レゲエで未来の種を蒔く
<ぶらさず歌い続けた20年>
〜thinc なひと・レゲエアーティスト RUEEDさん×神奈川県横須賀市〜
兄の影響で出会った、音楽の世界。レゲエに魅了され、15歳でマイクを握り、すでに20年以上のキャリアを持つレゲエディージェイ(Deejay)、RUEED(ルイード)さん。19〜20歳の頃にはレゲエの本場・ジャマイカに足を運ぶなど、精力的に表現活動を続けてこられました。RUEEDさんとレゲエとの出会い、20年の軌跡について伺いました。
衝撃を受けた音楽との出会い
親や兄の影響で、幼少期は流行りの歌謡曲をよく聴いていました。中学1〜2年生ぐらいからは、兄が実家に置いていったミックステープを聴きあさるようになり、徐々にヒップホップへと心惹かれていきました。ですが、当時はサッカー少年で、「自分でやりたい」と思うほど音楽にのめり込んではいませんでした。
そんな自分に大きな衝撃を与えたのは、兄にチケットをもらって行ったキングギドラのライブです。今まで自分が聴いてきた歌謡曲とは違うインスピレーションを受けたといいますか。いま思うと、歌詞や姿勢の強さにも心を打たれたのかなと思います。間違っていると思うことに対して、「間違ってる!」とここまでストレートに言っていいんだと驚いたんです。当時は「なんだこれ、すげえ、かっけえ!」と圧倒されるばかりでしたが、そこにあるメッセージ性に強く惹かれたのだと感じています。
DJがターンテーブルを操る姿にも衝撃を受けました。当時は音楽番組が盛り上がっていた時期で、DJ特集が組まれることも多くありました。番組を録画して眺めているうちに「これは奥深いぞ」と魅了され、サッカーから音楽へと傾倒していくように。中学2年生のときに兄から誕生日プレゼントでターンテーブルをもらい、スクラッチDJを目指すようになりました。
入口はヒップホップでしたが、徐々にレゲエへと趣味が移っていきました。ヒップホップのレコードを買いはじめ、わからないながらレゲエのレコードも手に取るようになったんです。人前でパフォーマンスしていると、横須賀という土地柄もあってか、レゲエをかけているときのお客さんの盛り上がりがすごくて、その様子に快感を覚えたんですよね。
当時の自分を取り巻いていた人たちも、レゲエのレコードをかけるクルー(グループ)たちが多かったです。レゲエシーン自体にも勢いがあったため、自然とレゲエに引き寄せられていきました。なので、「これからはレゲエでいきます!」ときっぱり区別したわけではないんです。僕らの世代は、自分を含めハイブリッドな感性を持つ人が多いんじゃないかと思います。僕はヒップホップとレゲエだけじゃなく、ラップの影響も受けているところがありますし、幼少期に親しんだ歌謡曲の影響ももちろんあると思っています。こうした音楽性が混じり合う中での、ルーツの主軸がレゲエだという感じですね。
学生時代、音楽について話せるのは2〜3歳上の先輩たちが多かったです。同年代と趣味が少し違うことに対しては、何も思わなかったです。ちょっとあまのじゃくなところがあって、人と違うことをやりたい性格だったので。むしろ知らない人に布教していく感じでした。
お小遣いでレコードを買いはじめたものの、アルバイトのできない中学生には買うにも限度があります。それで、中学2年生くらいから自分でリリック(歌詞)を書きはじめたんです。書くのに必要なのは紙とペンだけで、お金がかかりませんから。
最初に書いた曲がどんなものだったのか、はっきりと思い出せません。ただ、いろいろなことを言いたい気持ちが強すぎて、まとまりのない曲になったことは覚えています。2曲目、3曲目と書き続けることで、だんだん表現の取捨選択ができるようになりました。「こういうことを伝えたいときは、ここにフォーカスしたらいいんだな」と、1曲に込めるトピックの解像度を上げられるようになったのです。
伝えたいことの根本は、今と変わらないなと思いますね。ただ、曲で訴えていることは全然違います。当時作った曲を聴き返すと、あの当時の自分にしかない、根拠のない自信が全面に出ているなと思いますね。

