好きを追求したら、バリ島に
<旅をすれば、自分が変わる>

〜thincなひと・野嶋姫佐さん×インドネシア共和国・バリ島〜

インドネシア共和国・バリ島で暮らすフォトグラファー、野嶋姫佐(のじまひさ)さん。撮影会社から誘いを受けてバリ島に行ったことを機に、移住の道を選びました。

ところ変われば、文化や価値観も変わります。異国の地で働くこと、今後の展望についてお話を伺いました。

バリ島の撮影に関わる
バラエティに富んだ仕事を

バリ島に移住後、最初に受けた仕事は旅行会社のツアー同行撮影でした。団体客100人ほどのツアーについていき、撮影を担当。私が所属した撮影会社は、日本の旅行会社やウエディング会社など、いろいろな会社と提携していました。同行撮影も提携先からの依頼業務のひとつです。

国によりますが、インドネシア共和国ではフリーランスフォトグラファーとして就労ビザを取得することが難しく、企業に所属する必要があります。そのため、この会社に入って撮影業務を担当しながら、仕事の幅を広げていきました。

現在の仕事は、ウエディングや家族写真などの日本人旅行者の撮影をはじめ、地元の方や在住外国人のフォトスタジオでの撮影、日本の会社から依頼される雑誌や取材関連の撮影が中心です。この他には撮影コーディネートの仕事もしています。コーディネートの仕事は頻繁ではないものの、関わるクルーの人数が増えるため、撮影前から何度も密に打ち合わせを行う必要があります。その分、チームと一緒に作品を作り上げていくやりがいを感じられる仕事です。

最近は、会社を引き継いだときからさせていただいている仕事や、そこからの紹介での仕事がほとんどです。あとは撮影させていただいた方からの紹介で「○○さんから聞きました」というご縁で繋がるご依頼が多いですね。

会社を引き継いだ直後はスタッフも多く、忙しいながらもとても充実した日々でした。状況が変わったのはコロナ禍です。正社員スタッフを抱えているのに仕事がまったくない。会社を引き継いで経営者となったことを後悔するほどしんどかったです。でも、経営者という立場上、相談できる相手がなかなかいなくて。スタッフに相談すると不安にさせてしまいますし、だからといって友達や同業者にも言えません。コミュニティが小さいので、すぐに話が広まってしまうのです。

「いっそ、会社を辞めてしまいたい」とまで思っていた当時、私の支えになったのは、2007年から秘書のような立場で働いてくれているスタッフでした。泣きながら「何を言っているんですか!」と言ってくれたのを見て、「私がぶれていたらダメだ、守らないと」と思えたんですよね。

今は社員の雇用形態を変え、月給制の正社員というスタイルから、案件ごとに契約するフリーランス形式の体制に移行したりと工夫しています。正社員として働き続けたかったスタッフは多くいましたが、当時はコロナの影響で撤退する会社が相次いだこともあり、雇用形態の変更に反発するスタッフはいませんでした。

(Photo :Noer Nabila )

会社の経営でも苦労はしてきましたが、これまでで1番大変だったと思う仕事は、ある映画作品のコーディネートです。テレビ番組のコーディネートは1週間程度なのですが、映画のコーディネートは人数も時間も大規模で、このときは1か月半ほどかかりました。その間、バリ島在住者である私は自宅に帰れると思っていたのですが、なんとホテルに43泊することに。当時、子どもがまだ1歳だったので、長期間の拘束は本当に大変でした。クルーの数も多く、日本人スタッフ50人、地元のスタッフ50人の計100人をまとめるのはハードでしたね。

コーディネートの仕事が入ると、このように生活リズムが一変しますが、普段はここまでハードではありません。6時に起きてお弁当を作り、7時半に子どもを送り出すことからはじまります。そのあと家事を済ませ、スタジオ撮影がある日は10時に出社。18時まで仕事をして帰宅するというのが基本スケジュールです。ロケーション撮影がある日は、早朝に家を出ることもありますね。

「バリだから仕事をするのが難しい」という感覚は、あまりありません。撮影スタジオ会社は、育成したスタッフが独立してしまいがちなのが難しいところですが、これは日本でも同じことです。難しいなと思うのは、伝え方ですね。

インドネシアでは「褒めて育てる」文化のため、怒られることに慣れていないんです。最初は、指摘の伝え方で失敗したこともありました。泣かせてしまったり、「こういう言い方をしたらショックを受けてやめてしまうのか」とコミュニケーションの取り方で悩んだこともありました。彼らに成長してほしいと思って伝えているのに、そのことが伝わらないのは歯がゆいです。ではオブラートに包めばいいのかというと、語学力の問題もあり、今度は伝えたいことが伝わりにくいという問題が発生します。今はまず、指摘をする前に褒めたり、お礼を伝え、そのあとに優しく指摘するよう意識しています。

