日本唯一の「絶景プロデューサー」を肩書とする詩歩(しほ)さん。2014年に独立してから、10年の節目を迎えました。流行語大賞にもノミネートされた絶景ブームの火付け役。その情報発信は旅好きを中心に注目されてきましたが、「あなたの周りにも『絶景』はあふれています」とも。これまでの活動を振り返っていただきつつ、その言葉の意味を語ってもらいました。
「絶景プロデューサー」とは
「絶景プロデューサー」という肩書きは自分で創りました。だから、私1人しかいない仕事なのかな。具体的に何をしているかというと、ワインソムリエの仕事をイメージすると分かりやすいと思っています。ワインソムリエは実際に葡萄を栽培したり、ワインを醸造したりするわけではありません。知識を基にワインをテイスティングし、人に紹介する仕事です。絶景プロデューサーは「絶景に関するなんでも屋さん」。国内外の絶景スポットを巡って得た知識を基にアドバイスをしたり、プロモーションの手伝いをしたりしています。「この場所をどのように売り出したら、いいのだろう」というような悩みに対して、「この時間帯にこういう形で写真を撮ったら、絶景として売り出せますよ」というように提案をしています。自分が注目されたいとは全然思っていなくて。どちらかといえば裏方として、プロジェクトを考えていける人になりたいとずっと考えていたので、仕事を始めた最初から、「プロデューサー」を肩書きに入れることは決めていました。
仕事としては大きく3つあります。まず1つ目は、県や市などの自治体さんからの仕事ですね。何度か取材にお伺いして、地域に眠っている知られざる新しい絶景を発掘して、紹介しています。絶景が持っている力が観光振興、地域起こしに繋がっていくと強く感じているんです。2つ目は企業さんからの旅行関係の仕事が多いです。「若い人はどんな絶景が好きか、どんな旅行のパッケージを作れば注目してもらえるのか」というところを苦手とする企業さんも多く、「こういうものを作ったら、もっと若い人に刺さりますよ」というアドバイスをさせていただいています。
3つ目がグッズのプロデュースの仕事。最近では私の実体験を基にしたリュックサックを、メーカーさんと開発しました。きっかけはカメラを収納できる機能性もありながら、見た目が可愛らしいリュックが市場にあまりないこと。こだわりのポイントはまず、カメラの収納のしやすさです。普通のリュックと異なり、内側を上下2つの空間に分けているので、下にはレンズとカメラの本体を収納することができます。「今撮りたい!」と思った瞬間にすぐにカメラを取り出して、パッと写真を撮れるんです。他の物は上に収納できるので、ごちゃごちゃといろいろなものがカメラに絡まることがありません。もう1つのこだわりはデザインですね。機能に特化したリュックはどちらかというと男性向けのいかにもゴツくて、「カメラ入ってます」みたいなものが多いんです。私は旅先でもワンピースのような可愛い服を着たいので、そういうリュックを背負うとちょっと浮いてしまいます。ですから、普通の服装にも馴染むようなカジュアルな見た目でありながら、機能面は揃っているリュックが欲しかったんです。
詩歩さんがプロデュースしたカメラも入るトラベルリュック「Lintta(リンタ)」。
独立のきっかけは新人研修
初めて海外旅行をしたのは大学2年生の19歳の時。アルバイトをしてお金を貯め、イタリアに1人で1カ月間行きました。当時は絶景には全然興味がなく、古代遺跡とかが好きでした。1カ国目はイタリアで、次にエジプト、その次にペルー。マチュピチュなどの古代遺跡を巡りました。学生時代は旅行は趣味であり、仕事にしたいなどとは一切考えていませんでした。入学した早稲田大学では、幼少時代から興味のあった環境問題について学ぶため、人間科学部で環境問題を専攻。サークル活動では環境ビジネスに関する学生団体に入り、就職活動でも環境問題という目線で会社選びをしていました。けれども、環境問題を1つの会社で突き詰めていくという道が、どうしても見えてきませんでした。そんな時に電通や博報堂の人に出会い、広告業界のことを知りました。その人たちは環境分野を専門にしている部署に所属しており、いろいろな会社の環境コミュニケーションを手がけていました。そういう仕事があることを大学3年生の時に初めて教えてもらい、「私が進む道かもしれない」と気がついたんです。「将来は環境を担当する部署に入れたらいいな」と思い、広告代理店に入社しました。