初ステージに立ったのは15歳のときです。めちゃくちゃ緊張しましたね。正直、最初のライブの記憶はあまりないのですが、「こんな短いフレーズで噛む?」と思うぐらいのところで噛んじゃうぐらい緊張したことだけは覚えています。同時に、ライブでしか得られないものを体験してしまった瞬間でもありました。それ以来、学校でも音楽のことを考えてしまうようになったんです。中学を卒業する頃には、「もう俺は音楽で食っていくぞ」という気持ちになっていましたね。
レゲエに出会えたきっかけは兄ですが、没頭する決定打になったのは、横浜市出身のアーティスト、RUDEBWOY FACE(ルード・ボーイ・フェイス)の存在です。中学生時代に彼の音楽に出会って好きになり、聴き続けてきたんです。レゲエ好きのアーティストで、日本人離れしたビジュアルや唯一無二の声、楽曲のかっこよさに強く惹かれました。自分にはない感性を持つ彼に一種の憧れがあり「何とか認められたい」と猛アプローチをしました。18、19歳の頃にちょっと構ってもらえるようになって。気付けば彼が代表を務めるレーベル『Magnum Records』に所属できるようになったんです。
これも若さゆえですよね。根拠のない自信があったからこそ、憧れのアーティストに対しても自分のイケていると思えるところをアピールできたんだろうなと。RUDEBWOY FACEは常にひとりのアーティストとして僕と対等に向き合ってくれました。自分のステージに僕を呼んでパフォーマンスの時間を与えてくれたりするような方だったのもありがたかったです。今も交流のある、かけがえのない方ですね。
いざ、レゲエの本場へ
レゲエの本場はジャマイカです。僕が中高生の頃は、ヒップホップシーンで「何がリアルで何がフェイクか」といった論争がありました。それと同じような論争がレゲエにも大なり小なりあり、「ジャマイカに行ったことがないなんて、話にならない」といった風潮があったのです。
とはいえ、10代が簡単にジャマイカに行けるわけではありません。そこで、今できることからはじめようと考え、独学でパトワ語の習得を試みました。本場志向も多少はありましたが、それ以上に「もっとレゲエのことを知りたい」という衝動が大きかったように思います。
18歳のとき、『Road to 横浜レゲエ祭』に出場し、最年少優勝を果たしました。この結果が「ジャマイカに行かなければ」という最後の一押しに。優勝したことで、レゲエが自分の仕事になっていくのだという自覚が深まりました。そして、この道で食べていくならいち早く本場の文化に触れるべきだ、と思ったんです。

はじめて訪れたジャマイカでカルチャーショックを受けました。常識も生きる感覚も、バイタリティーも日本とは全く違う。学ぶべきことが数多くある一方で、多くの人が貧困に直面している現実も目の当たりにしました。こうした背景を知り、この小さな島国で生まれた音楽が、遠く離れた日本で多くのアーティストを突き動かしている事実の凄さを痛感したのです。現地の暮らしを知って以降は、支援活動にも携わっています。ハリケーンや震災の被害を受けて困難な状況にある人たちにも、自分の歌でポジティブに生きられる材料を渡せたらいいなと思って。活力を少しでも与えられるアーティストでありたいんです。
ジャマイカで本場のレゲエを聴き、日本のものは、咀嚼されて「日本のレゲエ」として独自に成長しているとあらためて気付かされました。ジャマイカのレゲエはジャマイカならではの土臭さがあり、尖り方も日本のレゲエとはまた微妙に違うんです。日本のレゲエとも、イギリスのレゲエとも少し違う音の重厚感、強さ、尖り具合があるんだなと。
RUDEBWOY FACEはそのジャマイカのレゲエの影響を色濃く受けてアウトプットしているアーティストです。ジャマイカでレゲエを聴いていると、彼の表現が現地の音とすごくリンクしているのを感じましたし、自分の音楽性に影響を与えたなと思います。自分の中の「かっこいい」「イケてる」という定義、目指す方向性が徐々に明確になっていく感覚がありました。
