磯村歩(いそむらあゆむ)さんはデザイナー・社会起業家として、福祉の世界に関わってきました。共同代表を務める一般社団法人シブヤフォントでは、東京都・渋谷で暮らし働く障がいのある人と、渋谷で学ぶ学生によって創られたフォント・パターンを「シブヤフォント」として展開。これまでにも多くの企業に採用され、広がりを見せています。そのシブヤフォントの原点は、磯村さんが会社員時代に担当した『写ルンです』のアンケート調査だったそう。それがどのようにして、現在のクリエイションにつながったのでしょうか。シブヤフォントの成り立ちに至るまで、お聞きしました。
『写ルンです』が変えたデザインの未来
金沢美術工芸大学で工業デザインを学びました。卒業後には富士フイルムにデザイナー職として入社し、20年ほど勤めました。ユニバーサルデザインを担当していたこともあり、退職後は福祉先進国であるデンマークに1年ほど留学。帰国後、株式会社フクフクプラスの設立を経て、一般社団法人シブヤフォントの設立に至ります。
富士フイルム時代、いろいろな特性を持つ人の「不便さ」に関する調査をしていたんです。偶然、レンズ付フィルム『写ルンです』を目の見えない人が使っていることを知り、理由を聞くと「ギーギーガシャって、触覚と音で、全ての操作がわかるカメラだから」との答え。さらにはレンズ構成が「パンフォーカス」といって、撮影時にはピントが手前から奥まで合う、というのも相性が良かった。目の見えない人が、旅行先で撮った写真を家族に見せるために『写ルンです』が使われていました。言わば旅行先の様子を伝えるコミュニケーションツールになっていたんです。僕はユニバーサルデザインの担当として、「不便さ」を解消したいと思っていました。ところが、僕の方が新しい使い方を教えてもらったんです。その時に、障がいがある人との共創によって、新しいデザインの可能性が生まれるんじゃないか、と思ったんですよ。
そこから、他の障がいのある人はどうなんだろうかと考えるようになりました。プライベートでも障がい者の支援団体に入り、交流を深めながら、新しいクリエイションのきっかけを自分なりに探しました。そんな経験を富士フイルム時代にし、それが退職後も脈々と続いています。この世界の仕事に僕が取り組むようになった大きなきっかけですね。
フォントで始まるダイバーシティ社会
デンマークに留学したのは福祉先進国で、世界一幸せな国だと言われていたからです。一度は見ておきたいなと思いました。デザインの現場や、障がいのある人を社会にインクルージョンしている現場などいろいろと訪ねました。それが1つのインスピレーションとなり、帰国後に介護の世界でのビジネスを考え、パーソナルモビリティーの事業や、福祉作業所と連携してスイーツのギフトボックスをデザインしました。また、渋谷区にある専門学校・桑沢デザイン研究所で非常勤教員も務めていました。そうしたキャリアに渋谷区役所の担当者が着目してくれたんです。「区内の障がいのある人とデザインを学んでいる学生との連携で、新しい渋谷みやげを作りたい。コーディネートをしてくれませんか」。そうした依頼を受け、渋谷区とのご縁が始まりました。
区長に中間報告をした時、「3Dプリンターを活用するアイデアはないでしょうか」と聞かれたんです。僕はプロダクトデザイナーなので、3Dプリンターがそのまま商品化につながるとはちょっと思えませんでしたが、「福祉とデジタルの掛け合わせは可能性がある」と思ったんです。それが渋谷らしく、ちょっと今までとは違う新しい展開になるんじゃないかと。そこで、当時の私の教え子だった8人の学生と一緒にアイデアを検討しました。手工芸を活用したいという学生もいれば、障がいのある人の文字はユニークなので、文字を活用したいという学生もいました。障がいのある人が描いた絵をパターン化するというアイデアもこの時に出たものです。それぞれの学生と話し、手工芸やフォント、デジタルデータに関する可能性を追いかけてみましょうとなりました。このようにアイデアのラインナップを広げていき、「渋谷みやげ」を決める選考会を開いて、障がいのある人の文字をフォント化する「シブヤフォント」というアイデアが選ばれたんです。区長を始め多くの方々に支持されました。フォントであれば、パッケージのちょっとしたタイトルなどに採用されやすく、世の中に広がりやすいという強みがあります。そして、「シブヤ」という言葉の響きに力があって、何だか呼びやすい、何だか頭に残る。そういった「シブヤフォント」という名前の力みたいなものも、このアイデアが採用される大きな後押しになったような気がしますね。
