
「異彩を、放て。」をミッションに掲げ、障害のイメージ変容と福祉を起点に新たな文化の創出を目指すクリエイティブカンパニー、株式会社ヘラルボニー。障害のある作家が描くアートを使ったアパレル、雑貨、原画の販売や、企業とのコラボレーションを展開し、東京やパリなど国内外での活動を広げる一方、2025年3月には岩手県内唯一の百貨店、川徳(パルクアベニュー・カワトク)に旗艦店「HERALBONY ISAI PARK」をオープンするなど、創業の地、岩手県での取り組みを大切にされている会社です。
そんなISAI PARKでコミュニティーマネージャーとして活躍している木村芳兼(きむらよしかね)さん。歩んできたキャリア、ヘラルボニーに参画した理由や岩手県での取り組みについてお話を伺いました。
人生の点が集約し、
ヘラルボニーに飛び込んだ。
私のキャリアのスタートはアパレル・アウトドア用品メーカーを扱うパタゴニアで、福祉の世界に足を踏み入れたのは、地域おこし協力隊として秋田県鹿角市に移住してきたことがきっかけでした。協力隊の任期中に地域活動や移住促進業を行うNPOを立ち上げ、保育園を見学したご縁で、社会福祉法人の理事長さんと出会ったんです。その方から採用への悩みやブランディングへの課題をお聞きし、パタゴニア時代の経験を活かしてお仕事の依頼を受けるようになったのが、福祉への関わりのスタートでした。
それまで、福祉にはまったく関わりのない人生を歩んできたため、特別養護老人ホームですら、当時の私にとっては「用事がなければ入れない、よくわからない閉ざされた場所」でした。
就労継続支援B型支援所は未知の世界でしたね。障害のある方と関わることなんて、中高生以来のことでしたし、大人の障害のある方と関わったことなんてないに等しかったですから、20代から60代くらいまで、本当にいろんな方がいらっしゃることに驚きました。いずれも、人が暮らしたり過ごしたりしていて、営みを支えている場所なんだなとも思いましたね。
ヘラルボニーと出会ったのは、コロナ禍のことでした。社会福祉法人の広報や採用担当として働いていまして、マスク不足に陥ったとき、『#福祉現場にマスクを』というヘラルボニーのキャンペーンを知ったんです。福祉を軸にしながら、株式会社(営利企業)という形で事業をされていることに、まず驚きましたね。「障害は可能性でしかない」というミッションにも共鳴しましたし、障害のある方が確定申告をするぐらい稼ぎを得られているという事実にも衝撃を受けました。
就労継続支援B型支援事業所では、利用者の方に毎月工賃をお渡ししています。その金額は月に1万5000円程度くらいからと、障害のある方が自立した生活を送れるほどの金額ではありません。事業所の収入を増やせるとお渡しできる工賃を少しでも多く渡せるのですが、なかなか簡単な話でもなく、正直当たり前のように工賃をお渡ししていたんですね。もちろん、社会福祉法人や就労継続支援は必要ですし、大切な仕事であることに間違いはありません。ただ、ヘラルボニーを知ったことで、社会福祉法人で働いてきた私自身に対して、「私は障害のある方を十分サポートできていると勘違いしていたのではないか」と思ったんです。
重ねてになりますが、身近にいる障害のある方のためには地域に寄り添った取り組みが必要であり、これまで携わってきた仕事を否定するわけではありません。しかし、根本的なことを考えると社会全体、世界全体がより良い方向に変わっていくことが必要で、私はそうした仕事をしたいと思ったんですよね。この想いには、パタゴニアでの経験と、自閉症と診断された娘の存在も影響しています。
パタゴニアは地球環境に目を向けたミッションを掲げていたため、自然と視野が世界全体だったんですね。地域おこし協力隊として地域活動をするなかで、その大切さも理解しましたが、やはりグローバルな視点で社会課題にアプローチしなければ、私の娘のことも、福祉施設の利用者さんのことも、根本部分で変えることはできないと気付いたんです。根本から変化を起こしたいなら、勢いのあるスタートアップに飛び込んだほうが可能性があるのではないか。そして、社会を変え得る可能性がヘラルボニーにはあるのではないか。そう考え、転職を決意しました。
ここ数年で、両親が続けて亡くなったこともあり、あまりにも突然すぎる別れを体感したことも、チャレンジを後押ししました。仕事も、立ち上げたNPOも順調ななかでの挑戦でしたね。受け入れてくれた家族には感謝しています。秋田県鹿角市に住んだまま、岩手県盛岡市に出勤しているため、通勤時間はバスで2時間ほど。実現したい未来があるなら、場所や時間を問わず飛び込めるんだと実感しています。
