「好き」から多角化する事業
<いちサウナーが「ととのえ親方」に>

〜thincなひと・TTNE ととのえ親方/松尾大さん×全国各地のサウナ〜

北海道札幌市で過ごした子ども時代にサウナと水風呂に魅了され、今も日常的にサウナに入る松尾大(まつおだい)さん。『ととのえ親方』と呼ばれ、サウナを愛する相方とサウナクリエイティブ集団[TTNE]を立ち上げ、日本におけるサウナのリブランディングを目指しています。

ただ、はじめからサウナを仕事にしようと目指されてきたわけではありません。松尾さんがサウナ事業に行き着くまでには、並外れた行動力がありました。


サウナにハマったきっかけは
冷たい吐息の気持ちよさ

子どもの頃、親に連れていかれた近所の銭湯でサウナと出会いました。何歳のときだったかは、正直はっきり覚えていないですね。友達とも銭湯に行きはじめて、一緒にサウナに入って。みんなは水風呂を嫌がっていましたが、吐く息が冷たくなるのが快感で、僕は水風呂がすごく好きでしたね。その後、近所に国内最大級と言われるぐらい大きなスパ施設ができたんです。サウナだけでも16種類あるようなかなり大規模な施設で、そこができたのもサウナとの出会いの1つと言えるのかなと思います。

今でこそサウナを仕事にしていますが、子ども時代からサウナが好きだからといって、最初から仕事にしようと思っていたわけではありません。勉強が得意ではなかったので、高卒後に大学には進学せず、就職。最初に勤めたのは建築業界でした。単純に給料の良いところで働きたかったからというのが理由でしたね。当時の建築業界は給料が高かったんです。今思うと、本当に簡単に決めて入った感じでした。

でも、あまり仕事を好きにはなれませんでした。配管屋とか杭打ち屋の仕事をしていたのですが、とにかく朝が早いんですよ。それが嫌だし、早く終わらないかなとか思っちゃうし。僕にとって熱中できる仕事ではなかったんでしょうね。それでも、18歳から21歳ぐらいまで、3年ぐらいはやったのかな。そこで辞めてしまいました。

その後、次のステップを求めて東京へと向かいました。今でも札幌は好きなのですが、当時は「ずっとここにいるのはまずいな」という思いがあって。会社の上司を見ていると、今後の給料の上り幅も何となくわかってしまうわけで、「このままだとつまらないな。札幌を出ないと」と思ったんですよね。そうして東京に出てきたわけですが、まだ21~22歳の若者ですから、まずは先輩を頼って居候みたいにいさせてもらったんです。そうすると、先輩から「居候していてもしょうがないから、ここから選べ」と3つぐらいのアルバイト先を紹介され、飲食店で働きはじめました。いわゆるスナックのようなお店でしたね。

建設業界と比べると、飲食店のような接客の仕事は合っていたようです。私はチームビルディングみたいなものが得意で、お店という空間と人とをまとめながら仕事をすることに楽しさを感じていました。建築業も人と関わることはありますが、どちらかというと黙々と自分で取り組む仕事が多かったんです。それよりも、お客さんが集まってきて、それに対して接客をするという仕事のほうが合っていたのかなと思います。

思い返せば、昔から人以外にはあまり興味がないと言えるくらい、人に興味を持っていたタイプでした。ただ、昔の僕は嫌われっ子で、あまり好かれるタイプではなかったんです。そんな状況でも、「人間ってどういうことを考えるのかな」と興味を持ち続けていました。そういった中で出会ったのが、カーネギーのベストセラー『人を動かす』です。矢沢永吉さんがおすすめされていたことで読んだのですが、これが本当に素晴らしい本でした。ぜひ若い世代の方々にも読んでほしいですね。

その本を読んでから、「人間ってこうやって考えるんだ」と理解するようになりました。人を呼ぶときは名前を呼ぶとか、失礼なことをしないとか、そういうことを15〜16歳のときにその本で学んだんです。人と接することが好きになったのは、あの本を読んだことがきっかけなのかもしれません。

はったりから独立を実現

結局、東京にいたのは半年ぐらいで、再び札幌に戻ってきました。どこかで雇われるより、自分で何かをやるほうが向いているのではと思い、飲食業で独立しようと考えたんです。ただ、独立にはお金が必要です。21〜22歳の子どもが、いくら半年ほどの経験があるといったって、資金を集められるはずもありません。それでも、無謀にも「お金を貸してください」と知人や昔勤めていた会社の社長に頼って回りました。子どもで知識がなかったからこそできたことかもしれません。「こういう感じでやったら儲かると思うんです」と説明しましたが、やはり誰も貸してはくれませんでした。

