インテリアデザイナー、ワークプレイスコンサルタントとして仕事に邁進してきた中村龍太郎(なかむらりゅうたろう)さんは、プライベートのある出来事をきっかけに自らの生き方・働き方に疑問を感じ、ふと訪れた旅先でゲストハウスに救われたことで、人生を一転。サラリーマン生活を辞め、数々の縁に誘われて辿り着いた山口県阿武町で、自らゲストハウスをオープンしました。現在は、デザインのお仕事に加え、竹細工の製作や自然素材を中心とした手仕事の暮らしの道具を販売する『暮らしの荒物屋めぐる』を運営されています。中村さんのこれまでの多彩な活動の点と点を結ぶのは、「縁」と「恩」。自らの半生を振り返りつつ、その一つひとつの足跡に込められた意味を探る内なる旅のお話を伺いました。
復興の現場で変わった価値観
私の実家は平屋建てなのですが、家が小さいのは貧乏だからだと思い込んでいて、2階がある友だちはお金持ちだと思い、とにかくうらやましかったんです。でもある時、本当かどうかはわかりませんが、よく遊びに行く2階建ての友だちの家を設計したのが父だという話を耳にしました。住んでいる家が大きいということより、それを設計できる方がカッコよいのではないかと思い、それをきっかけに建築や設計の仕事を意識するようになりました。
大学は建築系に進み、設計から都市・まちづくりまで幅広く学びました。大学院に進むことが決まった卒業の年、東日本大震災に遭遇。宮城県仙台市の中心部で友人とシェアハウスをしていましたが、電気とガスが止まり、テレビが見られず、津波被害のこともよくわからずに1週間ほど不安な日々を過ごしました。その後、研究室の教授や学生は、沿岸部の復興計画策定のために招集され、私も岩手県の釜石市の担当として現地に赴き、仮設住宅に住みながら、役場の復興推進本部で指導教授と役場の間の調整役として手伝いました。現場で最初に感じたのは、まちや建築の脆さです。暮らしを支え、守るはずの建物が瓦礫となって押し寄せ、人を傷つけ、命を奪う。その現実を目の当たりにし、建築をつくる意味は何かと自問しました。もちろん建築は必要ですが、避難所や仮設住宅の暮らしの中でもたくましくコミュニティを築く人々を見て、人やコミュニティにこそ価値があると感じ、建築ではなく、人のつながり、そこから生まれる笑顔を取り戻すことが本当の意味の復興だと思うようになりました。その経験から、建築よりも、その内側で暮らす人や関係性をつくることに興味が移っていきました。
-中村さんの歩み-
1989年 栃木県宇都宮市生まれ
2007年 東北大学工学部建築・社会環境工学科入学
2011年 東日本大震災にて被災
東北大学大学院 工学研究科 都市・建築専攻
2012年 岩手県釜石市復興推進本部にて、仮設住宅に住みながらインターンシップ
ゲストハウスに救われる
社会に出る年齢となり、建築よりも「人」に近い領域としてインテリアや家具の仕事を考えました。そんな中、オフィスのデザインを手がける設計事務所の説明会で「1日8時間働くとすると、1日の1/3を占めます。働くことを考える・デザインするということは、人生の30%を創ることです」という言葉を聞いて共感し、入社。オフィスの内装・家具デザインはもちろん、働く上でのルールづくりやIT環境も含め、働く人が快適で楽しく過ごせるような「働き方」全体を含めたデザインを手掛けました。入社3年目の時には社外的な賞をいただいたり、ゼネコンへの2年間の出向を経験したりと、仕事はとても充実していました。ところが、その間に、8年間付き合って婚約していた彼女にフラれてしまいました。仕事が忙しくてすれ違いが増えたのが一因ですが、大切な人を幸せにするために働いているはずなのに、もはやなんのために働いているのかわからなくなりました。仕事と距離を置き、自分の「働き方」や「生き方」をきちんと見つめ直そうと思い立ったのが、沖縄への傷心旅行。でも、一人旅では寂しいので、いろいろ調べるうちに、ゲストハウスというものがあると知りました。
はじめて訪れたゲストハウスは、ユニークな人たちが集まる場所でした。衝撃的だったのは、自転車にリヤカーを繋いでお酒を運び、たどり着いた場所で立ち飲み屋を開きながら旅をする方です。積荷の酒を一杯500円で売り、知らない土地で乾杯をして知り合いを増やし、稼いだお金で酒を買い、次の場所へ移動する。そういうクレイジーな生き方の人がたくさんいて、働き方も生き方も一様ではない。もっと自由に生きていいのかもと気づきました。ゲストハウスで価値観が一変し、その面白さに惹かれ、ユニークな生き方をしている人に会いたくなり、平日はサラリーマン、土日はゲストハウス巡りを繰り返しました。
