地域のクリエイティブ現場おいて、どのような人財が求められているのでしょうか。「編集者」や「圧倒的に熱量の高い人」、「プロジェクトマネジメントがきっちりできる人」ーー。隼Lab.の立ち上げや丸由百貨店のリニューアルプロジェクトなどを通じて、マチを盛り上げている古田琢也(ふるたたくや)さんと中江康人(なかえやすひと)さんのインタビューは最終回を迎えました。共に鳥取県出身という共通点を持つ2人。クリエイターが地域と関わる仕事をする上で、貴重なヒントが飛び交いました。
HIPHOP精神で
地元の仲間と成し遂げる
中江:幼少時代、どのような子供だったんですか。
古田:勉強は全然だったんですけれど、ずっと絵が好きでした。保育園の頃の将来の夢は漫画家でしたし、小学校の絵のコンクールでは賞を獲らなかったことがないんですよ。まあとにかく、目立ちたがり屋でしたね。小学生から中学生の頃は野球部でキャプテンでした。高校時代にはずっとHIPHOPにハマっていて、自分たちでイベントを主催しました。高校生ながらに200人〜300人ほどを集めて、オーガナイザーをやりました。今思えば、誰かと一緒にイベントを企画して、人を集めて盛り上げるということが好きだったんだなという感じはしますね。
中江:すごいですね。地元・鳥取県を離れた理由は?
古田:将来デザイナーになりたいと思っていたのですが、当時は鳥取県にデザイン系の学校がありませんでした。そこで、大阪府の専門学校に入ったんです。絶対に日本で一番有名なデザイナーになってやると思っていて。夢ノートに「30歳で情熱大陸に出る」とか書いているタイプなんですよ。デザインを3年間学び、その後に東京都の制作会社に入りました。しかし、このままでは有名にはなれないと思ったんです。当時すごい憧れていた師匠みたいな人に「無給でもいいから働かせてください」と頼み、そこで働かせていただけるようになりました。そこから結構変わりましたね。
中江:鳥取県にもし、デザイン学校があったとしたら?
古田:どうでしょう。当時は「地元に居たい、鳥取が好き」とか、そういう想いはあまりなかったです。むしろ、都会に出ることができて楽しいぜ、ぐらいな感じだったかなと思いますね。
中江:僕なんかも、鳥取県を離れた理由はそれだけだから。暮らしていた時は良さも気がつきませんでしたし、何もないなと思っていました。もう、東京都に行くしかないなと、東京都の大学に進学しました。でも、外に出てみたら、あれっ、みたいな。そう気がついたから自分の生まれ故郷で、ビジネスというか、盛り上げていきたいと考えたんです。古田さんはどのような心境の変化があったのでしょうか。
古田:僕は鳥取県が好きというより、地元の仲間が好きなんです。ずっと小学校、中学校からの7名〜8名の決まった仲間がいて、それが専門学校時代も社会人になってからも、盆と正月に帰郷すると集まるような。やっぱり、めっちゃ好きだなみたいな。
中江:HIPHOPだね。
古田:そうですね。地元の仲間たちと「いつかは成り上がってやろうぜ!」みたいな。まさにHIPHOP精神ですね。集まるといつかは何かをやりたいよねと、誰かが言うじゃないですか。そういうこともありましたし、最初に話したように仲間に言われた「お前は東京におるけ、そんなこと言えるんだ」ということから、地元で何かしてやろうと思ったんです。
またその頃はデザイン会社を辞めて、某師匠のところで働き始めたタイミングでした。4年制大学を出てないことで、広告代理店の入社試験は受ける資格すらありませんでしたが、師匠のところで働くことができ、デザイン業界のちょっとしたレールに乗ったと思っていました。ところが、何百人もの人が絡んだ仕事をしていて、誰のためにデザインをやってるんだろう、とすごい考え始めたんです。しかも、結局は自分が大きい仕事をできるのは師匠の名前があって、周りのいろいろな人がいるからなんです。なんでデザインをやり始めたんだろうな、と思っていた時に仲間に言われた言葉が刺さったんです。「そうか、俺は自分のデザインを、自分のことを知っている仲間とかに「古田琢也」として、格好良いとか、良いなと言ってもらいたいと思っているんだ」と気がつきました。そこから鳥取県のことを強く意識するようになりましたね。
中江:東京都での仕事も、最終的にエンドユーザーにものすごい影響力を与えている仕事だと思うし、素晴らしい仕事だと思います。けれども、目の前でダイレクトに感じるかと言えば、そうではないよね。地域ではダイレクト過ぎるぐらいにダイレクトなリアクションが良くも悪くもあります。そっちの方が古田さんにはしっくりきたという感じですなんですね。
僕もそこそこの大きさのビジネスをやっていて、本当にステークホルダーのためになっているんだろうかということばかりを考えています。そのことを直接に実感できる瞬間がなくはないけれど、日々あるかと言われるとあんまりないわけです。でも、信じてやるしかないというところですが。一方で、地域に行くと目の前にいる人の困り事を解決してあげるみたいなことがありますよね。
古田:おばあちゃんが泣きながら「ありがとうな」と言ってくれるとか、何かこう、やっぱすごく、ぐっときましたね。
中江:そういうことを感じて、ここまで来たわけですね。地元に関わり始めて、何か変化はありましたでしょうか。
古田:新型コロナウイルスの経験はすごく大きかったです。それまでは自分たちの仲間とか、目の届く範囲で、ある種楽しければ良い、みたいなところもあったんです。けれども、コロナ禍を経験して、メンバーをちゃんと食べさせていかなきゃいけないとか、責任みたいなものがすごく重く感じることが増えました。商売としてやっていかないといけません。逆にサステナブルじゃないですけれど、続けていくことの難しさを隼Lab.も含めて感じ始めています。
中江:社会環境も人も変化していくので、変化しないと持続性はないわけです。それがサステインということですね。
地域だからこそ
強みと活性化に必要な人財
中江:地域の可能性はどのように捉えていますか。地域だからこその強みや、できることなど。
古田:鳥取県や八頭町はまさに距離が近い人たちで取り組むことが多いからこそ、団結力やいざという時にパワー、強さみたいなものはすごく感じます。例えば東京都で銀行の頭取にすぐに会えるかといったら、会えないじゃないですか。鳥取県だったら、1人介すれば銀行の頭取にも、県知事にも会うことができます。やればやった分だけすぐにリアクションが返ってきて、一緒にやっていけるということは、地域ならではの強さだと思いますね。
中江:ここまで話してきてくれたこともそうですが、共感を生みやすいのでしょうね。東京都で「鳥取出身です」と言ったら、「鳥取出身なの!?」と返ってくる。それだけでなんか、めちゃくちゃ共感する部分があるんです。そういうシンプルな共感軸を持っているんです。それがあるから故に団結しやすいとか、すごい力を持つことがあると思います。確かに可能性があり、そこにレバレッジをかけて、何か大きなことができそうな気がしますね。
地域において、共感性、エンゲージメントは大事なことです。そういう中で、地域にはどんな人財が必要だと感じていますか?
