
ねぶた師を志して4年目の2012年にデビューを果たした北村麻子(きたむらあさこ)さん。6年目には史上最速で最高賞である「ねぶた大賞」を受賞し、その後のプレッシャーや苦難を乗り越えながら、原点に立ち返ってきました。連載2回目となる今回は、北村さんや青森の人たちにとってのねぶたの魅力、コロナ禍を経て変化したねぶたへの想い、2025年に制作した「役小角(えんのおづぬ)」のテーマ選びなどについて、株式会社クリエイターズマッチの代表取締役の呉京樹(ごけいじゅ)が引き続きお話を伺いました。
ねぶたは青森の夏の象徴
呉:青森に見に行ってみて、町中の人が本当にねぶたを好きなんだなと感じました。あの熱量の高さはいったい何なんだろうと。青森の方、そして北村さんご自身にとって、ねぶたとはどういった存在なのでしょうか。
北村:すごく難しい質問ではありますが、理由のひとつとして、青森が雪深い土地柄だからということがあるのかもしれません。青森の人にとって、夏はものすごく短いんです。長い冬を、雪かきをしながら耐え忍び、夏が来るのを待っている。だから、雪が降らない土地の人よりも、夏が来た喜びが大きく、蓄積されたパワーが強いのではないかなと。
具体的に「どこが好きなのか」と聞かれると、答えるのは難しいなと思います。和紙を通して電球のあかりが見えるあの感じは独特で、気持ちを持っていかれる感じがするというか、人を虜にする雰囲気があると思うんですよね。ねぶたに限らずですが、心から好きなものは、その理由を上手く説明できなかったりしますよね。それに近い感覚です。
呉:生活の一部みたいな。
北村:そうですね。ねぶた囃子の太鼓がドンっと鳴り響いた瞬間、なぜかわからないけれど涙がでてしまいます。何の涙なのかはわからないんですけど、泣いちゃうんです。

呉:あの音でねぶた祭がはじまりますもんね。ねぶた師になる前となったあととでねぶたとの向き合い方に変化はありましたか。
北村:やっぱり変わりましたね。なる前は純粋に祭りを楽しめる部分があって、正直そのころの方が楽しめていたかなと。今は「ねぶた師・北村麻子」として責任を持っていろいろな仕事をしていかなければなりませんから。背負っているものが大きいので、何も考えずに楽しむというわけにはいかないですね。
呉:逆に、制作側になったことでこれまでにはない快感みたいなものはありましたか。
北村:私の場合はまだ怖さの方が大きいです。青森の人たちは、本当に見る目が厳しいんですよ。はっきりとした意見を言ってくださる方が多くて。審査員のように、自分たちで順位を付けるくらいなので、その怖さがすごくありますね。
呉:そうなのですね。実際、ねぶたの審査ってどうされているのでしょう。僕もデザイナーの端くれとして、今年実際に見ながら「どこが評価ポイントなのかな」と気になっていました。
北村:難しいですよね。スポーツのように明らかな1位が目に見えてわかるものではないですし、結局は好みも多少入ってくるでしょうし。
呉:1対0で勝ちましたと言えるものでもないですしね。おっしゃる通り、デザインやアートの世界は、やはりどうしても好みもあると思います。
勝つことだけがすべてじゃない
呉:ねぶた制作についてもお聞きしたいです。どういった作品にするのか、毎年テーマを考えて作られていると思いますが、今年はどのようなテーマをもとに制作されたのでしょうか。
北村:今年は『役小角(えんのおづぬ)』と呼ばれる修験道の開祖を題材にしました。修験道は山に入って精神を鍛えますが、その根底には自然を慈しみ、そのなかに身を置かせてもらって生きていくという姿勢があります。今年から、ねぶたでは県産材や再生材を使用する取り組みなど、環境問題に配慮した動きがありまして、持続可能なお祭りにしていかなければならないという想いから選んだ題材でした。
呉:そうした背景があって選んだテーマだったのですね。コロナ禍でねぶた祭りが中止された時期もありましたが、そのときに何か考えられたことはありましたか。
北村:2年ほど制作できない時期があって、やっぱりそのときはいろいろ考えましたし、転機になりましたね。デビューからコロナ禍で中止になるまでの期間は、本当にいそがしくて、ただただ毎年ねぶたを仕上げることで精いっぱいでした。そのため、自分にとってねぶたとは何かと考える暇もなくて。
父が勝ちにこだわる人だったこともあり、私も賞を取らなければという思いが強く、がむしゃらに続けてきたんです。それが、コロナ禍により作れなくなったことで、当たり前にねぶたを制作できることがどれだけ幸せだったのかを思い知りました。やっぱり、ねぶたは単なる競争や勝ち負けだけではなく、人の心に希望を与えられるようなものでなければならないと思い、そこからは「誰かに勝ちたいからねぶたを作る」という考え方ではなくなりました。
もちろん、賞をいただけるということは、それだけ多くの人の心を動かせるような素晴らしいものができたということにも多少なりともつながるといえるでしょう。そう考えると、ねぶた師としては賞を目指すべきだとは思うのですが、でも受賞がすべてではないと今は思っています。
呉:なるほど、目的が変わったということですね。すごく本質的なお話だと思いました。そうした気付きを経て、作品のテーマ選びにも変化はありましたか。
北村:ありますね。「こういうシーンを作りたい」という単純な選び方ではなく、ねぶたから発信できるメッセージ性を重視するようになってきたと感じています。