広がる、ゲストハウスの縁
山口県の萩市に『ruco(ルコ)』という有名なゲストハウスがあり、沖縄で知り合った友人に誘われ、一緒に行きました。オーナーや常連さんのコミュニティにまぜてもらい、何度も遊びに行くうちに、縁が広がりはじめました。ゲストハウス自体が地域のハブになっていることに面白さを感じ、次第に自分もやってみたいと思うようになりました。そんな時、知人から『移住ドラフト会議』というイベントを紹介されました。移住希望者と、人を呼びたい地域をマッチングする、野球のドラフト会議を模したイベントで、この時のプレゼンで複数地域から1位指名を受け、最終的に縁があったのが鹿児島県でした。何度か実際に足を運んだり、人に会いに行ったりしましたが、いろいろなタイミング等もあり、結局、実現はしませんでした。
-中村さんの歩み-
2013年〜2016年 東京都の会社でインテリアデザイナーとして勤務
2016年 失恋し沖縄県へ傷心旅行
2017年 ワークプレイスコンサルタントとして別会社に出向
みんなの移住ドラフト会議2017にて1位指名
2018年 PCCJ「パーマカルチャーデザインコース」第20期卒業生
国際資格「パーマカルチャーデザイナー」取得
退職
2016年〜2019年 ゲストハウス巡り30件以上
2019年 山口県阿武町に移住
理想のイメージが見えて、移住へ
実は、この時の移住ドラフト会議には阿武町も参加していました。そこで、たまたま話をしたのが阿武町地域おこし協力隊の方。阿武町は萩市の隣町という話から、「rucoをご存知ですか?」という地域ネタで盛り上がり、「次に萩に行く時は、ぜひ寄ります」と約束しました。その後、鹿児島への移住がなかなかうまくいかないタイミングで、再びふらっと萩市のゲストハウスに遊びに行きました。阿武町の協力隊の方にもよかったら会いましょうと連絡したところ、「もし阿武町に来られるなら、いくつか物件を紹介します」という話になり、最後に内見した物件が、今住んでいる古民家です。当時は、その協力隊の方が住んでいて、夜はバーとして営業、地元の人が呑みに来る場所になっていました。これまでいろいろゲストハウスを巡ってきましたが、もし自分がやるなら古民家でバーカウンターがあり、呑みながら宿泊者と地域の人が交流できる場所がいいなと考えていたので、その理想のイメージが一気に見えました。「もうここしかない。ここに来ます!」と即答し、同時に地域おこし協力隊の募集があることも聞き、移住はとんとん拍子に進みました。
次回、『手仕事の文化と価値を伝える』では、 中村さんが山口県阿武町でオープンされたゲストハウス『暮らしを紡ぐ宿えのん』のお話や、 阿武町で出会った竹細工への想い、手仕事の価値を伝えていく多彩な活動についてのお話をご紹介します。
ー おわりに ー
中村さんの略歴を一見すると、その活動の多彩さ、振れ幅に目を奪われます。取材の話をいただき、資料と経歴に目を通した時、中村さんの行動の軸になっているもの、生き方の核となるものが何なのか、とても興味を覚えました。お話を伺う中で見えてきたのは、「縁」という縦糸を、風のような生き方が横糸となって縫い上げていく、柔らかくて芯のある生地、シルクのイメージです。数々の縁に導かれながら、その時々に風が葉を揺らすように周りを動かし、時に巻き込みながら、ごく自然に流れるように変化して生きる姿。それこそが、中村さんご自身であり、その魅力に吸い寄せられるように、縁が集まってくる気がしました。
PROFILE
中村龍太郎(なかむらりゅうたろう)
暮らしの荒物屋めぐる 店主
暮らしを紡ぐ宿えのん 代表
nating DESIGN 代表
栃木県生まれ、東北大学大学院都市・建築学修士。東京の設計事務所・ゼネコンでインテリアデザイナーとして働いた後、2019年に山口県阿武町に移住。「縁が繋がり、恩が循環する」をテーマに、ゲストハウス(現在休業中)やデザインの仕事を立ち上げる。同時に、地域おこし協力隊としてキャンプ場立ち上げやマルシェを通した地域活性化にも取り組む。現在は竹細工職人としても活動し、手仕事のある暮らしの豊かさを伝える荒物屋を開いている。
暮らしの荒物屋めぐる:https://aramonya-meguru.studio.site/
暮らしを紡ぐ宿えのん:https://abu-guesthouse-enon.studio.site/
nating DESIGN:https://natingdesign.myportfolio.com/