古田:地方に編集者は必要だなと思います。要は良いものと良いものを掛け合わせる人です。誰かと誰かをつなげることができる人です。散っている人やコミュニティをどのように整理して、同じ方向を向かせるか。デザイン思考と言いますか、そうした能力を持ったプレイヤーが1人いるだけで結構違うなと思っています。全員が全員、120%の想いだけでやる人ばかりだと、なかなか難しいです。もう1つは、圧倒的に熱量の高い人。そうした人たちが噛み合うとすごく良いんじゃないかと思います。
中江:あともう1つ。プロジェクトマネジメントをきっちりやる人ですね。日本全体がそうですが、地域に行けば行くほどプロジェクトマネジメントをする人財は少なくなっていきます。良いことをいくら考えて、アイデアが生まれたとしても、それを形にしていくというプロセスが絶対に発生するわけです。明日になればポっと出来上がるわけじゃありません。出来上がったとしても、そこからは運用していかなければなりません。熱量のある人に、プロジェクトマネジメントのスキルが必要なんです。地域に関わる仕事をしていて、一番足りないなと思うのはそこですね。
古田:一過性で終わる仕事は結構多いじゃないですか。まさに打ち上げ花火。熱量だけしかない場合、どうしても疲れてきたり、うまくいかなくなったりします。そういう意味ではやはり、ちゃんとマネジメントしていける人はすごく大事だなと思いますね。
中江:そういう人がじゃんじゃんと生まれてきてほしいですね。待ってますよ。
地域で活躍したいクリエイターへ
古田:僕自身も東京都でデザインの仕事をして、その後に地元の鳥取県をどうにかしたいと思って活動しています。地域の可能性はめちゃくちゃあって、その可能性はどこのエリアであっても、みんな等しくあると思っています。そこに自分自身がどのように関わって、可能性を2倍、3倍、無限大にしていけるのか。僕も鳥取県から全国に発信していけるような取り組みを、これからもどんどんやっていきます。皆さんも一緒に頑張りましょう。
ー おわりに ー
鳥取県や八頭町での取り組みについて、3回にわたってご紹介してきました。マチに新たな変化や文化を生み出してこられたのは、古田さん自身が圧倒的な熱量と、編集、プロジェクトマネジメントの力を持ち合わせていたのは非常に大きかったのではないでしょうか。地域のクリエイティブ現場において必要だと言うこの3つの要素は、必ずしも全てを1人が持たなくても良く、力を持った人たちがつながることで、可能性が無限大に広がっていくことだと思います。
PROFILE
古田琢也(ふるた たくや)
株式会社トリクミ 代表取締役
株式会社シーセブンハヤブサ 代表取締役
1987年鳥取県八頭郡八頭町生まれ。いくつかの広告制作会社を経て、2013年よりフリーランスのアートディレクターとして独立。2015年に株式会社トリクミを設立。「誇れるまちの未来をつくる」をミッションに鳥取県内で「飲食事業4店舗(HOME8823、Cafe & Dining San、薪火料理KAEN、TRUFFLE DONUT)」や「デザイン事業」などをおこなう。2017年には株式会社シーセブンハヤブサを設立し、「日本の未来のモデルになる田舎をつくる」をミッションに、旧八頭町立隼小学校をリノベーションしたコミュニティ複合施設「隼Lab.」を運営。2022年、新たに、国内初のノンアル・ローアルコールビール専門醸造所を設立し、これまでの概念をぶち壊す、イケてるノンアル・ローアルコールビールブランド「CIRAFFITI」を立ち上げる。
株式会社トリクミ:https://torikumi.co.jp/
隼Lab.:https://hayabusa-lab.com/
中江康人(なかえやすひと)
KANAMEL株式会社 代表取締役グループCEO
鳥取県政アドバイザリースタッフ
1967年鳥取県鳥取市生まれ。大学卒業後、株式会社葵プロモーション(現・株式会社AOI Pro.)に入社。CMプロデューサーとして数々のテレビCMを手掛けACCグランプリ、プロデューサー賞など受賞多数。同社代表を経て、2017年AOI TYO Holdings株式会社(現・KANAMEL株式会社)代表取締役に就任。鳥取県政アドバイザリースタッフを務め、出身地鳥取県の企業家や住民の交流拠点(隼Lab.など)で起業支援などにも尽力している。
KANAMEL株式会社:https://kanamel-inc.com/