インドネシア共和国・バリ島で暮らすフォトグラファー、野嶋姫佐(のじまひさ)さん。ウェディングや旅行者の撮影をする撮影会社の経営者であり、映画やテレビ番組のコーディネーターの一面も持つ、多様なキャリアの持ち主です。
フォトグラファーを志した理由、活動拠点をバリ島に決められた経緯についてお話を伺いました。
アルバイト先の花屋で
カメラに出会った
私は和歌山県出身で、高校卒業後は、京都の短大へ進学しました。芸術学科で洋服などのデザインを学ぶうちに、「自分にとって、服は着心地が良ければいい」という価値観にたどり着いたのです。そこから、服飾業界への就職は目指さず、就職活動もほぼせずに卒業。その後は、花屋でアルバイトをはじめました。
その花屋には一眼レフカメラが置いてあり、「暇なときは自由に撮っていいよ」の言葉を受け、写真を撮るように。これがカメラとの出会いです。花は好きだったのですが、働きはじめて1年を過ぎたころ、将来を考えるようになりました。その中で写真を撮る楽しさに気付き、フォトグラファーを目指そうと思うようになりました。

フォトスタジオに入りたかったのですが、専門的に学んだ経験がないため、なかなか入門先を見つけられませんでした。そんな中、初心者OKのブライダル会社に出会い、入社。フォトグラファーとしてのキャリアをスタートしました。
その後は大阪のスタジオに入り、卒業後はフリーランスとして、さまざまなフォトグラファーのアシスタントを担当しました。多くの方の元で経験を積んでいくなかで次第に撮影を任せてもらえるようにもなりました。学校関係のチラシ撮影やブライダル撮影など、少しずつ現場に関わる機会が増え、フリーランスとしての活動も軌道に乗っていきましたね。
最初にブライダル会社に入れたことで、収入は安定していました。そこから仕事が増えていったため、収入も増加。これまで国内旅行をしていましたが、次第に海外にも行ってみたい気持ちが芽生え、お金を貯めて、旅に出るようになりました。
お金の使い道が旅だったのは、小学生の頃の体験がきっかけだったのかもしれません。小学校6年生のとき、親友と二人で私の叔母が住むハワイに行ったんです。はじめての海外旅行でした。中学生になってから行っていれば、もう少し学びにもつなげられたのかもしれませんが、小学生だった私たちは2週間ほど毎日ワイキキビーチで泳いでばかりで。ただ、これが旅を好きになる原点だったように思います。
学生時代には、バイクを買って大阪から北海道まで日本縦断の旅へ出ました。フォトグラファーになってからは、バックパッカーとしてアジアやヨーロッパ、オーストラリアなど10か国ほど巡りました。そのなかで、自身の英語力の未熟さを感じるようになっていったんです。みんな笑っているのに自分だけは笑っている理由がわからず、悔しかったですね。私の場合は、日本国内で英語を学ぶよりも英語圏の国で覚えたほうが身に付けられるだろうと思いましたが、観光ビザではどうしても滞在期間が限られていて、英語を習得するには時間が足りません。
そこで、「撮影スキルがあるのだから、英語圏の国で仕事ができればいいんじゃないか」と思ったんです。英語圏・撮影の仕事ができる・就労ビザを出してもらえるという条件で調べたところ、出てきたのがサイパンでした。日本人のいる現地法人だったこともあり、すぐに応募して就職を決めました。
ここから、私の海外暮らしがはじまりました。就労ビザを出してもらえれば、長くその国に住むことができます。働ける間、当面は異国で暮らしていたいなと思っています。老後はわかりませんが、今のところ日本に戻るつもりはありません。
心地の良さに惹かれ
バリ島を拠点に
今、私はインドネシア共和国・バリ島で暮らしています。きっかけは、 サイパンで出会ったビデオグラファーから「これからバリ島はすごいことになるだろうから、おいでよ」という誘いでした。このときは、まさかバリ島が自分の拠点になるとは思ってもいませんでした。いろいろな国で、多くのことを知りたいという気持ちが強かったため、サイパンからグアムへ、そしてバリ島に移り住んだという経緯があって。そのため、バリも通過点のひとつのつもりだったんです。
でも、行ってみたら思いのほか居心地が良かったのです。インドネシア語は英語よりシンプルで読み書きの習得が比較的容易でしたし、気候や食べ物、植物、人の雰囲気がどこか沖縄県に似ていて。宗教的な違いはありますが、海外にいるという感覚があまりなく、日本の離島に住んでいるような安心感がありました。そんな心地良さに惹かれて、バリ島をベースにして、他の国には遊びに行くくらいでいいかなと思うようになったんです。
バリ島を拠点にしようと思うようになった背景には、親を安心させたいという想いもありました。最初は娘の海外チャレンジを応援してくれていた親も、次々と国を移る様子を見て、「これからのことをどう考えているのか」と心配する発言も出てくるように。さらに、あるとき父の病が判明し、あらためて自分が何をしたいのかを見つめ直すことになりました。
帰国して近くにいた方がいいのかと思う気持ちもありましたが、それよりも地を固めたいという想いがありました。その頃、勤めていた会社のオーナーがリタイアを考えていたため、そのタイミングで会社を買い取り、引き継ぐ道を選択。そして、バリで起業をしたいこと、お付き合いしていたインドネシアの方と結婚したいことを親に伝えました。「孫の顔も見せたい、そうしたら父が元気になる」とも思ったんです。もしかしたら、親は「日本に帰ってきてほしい」と思っていたかもしれませんが、私の選択を受け入れてくれました。

