に向けて開くことが難しく、タブーとされている世界もあるとは思います。でも、思い切って門を開くことで新たな動き、流れができるのではないでしょうか。

呉:素敵なお言葉をいただきました。今回は、お忙しいなか素晴らしいお話をお聞かせいただき、本当にありがとうございました!

(Photo : Kyohei Narita)

ー おわりに ー

SNSでの発信、企業とのコラボレーション、会社の設立と、新たなチャレンジに挑み続ける北村さん。それらの活動ひとつひとつが、ねぶたやねぶた祭を知るきっかけとなり、ねぶた師の活躍の場の広がりに寄与していると感じました。発信が、新たな変化を生み出す種となる。伝統産業だけではなく、あらゆるクリエイティブな活動に活かせるヒントなのではないでしょうか。

PROFILE

北村麻子(きたむらあさこ)
ねぶた師

1982年10月生まれ。父親であり、数々の功績を遺すねぶた師の第一人者、六代目ねぶた名人の北村隆に師事し、2012年に女性初のねぶた師としてデビュー。デビュー作「琢鹿(たくろく)の戦い」が優秀制作者賞を受賞、6年目の作品「紅葉狩」で最優秀制作者賞、ねぶた大賞を受賞するなど、数々の賞に選ばれ、多くのメディアに取り上げられる。近年では、百貨店や企業とのコラボレーション作品の制作などにも精力的に取り組み、ねぶたの魅力を国内外に発信している。

ねぶた師 北村麻子 公式サイト:https://asako-kitamura.com/

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