そんなとき、「このビルで店をやったら当たる!」と思うビルに出会いました。しかし、店をはじめるにはテナントを借りなければなりません。ビルオーナーに「1カ月後に貸してください」とお願いしたところ、「君、お金はあるのか?」と返されたため、「オーナーがいるんで大丈夫です」とはったりをかましました。その1カ月でお金を集めようと思ったのですが、やはり全然集まりません。21歳ぐらいの子どもがナイトクラブみたいな店をはじめようと言うのですから、まあ無理もない話ですよね。でも、そのビルには既に流行っている店がいくつもあり、ここで店を出せば成功するだろうという確信は、オーナーにも伝わっていました。そこで、計算式を持参して「こういう感じになりそうなんですけど、お金がないので協力してくれませんか」と言ったら、「いくら必要なんだ?」と、お金を貸してくれることになったんです。

そこからは、挫折といっても人から見たら足をくじいたくらいの程度の失敗で、順調に進みました。上手く商売を広げていけた要因の1つは、行列のできる店が好きだからかもしれません。昔から行列店があれば行くし、なぜ行列ができているのかを考えていたんですよね。そうやって蓄積してきた知識が役立ったのかなと。今でも「日本一」とか「世界一」とかをずっと見ていたいんです。ベンチマークの分析と言えばかっこ良いですが、僕の場合はただ見ているだけ。「なぜそこに人がいるのだろう」を考えるのが癖ですね。



(Photo:CURBN)

憧れを超えて、関係を深める

事業をはじめてから印象に残っているエピソードといえば、ブレナムジンジャーエールの輸入です。別に何も食品の輸入業をやろうと思ってはじめたわけではありません。きっかけは、ずっと大好きな藤原ヒロシさんでした。

もうずっと昔から「藤原ヒロシさんと知り合うにはどうしたらいいのか」を考えていたんです。自分で事業をはじめたあと、「知り合いだから紹介してあげるよ」と言ってくれる方もいたのですが、ただの地方のアンちゃんで何もない僕と会ったところで、彼には何もならないじゃないですか。僕は藤原ヒロシさんとスノーボードができるような間柄になれたらなというのが夢だったので、ただ紹介してもらうだけではその夢は実現しないなと思ったんですよね。藤原ヒロシさんのためにできること、喜んでもらえることがないのか、考えていました。

そんなあるとき、藤原ヒロシさんが著した「Personal Effects(パーソナル・エフェクツ)」という本のなかで、好きなものを100個書かれているのを読んだんです。そこに書かれていたのがブレナムジンジャーエールでした。「どこかのメーカーが輸入してくれないかな」と書いてあって、「これだ!」と思ったんです。

そこで、ブレナムジンジャーエールの本社があるアメリカ・サウスカロライナまで飛んで、販売権を取って、コンテナいっぱいに買って帰国。「拝啓 藤原ヒロシさま。ブレナムジンジャーエール、どこかのメーカーが輸入してくれないかなと書いてあったので、僕、輸入してきました。飲んでください」と送ったんです。

すると、ヒロシさんがブログで「日本に輸入してくれた人がいて、買えるようになりました」と触れてくれたんです。その後、たった1日でコンテナが空っぽに。とんでもない影響力ですよね。そして、「今度会いましょう」と言ってくださって、念願叶ってお会いすることができたんです。人生の中でも、かなり面白かった思い出の1つです。

サウナの良さを知ってほしい
同志とはじめたリブランディング

大人になってからもサウナ通いは続いていました。札幌に訪れる人々を案内することが好きで、サウナに入って夜ご飯を食べに行ったり、昼ご飯を食べたあとにサウナに入りに行ったりみたいなことをしていたんです。そんなあるときに出会ったのが、今TTNEを一緒に手掛けている秋山大輔でした。彼は東京で「サウナ師匠」と呼ばれている生粋のサウナ好きで、彼が札幌に来たときに、それぞれの「ここのサウナに行ってきた」話をしたあと、ジンギスカンを一緒に食べに行ったんです。それまで、こんなに全国各地のサウナの話で盛り上がれる人はほぼいませんでしたから、意気投合してしまって。そこがサウナを仕事にするターニングポイントの1つだったなと思います。

もう1つは、秋山を紹介してくれた小橋賢児さんからの「コペンハーゲンに行かない?」というお誘いです。僕はコペンハーゲンに行ってもしょうがないと思い、「フィンランドに行きたい。秋山のダイちゃんにヘルシンキに行かないか聞いてみてくれ」と言ったんです。そこで一緒にヘルシンキに行くことになりました。

これまで、お互い世界中のサウナ文化を見て回ってきたのですが、フィンランドだけは行ったことがなかったんですよね。サウナはフィンランド語なので、まずはフィンランドを見たいよねということで行ったのも、サウナを仕事にするきっかけです。

ただ、仕事とはいっても、僕らが最初にやったことといえば、「Saunner」と書かれたTシャツを作っただけなんです。僕らはサウナ好きだけど、日本では若者たちに嫌われているし、おじさんっぽいと思われているし…というところに着目して、ファッションと結び付けたら面白いんじゃないかと思ってはじめたんですよね。



(提供:TTNE株式会社)

秋山が元PR畑の人間で、真逆をぶつけるのが好きなんですよ。僕も秋山に同意なのですが、そのままのことをそのままやっても、誰も話題にはしてくれないんですよね。例えば、世界一大きな象といわれたところで「そうなんだ」になってしまうけど、世界一小さい象なら話題になる。だったら、サウナ=おじさんだったところを、サウナ=ファッションにすれば、話題になるのではないかと。

