2拠点生活で実現した、体力や暮らしに合わせた私らしい働き方

〜thincなひと・高向舞さん×愛媛県&熊本県〜

仕事がしたい。でも、朝が弱く体力もないため、通勤だけで疲れ切ってしまう。そんな弱みがあっても、裁量のあるフリーランスであれば、上手く自分と付き合いながら100%のパフォーマンスを発揮できます。そんな働き方を実践しているのが、今回お話を伺ったフリーランスデザイナー、高向舞(たかむきまい)さん。実家のある熊本県、夫婦で暮らす愛媛県の2拠点生活を送りながら、紙媒体、Webデザインと幅広くデザインの仕事をしています。どのような働き方をされているのか、お話を伺いました。

就活時に方向転換。
興味のあったデザインの道へ

私は子どもの頃から体が弱く、病気がちで学校を休むことも少なくありませんでした。母は、そんな私が心配で、あまり無理に働いてほしいとは思っていなかったようです。でも、私は働きたがり屋で。仕事が好きな父に似ているのか、何らかの仕事をしていたいという強い想いがありました。

小学生の頃から絵を描くことが好きで、デザイン業に興味がありました。でも、受験期にリーマンショックが起こったことで将来が心配になり、事務職系への就職に強い専門学校に進学することを決めました。

好きなことより安定を取った選択でしたが、いざ就職活動がはじまり、具体的な仕事内容を知ったとき、「これは向いていないかもしれない」と思ってしまったんですよね。同じことをするのが得意ではないこともあって、事務の仕事を続けるイメージが持てませんでした。

そこで、興味のあったデザイン業界への就職を目指す方向に切り替えることに。ただ、デザインについて学んできたわけではありませんから、選考はほぼ通らなかったです。どうにか内定をもらったのが看板屋さんで、まずはそこでオペレーターとして働けることになりました。

その会社にはデザイナーがいるわけではなく、もらったデータを印刷してラミネートをかけることが仕事の大半で、デザインは時々携われる機会がある程度。ゆくゆくはデザイナーになりたかったので、自力でillustratorやPhotoshopといったデザインソフトの使い方を学びました。当時はオンラインスクールもなかったですし、専門書は高価で手が届かず……。「図書館に行くしかない」と週に2、3度のペースで通い、本の内容を実践してみる日々でした。

(Photo:Tomomi Ikeguchi)

同時にクラウドソーシングのコンペ案件にも挑戦していました。ただ、なかなか通ることはなくて。採用された作品を見て「こういうデザインが受注できるんだ」と参考にしていることのほうが多かったかもしれません。

この会社は残業が多く、8時半から17時半が定時のところ、入社後まもなくして退勤が22時になり、夜中の1時になりと、どんどん労働時間が増えていきました。ハードワークが続き、過労で倒れてしまったこともあります。それでも、「ここでやめたらデザイナーへの道が途切れてしまうかもしれない」と思って食らいついていました。デザイナーになりたいという想いに加えて、学生時代のアルバイト経験から、接客業に不向きだなと感じました。 だからこそ、デザイン以外に自分が役に立てる仕事がないと思い、それも仕事を続けることができた理由だと思います。あと、みんな優しかったので、ハードでも働きやすかったんです。

結果、この会社に4年勤めました。デザイナーとして本格的に働いていたわけではありませんが、まったくの畑違いから就職を目指した専門学校生時代と比べると、転職活動はスムーズでしたね。広告代理店への就職が決まり、いよいよデザイナーとして働けることに。プランナーが9割、デザイナーが1割という会社でした。

そのデザイナーの方のもとで働けると思っていたのですが、入社前にご退職されてしまって。引継ぎがない状態から働くという大変なスタートを切ることになりました。看板屋時代の業務はオペレーターだったうえ、看板制作以外の経験がないものですから、勝手がわからなかったです。印刷会社から怒られたこともあります。このときも、図書館やインターネットを駆使して乗り切っていました。おかげで、自分で調べる能力がかなり高まったのではないかと思います。この会社も人の出入りが激しく、ハードな環境でしたが、1社目と同じく、4年ほど働きました。

在宅勤務で力を発揮できる自分に気付き、独立

転勤族の夫との結婚をきっかけに、熊本県から愛媛県に転居することとなり、私は愛媛県のデザイン会社に転職。働きはじめて2、3年経ったころ、新型コロナウイルスの影響で、完全リモートワークへと切り替わったことが転機でした。

片道1時間半を要していた通勤時間がなくなったことはかなり大きな変化でした。もともと朝が弱いこともあり、毎日の出勤だけで7割ほど体力を消耗していたのだなと気付かされ、同時に、フルリモートだと100%のパフォーマンスが発揮できるのだと実感しました。また、私はどうやらひとりで黙々と仕事に取り組む方が向いているのだなとも感じ、この経験をきっかけに「フリーランスとして働きたい」という想いが芽生えました。