「絶景」に注目するきっかけは、2012年に新卒で入社した会社の新人研修です。2カ月間の研修の課題として、1人1つのFacebookページを立ち上げ、「いいね」の数を競い合うことになりました。ライバルは全部で30人。私は負けず嫌いだったので、じゃあ、絶対に1位を獲ってやろうと思ったんです。自分が好きな旅行というカテゴリーの中で、特に好きなのは遺跡。ただし、ちょっと全体が茶色っぽくて、あまりコンテンツとしては見栄えがしません。Facebookは写真が大きく出るので、パッと一際目を引いて、思わず、「いいね」をしたくなるもの。それって絶景かな、とひらめいたんです。『死ぬまでに行きたい!世界の絶景』というタイトルをつけ、更新を始めたことが私の活動の始まりです。
「死ぬまでに」とは強い表現ですが、私の中では絶対に使いたかった言葉でした。というのも、Facebookを立ち上げたのは入社すぐの4月ですが、その1カ月前の卒業旅行中に、オーストラリアで交通事故に遭っていたんです。友人たちと乗っていた車は大破。ドクターヘリで運ばれ、手術をする経験をしました。22歳ぐらいだったのですが、人生って、どのタイミングで終わりが来るのか分からないということを強く感じたんですね。レスキュー隊の人からは「全員死んでもおかしくない事故だったよ。君たちはみんな無事で良かったね。ラッキーだよ」と言われました。いつ人生の終わりが来てもいいよう、やりたいことは本当にやりたいと思った時、ちゃんと行動に移しておかないといけない。後悔するような人生にしたくはないよな、とすごく強く感じました。
2年間勤めた会社では、1年目はスマートフォン広告の部署、2年目には広告ではない新規事業開発の部署に配属されました。1冊目の書籍『死ぬまでに行きたい!世界の絶景』は異動したタイミングで出版したんです。
退職した理由は、「副業がしづらかった」ことです。まず、副業をする際の申請が煩雑だったということ。また、本業自体がすごく忙しく、朝の9時から夜中の12時過ぎまで会社にいるという中で、家に帰ってからは朝の5時まで書籍のための原稿を執筆する生活を続けていました。この生活はちょっと続けられないなと。1冊目の書籍に関しては特別に了承を得て出版できたのですが、個人宛てにご指名をいただいた依頼をどうしても断らなければならないケースが増えたんです。じゃあ、私にしかできない仕事ってどっちなんだろうな。そう考えると広告会社の仕事については、私よりも能力がある人たちがたくさんいます。でも、絶景の仕事は今、私にしかできないのではないか。退職して、いきなりフリーランスになるのではなく、副業がしやすい会社に転職することを最初は考えていました。そもそも社会人2年目で、転職の方法もよく分かっていなかったのですが、当時の上司にクリエイティブ系の転職仲介をしている方を紹介してもらったんです。その方の言葉がすごく、胸に突き刺さっています。
「最初から50/50(フィフティ・フィフティ)で、2足のわらじを履くという前提で物事を始めたら、どちらも100%の力を出せず、成功することはない。だから、まずはどちらかを100%でやってみる。ダメだと感じたら、半分に分けたらいいんじゃない。なんで、1本ではやっていけないと思ってるの?」。
当時の私は絶景で食べていけるというイメージが全くなかったんです。けれども、何もやっていないのに「ダメだ」と考えていたということに気づかされました。バイトをすれば時給1500円とかを稼げるような時代なので、とりあえずは1本を全力でやってみて、ダメだったらまた考えればいいやって。自分の中で頭が切り替わって、その日のうちに上司に会社を辞める話をし、2014年3月末に退職しました。
自分にしかできないことを磨いていこうと思ったんです。仕事の中身に関係なく、人として必要とされることはすごく嬉しいことでした。社会人の2年間は人に頼りにされる瞬間はほとんどありませんでしたが、1人でフリーランス活動をするようになると「詩歩さんにこれをやってほしい」と指名をしてもらえるようになりました。それがすごくやりがいになって、任せてもらえる仕事は120%の力でがむしゃらにやっていたら、もう10年が経ちました。そんな一瞬の10年だったなと思います。