次に取り組んだことは、記念日の制定です。3月7日がサウナの日なのですが、11月11日を『ととのえの日』として新たに制定し、その日にTTNEのブランドをローンチしました。ブランド名は「ととのえ」を略したような響きを持たせています。記念日は、手続きをして、費用を支払えば意外と簡単に制定することができるんですよ。

あとはSAUNACHELIN(サウナシュラン)。11月11日に、11施設のおすすめを発表するもので、トップテンとかきり良く50とかにすればいいのに、「11だから11施設で」とはじめたものです。はじめた理由は、あまりにも自分たちがおすすめサウナを聞かれるのが面倒になってきたから(笑)。「じゃあおすすめを公表しちゃえばいいんじゃないの?それで勝手に賞状送ろうぜ」という感じではじめたんです。

でも、サウナは温泉などと違って、これまで表彰される機会がほとんどなかったんですよね。だからSAUNACHELINをはじめたことで、受賞を目指してがんばってくれる施設が出てきたり、サウナ文化が盛り上がって楽しくなったりしたら良いなという思いもありました。はじめた当時、日本国内には自分で水をかけてロウリュできる施設は5個ぐらいしかなかったんですよ。

いろいろな活動をはじめたのはサウナを広めたかったから。じゃあ、なぜそんなにサウナを広めたいのかというと、本当にめちゃくちゃ良いからです。当時から、秋山と「俺らってサウナにもらってばっかりだな」と話してきたんですよね。秋山は仕事で精神が病んだときにサウナに救われた経験があり、僕は日々疲れを癒してもらったり、人と楽しく遊んでいる時間の中にサウナがあったりしている。

サウナ以上のものってないですよ。どんな栄養ドリンクを飲んでも、サウナほどスッキリできたり元気になれたりするものってないと思っています。運動やマラソンで元気になれる人もいるけど、心が重くて動けないときだってあるじゃないですか。サウナは汗をかいて座っているだけでいい。これってすごいことだなと思っていて、それをまだみんな知らないだろうなと思ったんですよね。サウナのネガティブな要素を変えたら面白い。良さをわかってもらいたい。自分の好きなものをわかってほしいときってあるでしょう?それでしかないんですよね、行動の源泉は。

サウナを広める活動の1つとして、下北沢駅の近くでサウナのイベントを作ったことが事業の転機になりました。日本で初のサウナイベントで、テントサウナに水風呂を付けて、秋山が中心になってイベントを作ったんです。すると、応募者60人の枠に1500人ぐらいの応募が来るほどに盛り上がった。こうした実績から、サウナのプロデュース依頼が増えていったんです。



(提供:TTNE株式会社)

当時、サウナのプロデュースをしている人はあまりいなかったんですよね。そもそも、世界中のサウナを見ている人自体があまりいなかったものですから。僕には世界中に行きたいサウナがあり、実際に足を運んできました。その経験から、「日本にはなんでこういうサウナがないのかな」とか「こういうものがあったらもっとお客さんがきてくれるのにな」という気持ちがあって。日本のサウナは、1枚絵で切り取ると、全部同じものにしか見えなかったんですよね。サウナ室を見て、「これはどこどこのサウナだ」といえる個性がない。もっと日本のサウナ室を面白くできるなと思っていたところ、「サウナ室を改装しようとしているんだけど、手伝ってくれないかな?」と問い合わせがくるようになり、プロデュース業をやりはじめたんです。

ー おわりに ー

「本当に行き当たりばったりでやってきただけなんですよ」と豪快に笑う松尾さん。自身と同じく世界のサウナを巡るほどにサウナ好きの相方、秋山さんとの出会いを経て、サウナ愛が事業として形を成し、動きはじめます。第2回『地域創生は、サウナから』では、各地域で松尾さんが手掛けたサウナプロデュースの事例とプロジェクトの成果についてお聞きします。

次回、『地域創生は、サウナから』はこちら



PROFILE

ととのえ親方/松尾大(まつおだい)
TTNE株式会社 代表
プロサウナー

北海道出身。複数の会社を経営する傍ら、全国のサウナ施設のプロデュースを手掛ける実業家にしてプロサウナー。札幌を訪れる経営者や著名人など1000人以上をサウナにアテンドし、ととのう状態に導いてきたことから『ととのえ親方』と呼ばれる。サウナのイメージを変え、文化として根付かせたいという思いから、サウナ師匠(秋山大輔氏)とサウナクリエイティブ集団[TTNE]を設立。サウナの記念日『ととのえの日』の制定、サウナ施設を11表彰する『SAUNACHELIN(サウナシュラン)』、サウナに関する医学的な研究、安全利用に関する知識を提唱する『日本サウナ学会』の設立、サウナのプロデュースなど、国内におけるサウナのリブランディングを目指す。

TTNE株式会社:https://ttne.jp/
日本サウナ学会:https://www.ja-sauna.jp/

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