退職時に伝えたのは「会社を辞めたいけれど、仕事はください」。さすがに「えっ?」と戸惑われましたが、結果的に、退職後1、2年はその会社や2社目に働いていた広告代理店から仕事をいただくことで、フリーランスデザイナーとしての仕事を軌道に乗せることができました。今でも変わらずお付き合いをさせていただいてます。

(Photo:Tomomi Ikeguchi)

こうして独立直後から仕事はいただけていたものの、昔のツテにだけ頼っている状態は良くないという想いがありました。ただ、積極的に営業するのはちょっと苦手で。自分から「デザイナーなんです」と言うこともあまりなく、聞かれたら話す程度です。

そんな私の転機となったのは、日常的に通っていた喫茶店での出会いでした。実家に帰省して、仕事中は引きこもる生活を送っていたため、さすがに人に会いたいなと思って通っていた喫茶店で、店長や常連の方と仲良くなったんです。そのなかには、フォトグラファーや飲食店の方など、さまざまな仕事に携わる人がいらっしゃいました。会話の流れで仕事の話をしたことをきっかけに、いくつもの依頼へとつながりました。

他にも、デザイナーだと話すと、「何ができますか?」と聞かれることがあります。その時は「全部できます」と言っていますね。看板から紙もの、ロゴ、Webサイトやバナーなど、あらゆるデザインの仕事を経験してきたという事実があるので。会社員時代に「できないと言うな」と言われていた影響もあるかもしれません。できないことはないと思っています。

また、転勤族の夫のいる妻仲間の方からクリエイターズマッチを紹介してもらったり、インターネットでフリーランスのマッチングサイトを探して登録したりしました。営業という営業は現在もあまりしていませんが、少しずつ古巣以外からの仕事も請けられるようになっていき、今では新規のお客様が全体の8割ほどを占めるようになりました。

同じところにいると飽きてしまう
フリーだからできる2拠点生活

今の主な拠点は夫と暮らす愛媛県と、実家のある熊本県。大体1カ月おきに拠点を変えています。フリーランスになってからは2拠点生活を続けており、同じところにい続けると飽きてしまうという、私の性格にも合っているライフスタイルです。

2拠点を行き来する生活は、夫、実家の両親ともに良好な関係性を維持するのに役立ってくれているなとも感じています。ずっと一緒に住んでいると、ちょっとしたことで喧嘩になってしまったりするじゃないですか。実際、私が今の生活スタイルになってからのほうが、夫との関係もより良好になっています。両親とも、今が1番いい距離感で付き合えていると思っています。

愛媛県と熊本県を毎月移動するだけではもったいないため、間で友人や夫と旅行に行くこともあります。だいたい毎年2カ月に1回ほど旅行していますね。5月に沖縄県、6月にハワイ、そこから3週間後にまた沖縄県に戻ってくるなんていう旅程を組んだこともありました。

(Photo:Tomomi Ikeguchi)

以前に夫と、愛媛から1週間ほどかけて、徳島 、滋賀 、富山 、新潟 、山形 、宮城 、栃木 、静岡 、奈良を車で巡り、岡山で解散するという旅行をしました。若いうちだからこそできるおもしろいことをしたいね、と。運転は夫がしてくれていて、私は移動中の時間を使って仕事をしていました。旅先でお土産品のデザインや、パンフレットを見るのが好きなんです。インターネットで調べられるものもありますが、実際に実物を見たほうが、何となく自分のなかに残るものがあるような感じがします。

健康的に働き続けられる生活を

お話してきたように、私は会社員時代の働き方がハードだったため、フリーランスになってからしんどかったと思うことがあまりありません。ただ、去年は繁忙期に過労で寝込んでしまうこともありました。フリーランスは体調を崩すとクライアントに迷惑をかけてしまいますし、収入にもダイレクトに直結します。だからこそ、今は疲れたらこまめに休むようにしています。旅行でも、行程を詰め込み過ぎないようにして、疲れを感じたら「また今度来たときにしよう」と旅程の変更を柔軟にするように心がけています。

仕事に関しては、オーバーワークへの耐性が付きすぎてしまっているからか、「やって」と言われたらつい引き受けてしまうところがあるんです。でも、それで倒れてしまっては元も子もありません。ありがたいことに私はクライアントに恵まれていて「仕事が詰まっているタイミングだったら、断ってくれて構わないからね」と言っていただけています。そして、もし断ったとしても、今後の依頼がなくなるといったこともありません。ありがたいことですよね。

仕事をするうえで意識しているのは、クライアントのタイプ、要望に合わせること。たとえば完成度を100%で出してほしい人もいれば、60%程度でいったん出してほしい人もいます。また、求められる連絡頻度もクライアントによってまちまちです。人によって違いがあるものは、私からそれぞれのスタイルに合わせにいくようにしています。