(Photo:Kyohei Narita)
見えたと思ったら見えなくなる、
ねぶたは奥の深い世界
呉:ねぶた制作の過程において、北村さんが意識されていることについて教えてください。
北村:パッと見たときに印象に残るよう、忘れられないような色遣いで描くことを意識しています。というのも、ねぶたは観客の前を数秒しか通らないんですよ。だから、その数秒間にいかにインパクトを残せるかが勝負だと思っています。まずは下絵を描くのですが、その段階から印象を与えられるかどうかをイメージしています。
呉:下絵は結構描き直されるのですか。
北村:描き直します。何回描き直しているかはわかりませんが、かなり大きな消しゴムがなくなってしまうくらいは描き直しています。
呉:どれくらいの期間で下絵を描かれているのですか。
北村:今は1カ月くらいです。デビュー当時は1枚描き上げるのに3、4カ月かかっていましたが、経験を重ねて早く描けるようになりました。
呉:それでも1カ月はかかるんですね。2024年にはねぶた大賞を受賞されていますが、受賞が決まったときはどんな想いを抱きましたか?
北村:先ほどお話したように、以前ほど賞にこだわっているわけではありませんが、やはり1番いい作品を作りたいという想いはあります。初めて大賞を取ったときは、わけもわからず、がむしゃらに作った結果、それがたまたま評価されたという感じでした。でも昨年は「こうしたい」と狙ったことがきちんと再現できた、取ろうと思って取れた大賞だったんです。だから、初めての大賞受賞時とは違う、本当に自分の実力でつかみ取ったという感覚があって、自信になった受賞でした。「やっとねぶたのことが少しわかってきた」と思ったのですが、やっぱりそう簡単な話ではないですね。ねぶたは本当に奥深くて、やっと姿が見えてきたと思ったら、急に霧がかかってまた見えなくなってしまうものなんです。それがねぶたの面白さでもあると思うのですが。
父も、いまだに毎年挑戦していて、今も「ねぶたのことがわからない」と言います。だからこそ、77歳になっても夢中になってねぶた制作を続けられるのだろうと思います。今年は大賞ではなく残念だった部分があるのですが、まだまだチャレンジできることがある、もっともっといい作品ができるはずだと思って、来年に向けてワクワクしています。

ー おわりに ー
「何がこんなに好きなんだろう」と考え込みながら、丁寧にお話してくださった様子が印象的だった北村さん。好きという気持ちが大きくなればなるほど、その理由を上手く言葉で説明できないという感情は、「わかる」という方も多いのではないでしょうか。次回「楽しむ姿を見せたい」では、ねぶた師として過ごす1年の流れ、今後への想いについて伺います。
PROFILE
北村麻子(きたむらあさこ)
ねぶた師
1982年10月生まれ。父親であり、数々の功績を遺すねぶた師の第一人者、六代目ねぶた名人の北村隆に師事し、2012年に女性初のねぶた師としてデビュー。デビュー作「琢鹿(たくろく)の戦い」が優秀制作者賞を受賞、6年目の作品「紅葉狩」で最優秀制作者賞、ねぶた大賞を受賞するなど、数々の賞に選ばれ、多くのメディアに取り上げられる。近年では、百貨店や企業とのコラボレーション作品の制作などにも精力的に取り組み、ねぶたの魅力を国内外に発信している。
ねぶた師 北村麻子 公式サイト:https://asako-kitamura.com/