独立から10年。変化と再認識。
やはり年を重ねてくると海外の長距離移動とか、ハードになると身体に影響が出てきます。29歳の時に、体調が悪くなったことがありました。それをきっかけに頑張らないではないけれど、頑張り方を変えていこう、計画的にちゃんと休むことを仕事に入れていくことにしました。当時は東京に住んでいましたが、東京にいると良くも悪くも、いろいろな人からのお誘いがあります。空き時間があれば全て、予定に詰め込んでしまっていました。そうじゃなくて、ちゃんと自分の時間を持ち、1人の時間を設けることを大切にするようにしたい。東京にいる限りは自分にはそれができないなと思い、拠点を他の地域に移してみようと京都に移住することを決めました。移住を考えてから、実行までは1カ月ぐらい。2019年の夏に京都に移り住み、今は5年目になりますね。
2023年度は365日のうちの150日ぐらいは旅をしていました。とはいえ、この10年間では海外と国内の比率がすごく変わっています。2014年に独立した時、いろいろな情報、いろいろな絶景スポットの知識だけはあるのですが、実際に海外に行った場所が圧倒的に少ない、自分の目で見てきた場所が少ない、ということを課題に感じていました。なので、1カ月に1カ国は必ず海外に行く、ということを自分の中のミッションにしました。それを2015年から2018年の年末まで、4年間実行しました。独立当初の海外経験は10カ国ぐらいでしたが、今では63カ国に渡航しています。
海外への旅は、現在は年間に5回ほど。2019年に体調を壊しかけたこともありましたし、行きたいところは既に行っているので、義務化するかたちで海外に行くのもちょっと違うなと。義務・ミッションというより、タイミングですね。人に会う予定や、本当に行きたいところには行くようにしています。去年は南米を巡りましたが、久々にちょっと旅らしい旅をしてきて、「やっぱり旅はいいな」ということを再認識しましたね。
絶景を巡ったり、写真を撮り始めたりすると仲間や友達がどんどん増えてくるんです。そういう人との出会いや、写真を通じてコミュニティが広がっていくこと。こういう機材で、こういう風に撮ったら、もっと綺麗に撮れるんだ、という試行錯誤を繰り返していくことで、ちょっとずつスキルアップし、表現方法が増えていくことは実感として楽しいですね。
絶景が面白いのは一筋縄ではいかないところ。歴史的な施設、史跡はいつもそこにあるので、天気が悪かろうが、春だろうが、秋だろうが、いつでも見ることができますし、それだけでロマンを感じることもできます。けれども、絶景は季節だったり、時間だったり、条件が揃わないと見ることができません。自分の予想が当たって、狙っていた現象や景色を見ることができると、「わっ!」となる。いつでも見られるものではないからこそ、そんな絶景に出会えることはやっぱり嬉しさがありますね。そんな感じかな。
ー おわりに ー
プロデュースしたリュックの愛称は「Lintta(リンタ)」。詩歩さん自身の命名で、フィンランド語で鳥を意味する「Lintu(リンツ)」と日本語の「旅(たび)」の頭文字を組み合わせたそう。「身軽にリュック1つで、鳥のように旅をしたいという私のスタイルを表しました」と詩歩さん。世界の絶景を巡るにはフットワークの良さは重要です。
そうは言っても、ファッションをないがしろにしないところはさすが。トレードマークのニット帽は40個ほども持っているとか。お気に入りは黄色系のもので、絶景と一緒に写真を撮る際に特に映えるそうです。この日のインタビューでもビシッと着用。多くのフォロワーに支持される理由が分かったような気がします。
PROFILE
詩歩(しほ)
絶景プロデューサー
静岡県「ふじのくに観光公使」、静岡県浜松市「やらまいか大使」、愛媛県「愛媛・伊予観光大使」
静岡県浜松市出身。早稲田大学人間科学部卒。
広告代理店の新人研修時に「絶景」に着目し、制作したFacebookページが人気を呼ぶ。
著書『死ぬまでに行きたい! 世界の絶景』はシリーズ累計63万部を突破した。
2014年に独立。自治体の地域振興、旅行商品のアドバイザーなどを務めている。
SNSのフォロワーは100万人を超える。
トレードマークはニット帽で、遺跡好き。
公式サイト「Shiho and...」:https://shiho.me/