学生時代から土壌微生物の世界に没頭し続けてきた橋本好弘(はしもとよしひろ)さん。今は「土のお医者さん」として、土壌改良に役立つ土の健康診断を提供しています。橋本さんがその道を歩みはじめたのは、定年退職後のことです。60歳を過ぎてスタートアップを立ち上げるに至ったその情熱の軌跡について伺いました。
土壌微生物の世界に魅了され
研究者の道へ
小学生の頃、夢中で読みふけったのは図書館の伝記でした。なかでも、北里柴三郎の伝記を読んだことが、私の原点といっていいでしょう。彼に憧れ、文集には「将来は研究者になりたい」と書きました。
大学は宮崎大学農学部から九州大学農学部の大学院修士課程へ。植物や農業への関心から選んだ進路で、微生物やバイオテクノロジーの研究に触れたいと考えていました。その後、大学院への進学を機に土壌微生物の研究に専念。大学生時代に岩波新書『大地の微生物世界』(服部勉著)を読み、強く惹かれたのが理由でした。
土壌微生物の世界は、本当におもしろいです。「微生物」とひとまとめにされてしまいがちですが、実は人間のように個性豊かなのです。ゆっくりとしか増えない菌もいれば、弱いけれど逃げ足が速い菌もいますし、環境への適応能力が極めて高い菌もいます。形も大きさも違うので、人間よりバラエティに富んでいるといっても過言ではないでしょう。土の中で彼らが果たす役割も、窒素を固定したり、光合成を行ったり、鉄を利用したりとさまざま。その豊かな個性がおもしろいのです。

産官学で挑んだ挑戦
大学院卒業後は、企業で働く道を選びました。九州を出て、1度は企業で働いてみたいなと思ったのです。複数の会社、大学を経て、2001年に「サカタのタネ」に入りました。当時の新社長が微生物を活用した研究を推進する方針を打ち出し、新たに有効微生物活用プロジェクトチームが発足。そこに誘われる形で転職を決めたのです。
サカタのタネは、名前の通り野菜や花の「種」を開発、販売している会社です。たとえば、ホウレンソウの大敵である「ベト病」に負けない品種を次々と生み出してきました。しかし、そこには終わりなき攻防戦が待ち受けていました。病原菌の側も、生き残るために姿を変え、新しい「型(レース)」となって襲ってくるのです。新しい種を作っても、すぐにそれを上回る菌が現れ、気づけばそのイタチごっこは「レース19」という膨大な数にまで達していました。「品種改良だけでは、もう限界がある」。そう痛感した私たちが目を向けたのが、植物が育つ土台、つまり「土」そのものでした。微生物の力を借りて土の体質を根本から改善し、良い品種を末長く守っていきたいと考えたのです。
しかし、土づくりも簡単なことではありません。農家の方たちは畑の土に微生物や堆肥を入れて試行錯誤されていますが、その効果を客観的に判断する術がありませんでした。収穫した農作物の出来を見て、ようやくうまくいった、いかなかったと振り返るしかないのです。
もし、事前にセンサーで微生物と土の相性を調べられたら――。それにはバイオセンサーが適していると提案し、産官学連携によるバイオセンサーの開発プロジェクトが動きはじめました。バイオセンサーとは、バイオとセンサーとを組み合わせた造語で、微生物や遺伝子、抗体といった生体成分とセンサーを合体させた計測技術のことです。
このプロジェクトを産官学連携にしたのは、東京工科大学にバイオセンサーの権威である軽部征夫(かるべいさお)先生がいらっしゃったためです。産官学連携プロジェクトは初の経験でしたが、刺激に満ちた日々でした。東京工科大学をはじめ、産総研の先生からも専門的なアドバイスをいただき、また農林水産省の横山和成(よこやまかずなり)先生など多くの方々とも一緒に取り組みました。土壌データを収集するチーム、センサーを開発するチームに分かれ、共にいろいろなことに挑みました。
当初は土壌の違いがデータで明確に出ず、解釈法に悩むなど、困難もたくさんありましたが、センサーの感度を高めることで差が見えやすくなり、一歩ずつ実用化へと質を上げていきました。社内外の人間が関わることで、豊かなアイデアが生まれたからこそ、難所を乗り越えられたのだと思います。また、軽部先生、横山先生など多くの先生方との出会いにも助けられました。