入社後の今、ヘラルボニーに感じるのは、「ハードは変えられないかもしれないけど、ソフトの部分を変えられる組織」です。思想や理念、カルチャーをつくっていくためにいろいろなツールを持っている組織で、そのあたりはパタゴニア時代の感覚と近いなと思っています。あとは、強いストーリーを持っているメンバーが多いですね。だからこそ、推し進めていく強さがあるのでしょう。これまでと近い感覚がある一方、初のスタートアップということで、組織的な違いも感じました。特に社会福祉法人は非常にかっちりしていましたから、やはりスピード感や雰囲気に違いがあるなと思いますね。

(Photo:CURBON)
波紋が広がるように、
出会いも活動も広がっていく。
私の最初のポジションは岩手事業部のシニアマネージャーでした。入社したタイミングで、ちょうど岩手事業部ができたんです。これまでも、ヘラルボニーは創業の地であり、代表たちの故郷である岩手県を起点に事業を広げてきたのですが、それらの活動は点だったんですね。それを面にしてまとめることで、さらに拡張させていく部署としてつくられたのが、岩手事業部でした。
ヘラルボニーの代表は双子なのですが、入社したころ、その双子のひとりである松田文登(まつだふみと)が「岩手をヘラルボニーの聖地にしたい」とお話されていたことを覚えています。特に本社のある盛岡市を事業の起点としていて、そこに落ちた雫から波紋が広がるように続けてきた背景があるんです。参画してみて、個人的にも地域からのろしを上げていくこと自体がすごく重要だなと感じています。
東京で成功するのが難しくても、他の地域でならチャンスがあるかもという話もありはしますが、そもそもシンプルに、東京本社より岩手県に本社があるほうがかっこいいよねという感覚が両代表にあるんじゃないかなと思いますね。両代表は、揃ってヒップホップが好きなんですよ。ヒップホップは地元を大切にするカルチャーがある音楽なので。ヘラルボニーの代表は双子の松田兄弟ですが、真の創業者は両代表のお兄さん、翔太さんだと言われています。翔太さんは重度の知的障害をともなう自閉症で、今も岩手県に住んでいて、文登も盛岡市に住んでいます。創業のきっかけはいたってシンプルで、「翔太さんを幸せにしたい」想いなんですよね。誰もが自分の家族を幸せにしたいという、人間としてシンプルな想いが動機で、だからこそ岩手県に特別な想いを抱き続け、岩手県という地域を大切にしている組織なんです。
秋田県と同じく、地域ではどれぐらい信頼関係を築けていけるのかが重要だと思っています。私の場合、盛岡市役所のキーマンとなる方との出会いが大きかったです。その方のつながりから盛岡市長とお話できる機会を得られ、それが後の包括連携協定の締結につながりました。事業の広がりについても「落ちた雫から波紋が広がるように」と表現しましたが、人のつながりも同じですね。誰かとの出会いが、また別の誰かとの出会いにつながっていく。そのステップを踏んでいくことで、インパクトのある事業を実現できるようになる。「どうすればインパクトのある事業ができるだろうか」と構想を練りながら、一歩一歩進んできました。
岩手事業部の立ち上げ初年度には、岩手銀行さんと契約を締結し、「岩手異彩化プロジェクト」を推進しました。ロックフェスに作家を呼んでライブペインティングをしたり、商店街で行われてきたダウン症の方やご家族の方の行進イベント「バディウォーク」に対し、景色の中に溶け込む空間装飾を施したり。作家さんのオリジナル作品を使った紙袋とポストカードを配布する取り組みも行いました。はじめた当初は、あくまでも銀行という企業との取り組みであり、ヘラルボニーの価値観を銀行に共有するといったものでしたが、徐々に地域の方にも伝搬してきたのではないかと思っています。
地域の方とも取り組めたものでいくと、「ヘラルボニーバス(通称)」もあります。岩手県北自動車株式会社およびその親会社にあたる株式会社みちのりホールディングスとの共創の取り組みとして、盛岡市内循環バスにヘラルボニーの作家の作品をラッピングしたんです。この取り組みには、その前段階としてバスセンターでの活動がありました。1960年に開業した盛岡バスセンターが、老朽化により建て替えることとなり、その仮囲いをキャンバスとし、「Wall Art Museum」と名付けたんです。その仮囲いに描かれたバスが、「ヘラルボニーバス」として現実化したのが、この取り組みでした。ただヘラルボニーの作品が描かれたバスをつくったのではなく、「ヘラルボニーバス」である以上、「もっと優しいバス」を目指すため、地域の中学生に向けて課外授業も行ったんですよ。