「かっこいい」をあえて言語化すると、「ぶれない」「媚びない」かな。ジャマイカのアーティストからもRUDEBWOY FACEからも、自分をちゃんと表現する強さを感じていて、そこが非常に魅力的だなと思うんです。自分もそうありたいなと。加えて、自分の歌が種となり、いろいろな人にきっかけを与えるものとして昇華していきたい気持ちがどんどん強くなっていきました。
時代の遍歴の波をうまく乗りこなしていく人もいますが、個人的には、芯の部分がブレない人を「かっこいい」と感じます。その人がその人であり続けている姿が変わらない人というか。そうした人であるために必要なのは、「自分に対して素直であること」というのが僕の考えです。自分自身と腹を割って、対話すること。対話の末、納得して生まれた表現であれば、周囲から「変わった」と思われたとしても、その人らしさからブレたものではないと思います。
クリエイターとして、不安に駆られる瞬間がないわけではありません。どちらかというと考え込んでしまうタイプなので、「考えすぎは良くない、自分を信じ抜こう」と自らに言い聞かせることもあります。曲に限らず、制作物は永遠に作り続けることができてしまうものです。だからこそ、どこかで「完成」という線を引かなければなりません。楽曲をリリースするということは、これが今の自分だと区切りをつけることなのだと知り、その大切さを学びました。10年前の楽曲を聴いて拙さを感じたとしても、その時にしか出せない表現が真空パックのように閉じ込められています。そんな過去の自分も愛していけたらいいなと思います。

光を感じられる曲をつくりたい
若い頃は勢いと自信に溢れていたので、理想と自分のアウトプットに差があっても、それに気付く暇すらないほど食らいついていました。なので心が折れることなんてなかったんです。キャリアを重ね、当時より理想とのギャップが見えるようになった今でも「折れた」ことはありません。自分の中で「折れる」という設定を設けていないという感じですかね。ある意味、考えすぎてしまう自分をごまかしている瞬間があるのかもしれません。弱気になったら、どんどん負のスパイラルに入ってしまうのはわかっているので。
楽曲制作でも、ネガティブな感情だけが残るものにならないように意識しています。闇を抜け出すきっかけとなる、一筋だけでもいいから光が差し込む曲にしたい。ずっと愚痴を言っているだけの楽曲はあまり作らないようにしています。
曲をリリースすると手厳しい感想をいただくこともあります。自分のメンタルに悪影響になってしまうものは意識的に避けていた時期もありました。しかし、キャリアを重ねた今は「この曲、あまり良くなかった」と言われるほうが、無反応よりずっといいと思いますね。厳しい意見は少なからず期待されているからこその反応だと思うので、無関心のほうがつらいです。
ネガティブにフォーカスしたくないのは、元の性格に加え、兄の影響が大きいのだろうと思います。中学時代から注入されてきた兄イズムが自分の中にあるなと。具体的に「こう言われていた」ということはないのですが、ブーメランの法則は兄から学びましたね。「放った言葉は同じだけ自分に返ってくるから、10の悪意より10の善意を伝えていこう」というマインドセットなどは、兄の影響を受けて培われたものだと思います。この気持ちで作った歌のほうが、聴く人も自分もハッピーだなと。
ポジティブでありたいからといって、全方向に丸くなって誰も傷つけないように歌うのは、また違った話です。「この現状、ずっと変わってないよね」と社会に問題提起し、気付きのきっかけをつくれるのは、レゲエの根幹であるレベルミュージック(反抗の音楽)の大切な要素だと思うので。違和感には声を上げ、楽しむときは一緒に楽しみ、いいものは惜しみなくシェアする。根本的な部分でポジティブなものを歌に入れ込みたいです。
とはいえ、歳を重ねていくなかで、自分も丸くなったなとは思っています。ですが、それも悪だとは思っていません。尖っているからこそ折れる脆さもあり、丸だからこそ尖りを粉砕できる強さもあるんじゃないかなと。この丸の強さをきちんと表現できたらいいなというのが、今の考えですね。たとえば、何かを指摘するときには、ただ糾弾するのではなく「こうしたらいいよね」と言うようにしてみるとか。そうやって提案してあげられるのがいいのかなと今は思っています。