事業継続に立ちはだかった
現場との想いのギャップ
2004年、ついに試作機が完成しました。うれしかったですね。開発の初期段階から特許の取得を視野にいれ、試験と並行して基本特許を書き進めてきました。2006年には製品化モデルも完成。社会実装を念頭に置いて進めてきたプロジェクトは、ようやく節目の時を迎えました。
しかし、現実は厳しいものでした。装置の売れ行きは芳しくなく、試験機関の方が「おもしろそうだから」と手にとってくださったのを最後に、普及の波は広がらなかったのです。結果、世に出たのは数台にとどまりました。
普及が進まなかった背景には、私たちの想いと、生産現場の認識に乖離があったためでしょう。「種の改良だけでは限界がある」というのが開発の出発点でしたが、実際には企業努力により新しい種が次々出ているため、生産者側は「新しい種を使うことで病気が出ないなら、それでいい」というのが本音であり、土壌そのものに目を向ける必要性がなかなか理解されなかったのです。
その後も「将来必ず必要になる技術だ」と訴え続けましたが、周囲の応援は次第に少なくなっていきました。そこへリーマンショックや社長交代といった出来事が契機となり、プロジェクトは一旦休止という苦渋の決断を下すことになったのです。残念ではありましたが、装置はそのままお蔵入りとなりました。
ただ、私としては「いつか必ず、この技術を世に役立てたい」と思っていたのです。退職の3年ほど前からは、土日に装置を自宅へ持ち帰り、ひとりで研究を続けていました。山形大学の先生と庄内地区の土壌調査を行う機会に恵まれた際には、「せっかくだから」とバイオセンサーを使わせてもらったことも。会社でホコリを被らせておくくらいなら、退職後に引き取らせてもらって自分で使おう。その想いが、私の新たな目標へと変わっていきました。

60歳を過ぎて会社設立に挑戦
2020年、定年退職の日を迎えました。長年温めてきた想いが実を結び、会社からバイオセンサーの装置を譲り受けることができたのです。
「退職したら自分で事業を立ち上げよう」と考えてはいたものの、独立に不安がなかったわけではありません。経営については右も左もわからない状態だったので、まずは商工会議所に相談に行き、独立に必要な諸手続きについて教えてもらいました。「いきなり社員を雇ったとしても、数年で倒産してしまうケースは多い。まずは自分のできる範囲で、小さく育てていくのがいいかもしれないよ」。そのアドバイスを胸に、合同会社設立登記や会計処理など、すべて商工会議所や県のスタートアップ支援者の方たちに教えてもらいました。
また、2021年に農林水産省が出した「みどりの食料システム戦略」も独立の後押しになりました。化学肥料や農薬に頼る従来の農法では、どんどん土がやせ、持続可能性を損なってしまう。だからこそ有機農業を広め、環境負荷を減らしていきましょうという方針です。2050年までには有機農業の取り組み面積の割合を25%に引き上げるという高い目標も掲げられました。2023年時点では0.8%(※農林水産省HPより)とまだまだ少ないですが、増えてくれば私たちの装置は必ず必要とされるはずです。今はまだ小さな歩みですが、将来的に大きな事業になる可能性は十分あります。今こそチャンスだと思いました。
これまでは研究中心の日々で会社設立は初めて尽くしの連続でしたが、気づけば夢中で駆け抜けていました。多くの方々の支えを受け、無事に合同会社土壌診断用バイオセンサー研究会(SDB研)を設立することができたのです。

ー おわりに ー
有機農業について、「安心安全な農作物を作る農法」だけではなく、「土がやせて農業ができなくなってしまう環境にしないためにも大切な農法」であることを知った本取材。農作物が病気になってしまうリスクを、土づくりに目を向けることで低減することは、農家・農業が持続するために重要なことだとわかりました。いち早く「土」に目を向けていた橋本さんの、満を持しての挑戦。次回「土壌診断を『回転ずし』のように身近なものに」は、「土のお医者さん」としての現在の取り組みについて伺います。
PROFILE
橋本好弘(はしもとよしひろ)
合同会社土壌診断用バイオセンサー研究会代表
1959年長崎県長崎市生まれ。九州大大学院農学研究科で博士号を取得。2001年に種苗会社「株式会社サカタのタネ」に入社。2020年サカタのタネを退職。2021年土壌フローラ診断を広めようと合同会社土壌診断用バイオセンサー研究会(SDB研)を設立。
合同会社土壌診断用バイオセンサー研究会(SDB研):https://soil-biosensor.jp/






