会社員時代、やむを得ず断念したバイオセンサーによる土壌改良事業の継続。「この技術が必ず必要とされる日がくる」と信じ、定年退職後に合同会社土壌診断用バイオセンサー研究会(SDB研)を立ち上げた橋本好弘(はしもとよしひろ)さん。「土のお医者さん」として、土の健康診断サービスの提供をはじめました。有機農業への意識が高まる昨今の状況や技術の次世代継承への想いについて伺いました。
第2の人生は佐賀県伊万里市で
私は定年退職後、妻の故郷である佐賀県伊万里市に移住しました。結婚した際、義父に「将来は伊万里市に戻ってきます」と約束していたというのも移住理由のひとつですが、単純に伊万里市を気に入っているのですよ。
まずは景色が素晴らしいですね。我が家からはすぐ海が見えますし、夕日も大変きれいです。いいところに住んでいるなと、日々実感しています。畑にはヤギもいて、草刈りが大変なので、ヤギに食べてもらっているんです(笑)。
起業という面でみても、佐賀県で会社を立ち上げることには良さがあるといえます。スタートアップ支援の公募に対し、東京や横浜に比べると佐賀県は応募する母数が大きく異なるでしょう。大都市圏での挑戦だったとしたら、埋もれてしまっていたかもしれません。
あとは年齢ですよね。スタートアップ界隈は若い人向けの支援が中心なこともあり、私もスタートアップ支援を受ける際、年齢について触れられたことがあります。それでも取り上げていただけたのは、母数の少ない佐賀県という地域での挑戦だったこと、土壌微生物という特殊なテーマの会社であることが大きかったのではないかと思っています。
無事に会社を立ち上げた今も、県のスタートアップ支援を受けています。ピッチイベントに登壇する機会もいただきました。多くの方とお話するなかで、この技術のおもしろさを理解していただいている手応えを感じています。それと同時に「私の代で終わらせてしまうのはもったいない。何とかして次の世代にもつなげなければ」という想いも強まりました。今は、どのような形でバトンを渡すのがいいのかを懸命に考えながら、次につなぐためにも今がんばらねばと取り組んでいるところです。

目指すは「回転ずし」
現場で使われるサービス設計を
現在、私が使用している装置は、会社員時代に作り上げたものから進化を遂げています。大きな変更点はセンサーの形状です。以前は平らなかたちだったのですが、先端を尖らせることで分析時の泡への引っ掛かりをなくして感度を高めました。また、使用後の洗浄も楽になりました。
会社員時代の挑戦では農家の方々からの反響は今ひとつでしたが、20年近くが経過した今は関心を示してくれる方が非常に増えました。土づくりの重要性を理解する方が増えたのでしょう。北は北海道、南は沖縄まで、全国各地の農家さんから依頼が届いています。露地野菜から果樹まで、育てられている品種もさまざまです。土の状況を調べてアドバイスを差し上げているのですが、「その通りに手を打ったところ、成長が良くなった」と喜んでいただけています。
事業化にあたって大切にしたのは、生産現場で本当に役立つサービスにすることです。人間が定期的に健康診断を受けるように、土壌調査も1度きりではなく、継続的に経過を見ていくことが欠かせません。そのためには、無理のない料金設定である必要があります。私の土壌診断を1回3000円という低価格に抑えているのは、繰り返し使い続けていただけるようにと考えてのことなのです。
また、スピーディーに結果を出し、わかりやすく伝えることも重視しました。結果が出るのが遅ければ、次の作付けまでに土を改良することができません。会社員時代に農場に足を運んだときにも「すぐに結果がほしい」と言われていました。そのため、1週間以内に結果をお渡しし、次の生産につなげられるようにしています。

たとえ結果が早く届いても、数値データが羅列されただけでは、研究者ではない農家の方は「結局、何をすればいいの?」と困惑してしまいます。そこで、詳細なデータに加え、直感的に理解できる資料も作成しました。「透水性を高める改良をしたほうがいいですよ」「病気が出やすい状態になので、こう対策したほうがいいですよ」など、具体的なアドバイスもお伝えしています。
きちんと現場で愛用されるサービスにするために、速さとわかりやすさの担保は重要事項でした。私が目指しているのは「回転ずし」のようなサービスです。誰でも簡単、手軽に土を調べて自分たちの手で良くしていける。そんなサイクルを作りたいのです。
わかりやすさ、親しみやすさを感じていただけるよう、土壌微生物のキャラクター化も行いました。「土づくりレンジャーズ」と称して、それぞれの個性をイラストにしています。どの微生物にどんな特徴があり、土にどう影響するのかを説明する際に役立てているのです。この絵は、スタートアップの縁で知り合った方に描いていただきました。とてもかわいくて大変気に入っています。