自分の表現を追求するため、独立
2019年、自主レーベル『MASTERMIND』を法人として立ち上げました。Magnum Recordsの所属アーティストとは切磋琢磨し、音楽性を培ってきましたが、それぞれに志すものがありました。僕は自身の表現の濃度をより濃くしたいと考え、レーベルの立ち上げを決意。自分のレーベルや法人だからこそできること、僕自身がやることに意味のある活動を、仲間と共にレゲエシーンで形にしていきたいなと思っています。
やりたいことをやろうとすると、やっぱり壁にぶつかりますが、独立したことで今の自分があり、活動がある。僕は音楽以外の表現活動として、イラストを描いたり役者として演技をしたりしています。それぞれの活動が、良い相乗効果を生むなと感じているので、MASTERMINDはクリエイティブを自由にアウトプットできるステーションにしたいです。絵をグッズやCDジャケットにすることもそうですし、アウトプットしたもの同士がジョイントして、さらに新しいものが生まれる場にしたい。だからこそ本当に自由にいろいろな表現をしていきたいなと。
みんなの推進力でぶち抜きたい
レゲエの世界に足を踏み入れたのは15歳。気付けば20年以上の時が経ちました。20代前半には、「そのうち俺らの世代になる」なんて言われていたものですが、まさに自分たちが次世代に背中を見せていかなければならない時期がきたと思っています。そんな活動20周年という節目に、『Yokosuka Reggae Bash(横須賀レゲエバッシュ)』を立ち上げました。
もともと仲間意識が強いタイプ。一人勝ちって、ありそうで存在しないものだと思っているんですよね。自分がぶち抜いてやるという気概は今も変わりません。ですが、それ以上に、同じ志を持つ人とみんなで上がったほうが絶対楽しいという感覚があります。歳を重ねるごとに、「みんなの推進力でぶち抜こう」という気持ちが強まった部分はすごくあるかもしれません。かっこいいやつはいっぱいいて、でも全員が日の目を見ているわけではなくて。だからこそYokosuka Reggae Bashを開催し続けています。本気で音楽と向き合っている、かっこいいやつらが登りつめられるシーンを、自分たちの手でつくり上げていきたいです。

ー おわりに ー
自分をぶらさないために、習慣化していることはありますか。この問いに、「神棚に手を合わせることくらいかな」と答えたあと、「とにかくメモを取ること」と教えてくださったRUEEDさん。思いついたことを書いたメモは、創作のピースにもなっているといいます。後編「音楽と地元を背負う」では、地元・横須賀市やYokosuka Reggae Bashへの想いについて伺います。
PROFILE
RUEED(ルイード)
Mastermind CEO・レゲエディージェイ(Deejay)
1988年、神奈川県横須賀市出身。レゲエディージェイ(Deejay)であり、MastermindのCEO。15歳でキャリアを始動し、2007年には「Road to 横浜レゲエ祭」にて史上最年少の18歳で優勝を果たす。デビュー作『NEW FOUNDATION』以降、数多の作品を世に送り出し、シーンの一線を走る最重要アーティストとしての地位を揺るぎないものとした。
2018年に独立し、新レーベル「Mastermind」を設立。2020年にリリースしたアルバム『Q』、続く『K』は共にiTunesレゲエチャート1位を記録するなど、コロナ禍においてもオンラインライブや全国ツアーを成功させた。
B.League公式テーマソングへの客演や、2年連続の「New Year Rock Festival」出演、俳優業など、ジャンルを超越し活動。激動の時代の中、唯一無二の世界観とメッセージでリスナーを魅了し続けている。
RUEED OFFICIAL WEB SITE:https://rueed.jp/
Yokosuka Reggae Bash:https://yokosukareggaebash.com/ ※近日公開予定




