前橋を動かす個人と民間の力
<起業がマチを元気にする>

〜thincなひと・田中仁さん × 中江康人さん × 群馬県前橋市〜

アイウエアブランド・JINSを展開する株式会社ジンズホールディングス。代表取締役CEOの田中仁(たなかひとし)さん。経営者でありながら、生まれ育った群馬県前橋市に根差し、独自の「マチづくり」を進めるクリエイターでもあります。「この街は終わった」と一度は諦めかけた田中さんがなぜ、前橋市に投資し、自らを地域に捧げる決意をしたのか。そのきっかけとなったのはモナコで見た欧米の起業家たちの社会貢献の姿。そして前橋市で出会った若者たちの情熱でした。そんな田中さんと寿司屋での運命的な出会いを経て、肝胆相照らす仲となった鳥取県政アドバイザリースタッフの中江康人(なかえやすひと)さんにインタビューしてもらいました。

株式会社ジンズホールディングス 代表取締役CEO
一般財団法人田中仁財団 代表理事
田中仁さん(群馬県前橋市出身)

KANAMEL株式会社 代表取締役グループCEO
鳥取県政アドバイザリースタッフ
中江康人さん(鳥取県鳥取市出身)


幼少期に見た「賑やかな前橋」

中江:前橋市には何回か訪れ、田中さんと一緒に過ごしたこともあります。白井屋ホテルにも泊って、マチの変化をある程度は見てきましたが、すごいなと思うんです。そもそも、田中さんの幼少期はどんな少年で、当時の前橋市はどんな街だったのでしょうか。

田中:どんな少年かと言われると、特に特徴的なものはないですね。ただただ、わんぱくでした。前橋市の中心商店街から7kmほど離れたところに住んでいたので、母に連れられてバスでマチへ出掛けたものです。母がおめかしをして、私も普段よりもちょっと支度をさせられて。マチには活気がありました。前橋市は来ていただければわかると思うのですが、アーケード街はものすごく道幅が広いんです。子どもの頃は歩いていると肩がぶつかるぐらいに人で溢れていました。百貨店もたくさんありました。地元のスズラン百貨店や「前三」と呼ばれ親しまれていた前橋三越、さらにマルイや長崎屋、ニチイ、そして前橋西武。すごくたくさんあったのですが、現在はスズラン百貨店だけになっています。

中江:「商圏」としてのポテンシャルがマチにあったんですね。

田中:ありましたね。昔は子どもが多かったからどこのマチも結構、賑やかだったじゃないですか。鳥取市だってそうだったと思いますよ。

中江:確かにそうですね。めちゃくちゃ子どもが多かったし、百貨店へ行くことにワクワクしていました。鳥取市にもランドマークとしての百貨店が唯一残っているんですが、それがなくなっちゃうかもしれないということで、私もお手伝いをしています。やはり百貨店がなくなると影響が大きいじゃないですか。

田中:前橋市も今は寂れたとはいえ、人口は約33万人いるんですよ。鳥取市にはそんなにはいないですよね。

中江:いない、いない。鳥取市は10万人ほどですね。

田中:本来は前橋市にはもうちょっと活気があっていいはずなんです。でも、活気がない。理由として、すぐ隣の高崎市には新幹線の駅があり、50分ほどで東京駅に着いてしまいます。車でも1時間半程度。だから前橋市民は地元ではお金を使わず、高崎駅や東京駅、大宮駅に向かうことが多いのです。

中江:鳥取市で言えば、それこそ神戸市がそのような場所ですね。活気を失う理由は地域共通の問題ですね。バブル崩壊の影響もあったのでしょうか。

田中:一番大きかったのは高崎市に新幹線が開通し、交通の要所として高崎駅に注目が集まったことですね。駅ビルができ、駅周辺が開発をされて。それから前橋市は急速に衰退しました。

(Photo:Takashi Yoshimura)