手頃な価格設定もあってか、最近では家庭菜園に取り組まれている方や公園の緑化に携わる方など、農家以外の方からも依頼をいただいています。これは想定していなかったうれしい需要でした。また、肥料メーカーからも「有機肥料の効果を測定したい」とご相談をいただいています。廃棄物を無駄にしないため、肥料にしたいといったニーズもあり、企業の意識も高まっていると感じます。
次世代へ技術をつなぐため、まずは安定した経営体制を整えることが当面の課題です。国内展開を広げるための営業強化も必要ですが、国内の有機農業の取り組み面積がいまだ0.8%(2023年時点・農林水産省HPより)という現状ではまだ効率的な営業が難しい側面もあります。現在はテレビやYouTubeを見た方からの問い合わせが中心ですが、このセンサー技術がお役に立てる場面はもっと多くあると強く感じながら、一生懸命に取り組んでいます。
将来的には、診断・分析モデルの海外展開も視野に入れたいと考えています。そして、どういう形で次世代にバトンタッチするのかの答えも見つけていきたいですね。どこかに譲渡するのか、会社自体を引き継ぐのかなど、今後5年10年かけ、じっくり残し方を検討していきたいと思っています。
妻・禎子さんが見る夫の挑戦
会社を立ち上げ、少しずつ依頼が増えていくなか、器具の洗浄などを手伝っているのが、妻の禎子(よしこ)さんです。夫のサポートを「推し活」と表現している禎子さんに、コメントをいただきました。
関東に住んでいた会社員時代から、夫がずっと夢中に取り組んでいる様子を見てきました。今は自宅に分析室があり、そこに装置がありますが、当時はベッドルームに装置を置いて、土日に分析をおこなってたのです。泥だらけになりますから、せめてもの対策としてシーツを汚れが落ちやすいつるつるした素材に変えて(笑)。私自身も自分の好きな仕事を大切にしていたので、夫にもやりたいことをやってもらいたいと思い続けてきました。
私も分析準備、片付け、栽培試験のサポート、講演会に同行したり会議や学会にも同席したりして、少しずつ土の世界を知るようになりました。専門知識をすべて理解しているわけではありませんが、この技術がどれほど世の中に必要なものなのかは十分にわかりますし、将来に残したいという想いは、私としても強くなりました。これからもこの技術を次世代に残すため、夫の挑戦を応援し続けます。


おもしろいから、
転んでも立ち上がれる
伊万里市は陶器が盛んなマチで、おもしろいマチだなと思っています。ただ、人口減少の影響で、子どもの数も減っているため、10年後にはどうなっているのかなと、ふと心配になります。地域を盛り上げる一助になればと考えていたところ、佐賀県の中山間地の課題解決をテーマとした映画「土のひと、風のひと」を鑑賞しました。その内容に深く共感し、伊万里市を盛り上げるきっかけになればと、自ら上映会を主催しました。
私は「おもしろい」と思ったら、まっしぐらに突き進むタイプなのだと思います。未知の挑戦だった会社設立も「おもしろい、楽しい」と突っ走りましたし、土壌微生物の研究やバイオセンサーの開発も、おもしろかったから続けてこられました。今思うと、貧栄養細菌の服部先生、バイオセンサーの軽部先生、複雑系の横山先生など、「余人をもって代えがたし」といわれるような、異色の輝きを持つ先生方との出会いが大きく、その背中を必死に追いかけていたように思います。「大変だったでしょう」と思う方もいるかもしれませんが、私としては別にさほど大変だと思ったことはありませんし、心が折れたこともありません。単純に、好きだからでしょうね。
もし何か夢があるのなら、ぜひ突っ走っていってください。ただし、挑戦には失敗がつきものです。転んでしまうことも当然あります。でも、そこは七転び八起きです。めげずに立ち上げり、自分の「好き」「おもしろい」に素直に走り続けてほしいと願っています。

ー おわりに ー
おっとり話される橋本さんと、そんな夫の挑戦を熱く応援する妻の禎子さん。ご夫婦の良い関係性も印象的だったインタビューでした。「この技術は、世を変えられる力を持つ、残すべきものである」という想いを形にすべく、橋本さんの挑戦はまだまだ続きます。「好きだから」「おもしろいから」が生むパワーの強さを感じました。
PROFILE
橋本好弘(はしもとよしひろ)
合同会社土壌診断用バイオセンサー研究会代表
1959年長崎県長崎市生まれ。九州大大学院農学研究科で博士号を取得。2001年に種苗会社「株式会社サカタのタネ」に入社。2020年サカタのタネを退職。2021年土壌フローラ診断を広めようと合同会社土壌診断用バイオセンサー研究会(SDB研)を設立。
合同会社土壌診断用バイオセンサー研究会(SDB研):https://soil-biosensor.jp/