以降、障がいのある人と学生がタッグを組んで、文字や絵をフォントやパターンにしています。そのデータを企業に利用いただき、利用料の一部を福祉に還元しています。渋谷区の事業として、ダイバーシティ・アンド・インクルージョンの理念を広げるということもあるので、企業のみならず、個人の方にも使っていただくことで、障がいのある人の創作物を身近に感じてもらい、多様性理解の一助になればと考えています。2017年にスタートし、累計で企業90社以上の商品に採用され、毎年400万円から500万円を渋谷区内の障がい者支援事業所に還元しています。データ数もおよそ600弱のラインナップを揃えるほどの事業に育ちました。
フォントはとても身近で、誰でも気軽に加工できるアートワークです。フォントデータ自体は障がいのある人と学生による制作ですが、使い手の私たちも制作に関わることができるんです。文字の大きさや色を変えたり、いろいろな組み合わせにしたりすることで、最終的にタイピングされた文字列は、障がいのある人、学生、そして使う人による共同創造物だと言えます。そして、パターンの多くはIllustrator(イラストレーター)というデータ形式で、背景の色を変えたり、一部をピックアップしたりといった加工が可能です。フォントと同じように使い手が自由にアレンジできるデータ構造であり、加工ができるライセンス契約にしています。フォント・パターン共に、それを使う人が自由にクリエイトできる。それは作り手と使い手とが共同で創造するコ・クリエイションの構図を内包していて、さらには共生社会の縮図がそこにあると思うんです。
「障がい者アート」のカテゴリーで捉えられる時もあるんですが、私たちの取り組みは、障がいのある人と他者との共創プロセスが特徴で、その関係性から生まれる個々の意識の変化や行動変容を大切にしてます。障がいのある人が全て描きあげる障がい者アートもリスペクトしつつ、私たちはデジタルデータだからこそできるコ・クリエイションに、あるべき共生社会を見ています。他者との寄り添いによって、強みが引き出され、それが社会に届けられる可能性。シブヤフォントはひょっとしたら、それを示唆し得ているんじゃなかろうかとも思うんですよね。
ー おわりに ー
磯村さんは大学卒業後の就職先として、複数の家電メーカーを志望していたそうです。富士フイルムを選ばなければユニバーサルデザインを担当することはなく、『写ルンです』のユーザー調査に関わることはなかったかも。ひょっとするとシブヤフォントが生まれることもなかったかもしれません。
もっとも、そんな心配は無用でしょう。デンマークからの帰国後、ホームヘルパー2級の資格を取得。「まずは実践を」と福祉の現場に飛び込んだと言います。いずれの道を辿っていたとしても、根っこにある共生社会への想いは揺るがなかったことでしょう。そんな磯村さんが情熱を注いでいるフォントたち。皆さんも使ってみてはいかがでしょうか。
PROFILE
磯村歩(いそむらあゆむ)
一般社団法人シブヤフォント 共同代表
株式会社フクフクプラス 共同代表
専門学校桑沢デザイン研究所 非常勤教員
1966年愛知県常滑市生まれ、金沢美術工芸大学卒。富士フイルムを退職後にデンマークへの留学を経て起業する。2016年度渋谷みやげ開発プロジェクトとして、渋谷区内の障がい者支援事業所と専門学校桑沢デザイン研究所の学生の協力により生まれた「シブヤフォント」は、グッドデザイン賞、iFデザインアワードをはじめ、数多くの賞を受賞。
ストレス発散はサウナで。「葬送のフリーレン」を愛読する。
シブヤフォント:https://www.shibuyafont.jp/