厳しい言い方がそぐわないのはバリ島ならではかもしれませんが、最近では日本でも世代間ギャップとして見られるものでもあると思いますね。

信仰心による芯の強さが
バリ島の人たちの魅力

2005年にバリ島にやってきて、20年が経ちました。「バリ島ならではだなあ」と感じるのは、村のいろいろなところにある「チャナン」の風景ですね。チャナンとは、ヒンドゥー教の方々が日々の感謝を込めて捧げる、花や葉っぱで作られた小さなお供物のことです。ヒンドゥー教の方々がお祈りをしている姿や、公民館のような場所から聞こえてくる、ガムランという民族楽器の演奏もバリ島の日常風景です。今でもその光景を見るとつい、にんまりします。

とにかく宗教が生活と密着しているんですよね。それが新鮮でもあり、時に困惑することもあります。たとえば、葬儀の際、バリ島では家から海へ遺体を「バデ」と呼ばれるお神輿のようなものに乗せて運ぶのですが、そのときに道を封鎖するんです。「ガベン」と呼ばれるバリ島での葬儀はお祭りのように明るく、ガムランの音を響かせながら、村中をパレードします。何か道が封鎖されていると思ったら葬儀だったというのは、日本人の感覚からするとびっくりしてしまいますね。

(Photo : Noer Nabila)

困惑することもありますが、信仰心があるからこその芯の強さも感じます。怒られることに慣れていないというお話をしましたが、そもそもバリ島の人たちはあまり怒らず、パニックになることもないんです。子育ても同じで、親が子どもを強い口調で叱りつけることはありませんし、他人の子に対しても「いいじゃない、それで」と寛容です。もちろん、危険なことは止めますが、レストランで子どもが騒いでいても怒らないですね。「年齢を重ねれば落ち着くでしょう」という考えなのだと思います。学校の先生も、授業中に教室を出ていってしまう子がいても、注意はしません。

こうした育て方には良さもありますが、日本で育つ子どもとは大きく異なります。私の子どもたちは、実家に帰省したときに私の母に指摘されていますね。そもそも、バリでは食事を手で食べることもあるので、お箸を使うこと自体が不慣れなんです。彼らが将来的にどこでも柔軟に対応できるよう、バリ島と日本のどちらの文化も知っておいてほしいなと思いながら子育てしています。

また、旅に出たい

具体的に「こうしたい」という大きな夢はなく、今バリ島でやっている活動が今後も続いていけばいいなと思っています。

ただ、クライアントワークでいっぱいいっぱいな状況が続いているので、今後は自分の想いを発表できる場もつくりたいと考えています。どこか別の国に旅に出て、旅先で撮影することも長らくできていません。まだまだ子どものお世話もありますしね。いずれ、目的なく出かけ、心の赴くままに写真を撮り、何らかの形にできればなと思っています。

私が海外に飛び出したときと時代は変わっていると思いますが、行動が大事であることに変わりはありません。海外で暮らしたい、働きたいという方には、ぜひ「行動あるのみ」と伝えたいです。お金がなくても、ないなりに何とかなります(笑)。命さえ守れれば、行って後悔することはないというのが私の考えです。年齢を重ねていくと、だんだんと慎重になってくるもの。若いうちは行動のハードルが低いので、「行け―!」とエールを送りたいですね。

もちろん、ネガティブなこともあります。私も旅中に財布を盗られたり、男性にしつこく近寄られて突き放すのが大変だったこともありました。でも、それ以上にいい出会いや経験があったから、旅することをやめなかったのでしょう。「かわいい子には旅をさせよ」ならぬ、「若い子には旅をさせよ」ですね。若いからこそ吸収できることを、存分に吸収してほしいです。裕福でなくても、楽しそうに笑いながら過ごしている現地の子たちを見て、気付ける日本のありがたみもあるのではないでしょうか。

旅をすれば、何かしらの気付きがあります。だからこそ、また旅に出たくなるんですよね。私は今、地球のはじまりを感じられそうな、ノルウェーに行きたいと思っています。以前お仕事をご一緒した監督がノルウェーの話をしてくれたのですが、その話を思い返すたび、自分の目で見てみたいという気持ちが湧いてきます。皆さんも、ぜひ気になる国があれば、その足で行ってみてほしいです。

(Photo : Noer Nabila)

ー おわりに ー

「他の国に住んで働きたいという方へのアドバイスはありますか?」の問いに、迷うことなく「行動あるのみ!」と返してくださった野嶋さん。ご自身の歩んできた道のりからも、非常に説得力のある一言でした。迷うくらいなら、まずは一歩を。海外暮らしだけに留まらない、人生にとって大事なアドバイスです。

PROFILE

野嶋姫佐(のじまひさ)
PT.MEDIA BOX BALI 代表
フォトグラファー

和歌山県出身。大阪フォトスタジオ林カメラマンに師事後、フリーのアシスタントとして多数のカメラマンから写真について学ぶ。仕事の合間にバックパッカーとして世界を旅するうちに、英語力を現地で磨きたい想いが募り、2002年にサイパンへ。その後、縁あってインドネシア共和国・バリ島に居を移し、定住。撮影会社を経営しつつ、自身でも撮影を続けるほか、バリ島在住の日本人として、映画・テレビ番組の現地コーディネーターとしても活動。

NICONICO STUDIO:https://www.instagram.com/niconicostudio/

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