失われた活気と、再生への誓い

中江:衰退の様子を見て、居ても立ってもいられなくなったわけですね。

田中:いやいや。はじめは「もうこの街は終わったな」と思ったぐらいですよ。当時発表された県庁所在地の路線価ランキングでは前橋市が最下位の47位。群馬県の魅力度ランキングも最下位。あとはどうやって調べたのか分かりませんが、女性の幸福度ランキングも最下位だったんです。

中江:鳥取市も似たような状況で、ワーストの称号がずらっと並ぶこともあります。そうした中でも、何か地域の可能性を感じたからこそ、動きはじめたということだったのでしょうか。

田中:いや、実はその時点では可能性を感じてはいませんでした。2011年に『EYワールド・アントレプレナー・オブ・ザ・イヤー2011』モナコ世界大会の日本代表として出場し、世界50カ国の起業家と出会ったのですが、その時に欧米の起業家が、個人の資産を地域や社会に還元している姿を見て、衝撃を受けたというか、感動をしたんですよ。それまで、日本で先輩経営者に言われていたのは、「起業家というのは会社を大きくして、雇用を増やすこと。そして利益を上げて、税金を納めること。この2つが最大の社会貢献だ」と言われていたんです。その考え自体は正しいのですが、起業家は個人としてはお金を使わずに貯め込む傾向がありました。ただ、欧米では事情が異なっていたのです。ちょうど50歳を迎える頃で、これから先は自分と会社のためだけに個人の資産やエネルギーを使っても、納得できる人生を送れるのだろうかと考えるようになっていました。もう少し、自分や会社以外にエネルギーを使った方が、今後は良いのではないかなと。それで、「自分は何ができるのか」と問い直し、モナコでの経験を通して気づいたのが、「地域を活性化するための起業の重要性」でした。やはり、起業というのは地域や社会を元気にするんですよね。古今東西、どんな時代でも、どんな場所でも、起業家が生まれる時代は元気じゃないですか。しかし、群馬県は開業率も全国下位に位置していました。このような状況を見て、私自身がロールモデルになることができる、「起業家育成」であれば地域に貢献できるのではないかと考え、『群馬イノベーションアワード』と『群馬イノベーションスクール』を立ち上げることに決めたんです。

そのうちに前橋市を訪れる機会が増えました。日曜日の午後1時という本来なら最も賑わっているはずの時間帯にアーケード商店街を見ると、車で走っても事故の心配がないくらい閑散としていたんです。心底「もう前橋は終わった」と思ったんですよ。そのような状況でも希望を見出したきっかけは、前橋市が大型商業店舗の跡地に『アーツ前橋』という現代アート美術館を設立したことでした。そこで行われたシンポジウムで出会った地元の若者たちが、自分たちの住むマチを何とか元気にしたいと奮闘している姿を目にしたんです。まだ動きは小さく、成功するのは難しいだろうなとは思いつつ、それでも協力したいと思う自分がいたんです。

(Photo:Takashi Yoshimura)

中江:なるほど。僕も鳥取市で活動をしていますが、結局はマチのために動く人がいないとどうにもならないわけじゃないですか。自分ももちろん動きますが、やはり地元、その土地にいる人が動かないと何もはじまりません。その動いてくれる人を見つけ出すことがすごく難儀ではあります。そういう人がいるから活動できるのですが、やはり限られてしまい、なかなか人財が増えません。僕の場合、今はちょっと心が半分折れそうになっている部分があります・・。

田中:前橋市にもいませんでした。「名もなき数人」しかいなかったんです。それでも私はやはり起業家なので、「中途半端にではなく、本気でやろう!」と思ったんです。周りから見れば、多くの人が私を「狂っている」と見ていたでしょうね。しかし、やると決めて動きはじめたことが功を奏したのか、いろんな人が巻き込まれてくれたんです。ただ、地域って難しいなと思うのは、私のような狂人はそんなにいないわけですよ(笑)。