「このまま、バリ島で生きていきたい」と思ったのは、それだけの魅力がバリ島にあるからです。暮らしの面でもそうですし、仕事の面でも自分に合っていると感じました。日本ではフォトグラファーの数が多く、キャリアを積むほど、「ブライダル専門」「コマーシャル撮影専門」など、専門分野が細かく細分化されるのが一般的です。バリ島にいると色々なジャンルの撮影依頼があるので、それも飽きない理由のひとつかもしれません。
そもそも、フォトグラファーを続けてこられたのも、まったく同じ仕事がないからだと思います。ロケーション撮影では、季節や天候によって雰囲気が変わりますし、日本とバリ島とでは光の質が違うのもおもしろい。観光の方の撮影では、バリ旅行を心から楽しんでいる方と、一緒にその時間を共有できることも魅力です。
バリ島には日本人フォトグラファーが少なく、日本人旅行者の撮影では、母国語でコミュニケーションを取りながら撮影ができることを喜んでもらえます。写真を受け取ったお客様から、「宝物です!」と言ってもらえるのも私の喜びです。
一方、広告撮影は、直接言葉をもらう機会はないものの、多くの方に見ていただけるのがやりがいにもなっています。いろいろな撮影依頼をいただけることで、それだけ喜びの種類が増え、仕事に飽きることがなくなるのです。
また、映画やテレビ番組などの撮影のコーディネートという、日本にいたら経験できなかったであろう仕事ができることも、長年バリ島にいるからこそ、いただけているお仕事のひとつです。フォトグラファー以外の仕事に挑戦できることも楽しく、バリ島で働き続ける理由になっています。

日本とバリ島
良くも悪くも違いが楽しい
バリ島暮らしは日本の離島暮らしに似ているとお話しましたが、大きな違いは「宗教をしっかり持っている」ということです。インドネシア全体では約90%がイスラム教なのですが、バリ島は例外で、ヒンドゥー教の方が大半です。そのため、バリ島以外のインドネシア地域に行くと、雰囲気の違いを強く感じます。ただ、イスラム教もヒンドゥー教も、祈りを大切にしていることは同じですね。お祭りや家族の大事な日には、宗教行事のためにリクエスト休暇を取り、お互いの宗教を尊重し合っています。
沖縄県でも似た話が知られていますが、バリ島には「バリ時間」という言葉があるんです。例えば、バリ島の人に「明日行くね」と言われた場合、その「明日」は「翌日」とは限らず、1週間後かもしれません。「10時に会おう」と約束しているのに、家を出るのが10時というゆるさです。遅刻の理由はだいたい「渋滞」。最初はそうしたルーズさにモヤモヤさせられたこともありましたね。精神的にゆるやかでいいなと思いますが、仕事のときは「もっと真剣に考えてください」と思うことはあります(笑)。
私には子どもがいますが、教育方針も日本とは少し異なります。日本よりゆるく、のびのび成長できる環境ですね。日本の大企業が進出している国や地域には日本人学校があることが多いのですが、バリ島にはありません。その代わり、「バリ日本人会」がバリ日本語補習授業を主宰してくれています。入会することで、子どもたちは平日夕方に国語や算数を日本人の先生から学ぶことができるのです。子どもたちにはバリ島と日本、両方の文化を感じながら育ってほしいと思っているので、とてもありがたいですね。日本人会はバリ島在住の日本人が、日本文化の紹介や普及などを目的に活動しており、同じようにバリ島で暮らす日本人同士を繋ぐコミュニティにもなっています。
日本人会では他にも、インドネシア共和国の法律に詳しい弁護士への相談会のお知らせをいただけたり、新たな知人ができたりと、心強い面が多くあります。コロナ禍においても、こうした繋がりは支えになりましたね。異国の地で暮らすうえで、現地のことに詳しい人、情報を交換できる人とのつながりはとても大切なものだと思っています。

ー おわりに ー
「同じだと飽きてしまう」性格の野嶋さんが出会った、フォトグラファーという仕事。バックパッカーという旅のスタイルに加え、場所を問わず働けるというフォトグラファーの強みを活かし、「英語を身に付けたい」というきっかけで海外へ飛び出したというエピソードから、野嶋さんのバイタリティを感じました。後編「旅をすれば、自分が変わる 」では、現在の仕事の割合や今後の展望についてお話を伺いました。
PROFILE
野嶋姫佐(のじまひさ)
PT.MEDIA BOX BALI代表
フォトグラファー
和歌山県出身。大阪フォトスタジオ林カメラマンに師事後、フリーのアシスタントとして多数のカメラマンから写真について学ぶ。仕事の合間にバックパッカーとして世界を旅するうちに、英語力を現地で磨きたい想いが募り、2002年にサイパンへ。その後、縁あってインドネシア共和国・バリ島に居を移し、定住。撮影会社を経営しつつ、自身でも撮影を続けるほか、バリ島在住の日本人として、映画・テレビ番組などの現地コーディネーターとしても活動。
NICONICO STUDIO:https://www.instagram.com/niconicostudio/