あと意識していることは、公私ともに、なるべく幅広い年齢の方と話すことと、本を読むこと。エンドクライアントの考えにアンテナを張り、デザインの幅を広げるべくがんばっています。また、映画の予告編を見てストーリーを予想したり、何らかのランキングを見て流行をキャッチし、その背景について考えたりするのも好きです。インプットは意識して行っているので、今の課題は仕事以外でのアウトプットする場をつくることですね。

(Photo:Tomomi Ikeguchi)

朝が得意なほうではありませんが、今は8時までに化粧と洗濯物を終わらせて、朝ドラを見るというルーティンで生活しています。愛媛県にいるときは、そのあとに近所のカフェに行って朝ごはんを食べ、11時まで仕事タイムに。帰り道に産直市場で昼食と夕飯の材料を買って帰宅し、お昼ご飯を食べたあと、夕方まで仕事をするという1日を過ごしています。この習慣ができる前は、5日間まったく外に出ない日もあったんです。それは健康に良くないと思い、外に出る予定を組み込みました。

地域に貢献できる仕事をした

私がデザインで1番大切にしているのは、「伝わる」ことです。依頼された商品やイベントなどの情報を、制作物を見ただけで正確に伝わるデザインを心がけています。伝えるために必要な表現、色使い、文字の大きさなどは、伝えたい相手の性別や年齢によって変わりますし、情報の堅さ、カジュアルさによっても変わります。

そして、きちんと伝えることができれば、イベントの集客や商品の売上という目に見える形で成果が出る。デザインは成果を出すためのお手伝いをするものだと思っているので、数字に表れるのはデザイナーにとっても嬉しいことです。「第1回 全日本金魚飛ばし選手権」というイベントの告知チラシやリーフレットの制作を担ったときには、「チラシを見て来ました」と言ってもらえて嬉しかったですね。私がいろいろな性別、年齢の人と話すようにしていたり、流行の背景を考えるのが好きなのは、このように依頼者の成功を手伝える仕事をしたいという想いがあるからなのかもしれません。

(提供:高向舞さん)

クライアントワーク以外の仕事に携わる機会は現在もありますが、今後はさらに増やしていきたいと思っています。何でもできるからこそ、トータルでブランディングする仕事がしたくて。ゼロから何かを作るというより、今あるものがより売れるようなデザインを手掛けたいと思っています。

また、2社目に働いていた広告代理店が地域コンペをやっていたことに影響を受け、地域に何らかの形で携わっていきたい想いもあります。熊本県の「KAWACHIBASE―龍栄荘―」という地域に人を呼ぶ取り組みを、縁あって手伝わせてもらっていて、いずれ自分でも何か取り組みたいなと思っているんです。ただ、地域活性化はデザインだけでは難しいとも思っています。地域によってはデザインの価値が認識されていない場面も多いので、他の領域まで手を広げ、デザインに価値があることを伝え、理解してもらう必要があるなと。

この想いを実現するにあたって、今の自分に足りないのは、仕事での人との関わりだと思っています。威圧的な人だとどうしようという不安があり、トラブル回避のために打ち合せでも間に人に入ってもらってきました。ただ、やはり間に人を介すと、どうしても意思疎通がスムーズにいかないところが出てきます。地域の仕事に関わっていくためにも、自分の言葉で信頼してもらい、意見を受け入れてもらえる説得力を身に付けたいと思っています。

仕事によっては法人格が必要なものがあり、クライアントワーク以外に挑戦することを考えると、いずれは法人化したい想いもあります。法人でなければ出られないコンペも多いですし。

働きたい、でも体力がないという弱点を埋めてくれたのが、フリーランスという働き方でした。私は運が良かったということもありますが、運を呼び込めるラインに立つための努力はしてきているとも思いますし、これからもし続けたい。体力に無理をせず、でも法人でなければできない仕事への挑戦ができるという、自分にとって良い形が見つかればなと思っています。

(Photo:Tomomi Ikeguchi)

ー おわりに ー

「私自身があまり人に聞きたくないタイプ。話下手、人見知りだからこそ見ただけで伝わるようにデザインするのが得意なのかもしれません。デザイナーは私のような『陰キャ』の天職かもしれないですね(笑)」と語ってくださった高向さん。自分についても冷静に分析し、強みと弱みを把握してセルフコントロールしているからこそ、フリーランスデザイナーとして活躍できるまでに至れたのでしょう。「働きたいけれど、体が弱い」「会社員という働き方に向いていない」という方にとって、高向さんのお話は励みになるエピソードが盛りだくさんだったのではないでしょうか。

PROFILE

高向舞(たかむきまい)
デザイナー

熊本県出身。2018年より愛媛県へ移住。広告代理店やデザイン会社でグラフィックデザイナー業を9年勤め、 2020年よりフリーランスのグラフィックデザイナーとしてスタート。県、地方自治体、学校関連、民間企業のパンフレットやガイドブック、雑誌、広報誌、ロゴデザイン、WEBデザインなどさまざまなデザインを担当。2022年からクリエイターズマッチの制作パートナーとして活躍中。

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