中江:いないですよね、見たことないですもん(笑)。でもそういう「かき回す人」がいないとやはり、なかなか難しかったりします。地域の人たちって、いい意味で忖度しあい、いい感じで生きているように感じています。それは良いことなのですが、トランスフォーメーションしなければならない時には、邪魔になることもありますよね。

田中:忖度しあっている、和を乱さないんですよ。聖徳太子の教えが染みついています。マチづくりは「よそ者、若者、ばか者」と言われるんです。私はそんなに若くはなかったのですが、ある意味、「よそ者、ばか者」だったんです。地域のことを知らずに思い切り動き回り、攪拌したんです。それがいろいろなアンチを生み出すことにも繋がったのですが、それによって味方も生まれました。

中江:その批判的だった人たちとは今、どのように関わっているのでしょうか。

田中:今では仲間が多いんです。だいぶ増えましたね。一部には今も気に入らないと思っている人はいるかもしれませんが、これは誰が動いてもそうじゃないですか。100%気に入られることはありません。

中江:それはやはり、積み上げてきたものがあるからですね。それが一番の説得力になっているということですよね。僕たちも最初はやはり、批判的な声があったんです。しかし、僕らがやっていることがなかったのなら、このマチはどうなっていたのか、という状態。最初はそうだった人たちも、「いや、あれは俺がやったんです」みたいな空気感が出てきて。それは良いことなんです。やはり行動をして、何かをこう表現して、見える化して、それをもって納得してもらうみたいな感じ。ちょっと力技ではあるんですけれど、必要ですよね。

田中:やはり、地域の人は変わらないままにずっと生きてきているので、変わることには不安を感じるものなんです。「何をしてくれるんですか?」と疑問を持つのも無理はありません。

中江:人間の本能ですよね。生き物としての。

田中:ええ、そうです。しかし、結果が出るとちょっとずつ信用が増えていきますよね。だから、そのような活動を根気よく続けていくしかありません。

地域への「本気の投資」と
はじめた起業家育成の取り組み

田中:私が地域へ投資しているのは個人資金です。それは、自分が稼いだ中から税金を払った後の税引き後の資金、つまりアフタータックスの資金です。個人資金ではあるものの、地域に使うからには資金使途も含めてガバナンス、コンプライアンスが担保されたものでなければなりません。なので、一般財団法人田中仁財団を設立し、理事や評議員にも素晴らしい方々にお願いし、地域や他の関係者にも理解を得やすい体制を整えました。

中江:そういう方法をとっている人は他にもいるのでしょうか。

田中:特に上場企業の場合は財団法人を設立しているケースはよくあります。けれども、それは私のイメージとは違いました。公益財団として長く残るのではなく、私が運営している一般財団法人は私自身がいなくなったら、もう終わりにすればいいと思っているんです。だから、公益化しないんです。

中江:なるほど。上場企業の経営者として、きちっとしたガバナンスとフェアな運営に対する配慮が求められるのですね。個人としてもオープンでフェアな活動を行うという発想をしたことはなかったのですが、確かにそうだよな、と思いました。どのように運営をされているのでしょうか。

田中:評議員には前橋市出身であり、総務省の元事務次官2名が参加しています。

中江:すごいですね、それ。その構造と本気度には驚かされます。そこまで徹底している人は他にいるのでしょうか。

田中:稼いでも全部地域へ。投資するのも、ある意味個人で借金をして行なっていますよ。

中江:やはり、狂っていますね(笑)。こうした取り組みをスタートしておよそ10年が経ちましたが、群馬イノベーションアワードやスクールはどのような変化がありましたか。

田中:まずアワードには高校生部門もあるのですが、初開催となった2013年の応募はわずか3組でした。それが2022年、2023年は応募数が500組を超えているんですよ。増加の要因はいろいろとありますが、群馬イノベーションアワードの高校生部門で入賞すると、慶應義塾大学のSFCにAO入試で学科試験免除の資格が得られたり、地元で今人気のある前橋国際大学では授業料が無料になります。このアワードをみんなが認めてくれて、特別なルートができたことが大きいかもしれないですね。