その他の取り組みとしては、昔からある酒蔵がなくなってしまい、跡地にマンションが建つという話を知ったときに行った、講演型のワークショップがあります。実は、もっと早く知っていれば、マチの景観が大きく変わってしまうことを防げたんじゃないかという想いもあったんですよね。しかし、知ったときにはもう計画が決まっていて、「マチの景観が変わったり暮らしに影響を及ぼす建造物ができたりするときに、地域住民でもっと話し合える場所があったほうがいいのでは」と地域の方からご相談を受け、ワークショップを企画したんです。
このワークショップには、同じくマチづくりが盛んな群馬県前橋市から、前橋市に本社を持つ眼鏡のJINSの代表の田中さん、盛岡市長、わんこそばで有名なそば処 東家(あずまや)の専務にもお越しいただき、ヘラルボニーの代表の文登と未来に向けた話をしていただきました。このご縁から、盛岡市と前橋市のMを取った「MM同盟」ができ、前橋ブックフェスという前橋市のイベントに盛岡市市長や役所の方が行ったり、文登が講演に行ったりと、地域間での交流も生まれています。
岩手事業部が立ち上がり活動していくなかで、文登だけではなく、岩手メンバーのことも覚えてくださる地域の方が増えました。パタゴニアは鎌倉に日本法人の本社があり、マチを歩いていてもパタゴニアの服を着ている人が多いんです。盛岡市でも、ヘラルボニーの作品を身にまとっている方が多く見られるようになっていくんじゃないかと期待しています。そうした方たちが交差する日常が生まれるんじゃないかなと。すでに、地域のイベントでヘラルボニーのプロダクトを身にまとっている人同士が出会って、「あ、ヘラルボニーを知ってるんですか?」という会話が生まれたり、そこから友達になったり、推し活をしてくださっている方がいらっしゃったりしているんですよ。そうした広がりが大きくなっていくことが、寛容なエリアになっていくことにつながるのかもしれません。
プロダクトを通じてヘラルボニーに出会った方が、作家に関心を持ち「知ってみようかな」という流れも増えている気がします。そこから、ヘラルボニーのはじまりの場所である花巻市にある「るんびにい美術館」に行ってみようかなと思ってくださったりするなかで、意識の芽生えなのか行動変容なのか、何かしらの変化があるのかなと思います。会社のスタンスとして、私たちは「支援」という文脈は使いません。ヘラルボニーに問い合わせてくださる会社さんも、まずは経営者の方がヘラルボニーのネクタイから入ってきて、そこから「うちの会社でも何かできないでしょうか」という問い合わせに発展していて、「障害のある方を支援しよう」がスタートではないんです。あくまでも、それぞれの方が咀嚼して、自分たちがやりたいこと、できることは何だろうという想いで行動している結果だなと思います。

ー おわりに ー
生まれは神奈川県の木村さん。「地元を捨てたと思われる方もいるかもしれませんが、帰省もしますし、そこには仲間がいます。脱藩して国を変えようとしていた幕末の歴史に強烈な憧れがあることもあり、住む場所にこだわりがあるわけではないんですが、生まれ育ったマチは好きなんです」と語ってくれました。
秋田県、岩手県の人たちについて、「どちらも多様な人を受け入れる寛容さがあると感じる」という木村さん。居心地の良さと圧倒的な人の好さを感じているといいます。後編「広がりを生む公園の誕生」では、そんな盛岡市での新たな取り組みについて伺います。
PROFILE
木村芳兼(きむらよしかね)
株式会社ヘラルボニー
ISAI PARKコミュニティーマネージャー
神奈川県大和市出身。文化服装学院卒業後、27歳でパタゴニアに入社。10年間の勤務を経て、地域おこし協力隊として秋田県に移住。社会福祉法人での経験を経て、2023年にヘラルボニーに入社。岩手事業部シニアマネージャーを経て、2025年1月にISAI PARK コミュニティーマネージャーへ就任。現在は秋田県在住で盛岡本社に勤務。
株式会社ヘラルボニー:https://www.heralbony.jp/
ISAI PARK:https://isaipark.heralbony.com/