(提供:上毛新聞)※群馬イノベーションアワード2023

田中:アワードをはじめる前、群馬県の開業率は47都道府県の中で30位〜40位に低迷していましたが、2022年度は21位にまで改善をしました。さらに、コロナ禍前の2019年度と比較した2023年度の伸び率は全国8位を示しています。このアワードの取り組みはデロイト トーマツ ベンチャーサポート株式会社が中心となり『NIPPON INNOVATION AWARD』として昇華させていったということもありました。第1回となる開催を前橋市でできたというのも良い成果です。そういう意味では地域に結果を示せていると感じます。

スクールについて言うと、元々前橋市にはビジネススクールがありませんでした。そこで、早稲田大学のビジネススクールの教授に毎月来てもらい、「若者が無料で講義を受けられる」ということをはじめました。卒業生は350人ほどになり、そこから起業する人も増えています。

中江:産官学の連携がうまく機能しているのですね。僕たちもスクールを運営して4期目になりますが、面白いなと思うのは起業だけではなく、事業承継や子育てママの活動、エステ経営など、多様な挑戦が見られることです。少人数制なので、一人ひとりと向き合えるのが楽しいですね。壁打ちのようなやり取りを通して、参加者が前に進んでいく姿を見ると、手応えを感じます。スタートアップは重要ですが、一方で「そんなに背伸びをしてどうすんの」みたいな気持ちもあります。起業を前提にしても、上場を目標にしても、それだけが正解ではありませんよね。

ー おわりに ー

「この街は終わったなと思ったんです」と振り返る田中さん。それでも故郷である前橋市を諦めず「地域の活性化は起業から」と群馬イノベーションアワードや群馬イノベーションスクールの立ち上げに挑みました。田中さんが巻き起こした地域変革は少しずつ成果を見せはじめ、賛同者が増えています。「名もなき数人」からはじまった挑戦は、多くの人を巻き込む本気の闘いとなりました。自称「よそ者、ばか者」として地域を牽引する田中さんの情熱は、これからも前橋市の未来を照らし続けるでしょう。

次回『アートがもたらす芽吹き』では、江戸時代創業の老舗旅館を再生し、地域に新たな賑わいをもたらした白井屋ホテルの誕生秘話や、アートの力が地域活性化にもたらす役割などをお話しいただきます。ぜひ、ご覧ください。

『アートがもたらす芽吹き』はこちら


PROFILE

田中仁(たなかひとし)
株式会社ジンズホールディングス 代表取締役CEO
一般財団法人田中仁財団 代表理事

1963年群馬県生まれ。1988年有限会社ジェイアイエヌ(現:株式会社ジンズホールディングス)を設立し、2001年アイウエア事業「JINS」を開始。2013年東京証券取引所第一部に上場(2022年4月から東京証券取引所プライム市場)。2014年群馬県の地域活性化支援のため「田中仁財団」を設立し、起業家支援プロジェクト「群馬イノベーションアワード」「群馬イノベーションスクール」を開始。現在は前橋市中心街の活性化にも携わる。

株式会社ジンズホールディングス:https://jinsholdings.com/jp/ja/
一般財団法人田中仁財団:https://www.tanakahitoshi-foundation.org/


中江康人(なかえやすひと)
KANAMEL株式会社 代表取締役グループCEO
鳥取県政アドバイザリースタッフ

1967年鳥取県鳥取市生まれ。大学卒業後、株式会社葵プロモーション(現:株式会社AOI Pro.)に入社。CMプロデューサーとして数々のテレビCMを手掛けACCグランプリ、プロデューサー賞など受賞多数。同社代表を経て、2017年AOI TYO Holdings株式会社(現:KANAMEL株式会社)代表取締役に就任。鳥取県政アドバイザリースタッフを務め、出身地鳥取県の企業家や住民の交流拠点で起業支援などにも尽力している。

KANAMEL株式会社:https://kanamel-inc.com/

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