
岩手県釜石市を拠点に、フリーの取材ライター、キャリアコンサルタント、「いわて地域おこし協力隊ネットワーク」のマネジャーとして活動する手塚さや香さん。新聞記者時代に新社会人として岩手県盛岡市に配属されたことを機に縁ができた岩手県が、東日本大震災で大きな被害を受けたことから、岩手県で復興支援員として働く道を選びました。
復興支援員の任期を終え、今は3つの柱をメインに複業フリーランスとして働く手塚さんに、移住先の地で働くこと、地域のまちづくりに必要な人材についての想いなどをお聞きしました。
生存戦略から複業フリーランスに
私は現在、ライター、キャリアコンサルタント、岩手県への移住定住の促進の3つを柱に、複業フリーランスとして活動しています。これは何も「複業フリーランスになろう」と思っていたわけではなく、活動を進めていく中で、結果的に複数の仕事をするようになったという感じですね。岩手県内の各地域でいろいろなことに取り組むプレイヤーとFacebookでつながっていて、そこで「こんなことは頼めますか?」と相談をいただけるようになりました。その経験が、「ライター以外の仕事もしたほうがいいだろうな」と思ったきっかけでした。
釜援隊は副業OKだったため、釜援隊の活動を通してのつながりで、元新聞記者という経験を活かした、地元新聞への記事の執筆など、ライターとしての仕事もはじめました。その中で、おぼろげながら「ライターのニーズがあるかも」と感じられるようになりましたが、とはいえ今ほどクライアントがいてくださったわけではなく、「別の仕事をやりながらになるかな」と思っていました。
就職は現実的ではないと考えていましたね。話を聞く・書くという自分のスキルを最も有意義に社会に還元するには、特定の会社では力を発揮しきれないのではないかなと思いまして。そもそも岩手県沿岸部では、都市部とは異なり、広報などの分野を専任で採用する企業自体がないのではないかとも思っていました。
2つ目の柱であるキャリアコンサルタントは、国家資格を取得したことで生まれました。資格取得を目指しはじめたのは、釜援隊の任期が残り1年となったころです。林業スクールという人材育成の仕事に携わりながらも、実は人材育成について理論的に学んだ経験がなかったため、きちんと勉強しようと思ったのが理由でした。さらに、厚労省もキャリア支援に力を入れていく方針を打ち出していると知り、自分の仕事のひとつにつながればいいなという想いもありましたね。
勉強をはじめたのが5月ごろ。秋に試験を受け、2020年内には資格を取得できました。合格できたのは森林業組合での私の活動がコロナ禍により鈍化し、時間ができたからでもあります。林業スクールは、全国から林業について学びたい人が集まり、山の所有者を訪ねて教わるスタイルでしたが、感染リスクを考慮して中断せざるを得なかったのです。
キャリアコンサルタントの資格を取り、ライターとしてのつながりを得られたものの、やはり釜援隊任期終了後の先行きへの不安は強かったです。そんな折、県内のベンチャー企業から、業務委託のプロジェクトマネジャーとして週1くらい稼働してくれないかという打診が入ったのです。復興支援員は個人事業主とはいえ固定報酬があったため、任期満了後に一気に収入がなくなるのが不安で、その話に応じることにしました。
しかし、10年間続いた釜援隊の活動終了に向けた業務がハードで、最後は3時間睡眠で乗り切るような状態に。そこから休む間もなくベンチャー企業での仕事がはじまったことで、5〜6月には不眠症に陥ってしまいました。そのベンチャーは立ち上げから1年ほどの企業で、事業方針の転換が繰り返される状況にあり、逐一私自身が理解し納得して進める余裕がなかったことも影響しました。さらに、コロナ禍の影響でメンバーとの対面コミュニケーションが制限されていたことも精神的な負担になっていたのでしょう。いわゆる適応障害というかメンタル不調に陥ってしまったのです。医師のアドバイスを受け、2カ月ほどでベンチャーの仕事から離れることになりました。
それまで、私は部署や支局が変わったり転職したりしても割とすぐになじめたので、適応力があるほうだと思っていたんですよね。でも、決してそういうわけではなかったのだなと40歳になって気が付きました。どんな仕事でも適応できるわけではなく、「納得できるかどうか」が重要なのだなと。今、健康に働き続けられているのは、仕事に対する納得感を大切にするようになったからでしょう。このときの経験がなかったら、どんな仕事でも請け続けてパンクしてしまっていたかもしれません。そういう意味でも、たった2カ月ほどではありましたが、ベンチャー企業での経験を悔いてはいません。ありがたいことにメンバーの方との関係は良好で、取材に協力してもらうなど今でも交流はあるんですよ。
3つの柱の最後のひとつ、移住定住の促進の仕事をはじめたきっかけは、釜援隊として活動中、盛岡の仲間たちと一緒に「岩手移住計画」という岩手への移住者のサポートをするための団体を立ち上げたことです。岩手県には復興を通じて関わった方が何千人もやってきていました。その多くは派遣期間の満了に伴い、住んでいた場所に戻っていくのですが、なかには「岩手県に留まって働きたい」と私たちに相談を持ち掛けてくる人もいたのです。そこで、任意のサークル活動のような形で支援をはじめました。当時は財源もありませんから、会費制での交流会などの活動をスタート。そこから「移住者を呼び込むツアーや、移住後の定着支援も行いたいけれど、財源がないと難しいよね」と話をしていたタイミングで、国が「地方創生」と言い出し、岩手県が移住体験ツアーを運営する事業者の募集を開始。2015年からは県の事業を委託され、旅行会社と一緒に5〜6年にわたりツアーを実施しました。
今は、復興支援仲間が立ち上げた県内の地域おこし協力隊の支援団体「いわて地域おこし協力隊ネットワーク」のマネジャーとして、地域おこし協力隊の方への支援も行っています。主に、地域おこし協力隊として岩手に来た方々の研修事業の運営のほか、卒業後の働き方に関する相談などが活動のメインです。キャリアコンサルタント資格を活かして研修の企画や運営をしていますが、今後はもう少し個別の伴走支援もできたらと思っています。卒業後の道は独立だけではなく、地元企業への就職という選択肢もあるので、その方が望む形で地域と関われるような支援をしたいなと。地域おこし協力隊の任期は3年と長いようで短く、その先に不安を抱えている方も多いため、そのニーズに応える活動ではないかと思っています。
3つの柱がある中で、今はライター業が時間も収入も6〜7割を占め、残りをキャリアコンサルタントと移住定住支援の仕事が半々といったバランスです。後者2つの仕事は融合しつつありますね。2024年度は理想のバランスだったのですが、同じことをしていてはそのバランスを保つことはできないと思っていまして、2025年度はキャリア構築支援のウエートを少し増やしていこうと思っています。
私が拠点としているのは、釜石市にあるシェアオフィスです。少し前、このシェアオフィスを会場に震災後にUターンをしてきた友人と複業勉強会を開いたところ、10数人が参加してくれました。参加者の中には、「複業」ではなく「副業」をされている方もいらっしゃいました。
私のような移住者は地域にしがらみがないため、フリーランスに働きづらさを感じることはないのですが、友人は親や親戚から、複業(副業)フリーランスという働き方に対して「プロでない」「専門性がないのではないか」「安定した会社に勤めたほうがいいのでは」と言われることがあるそうです。複業(副業)フリーランスという働き方が認知されれば、もっと複業(副業)しやすい地域にしていけるでしょう。そんな彼女の想いに共感しますし、私も自分のような働き方をしている大人が地域にいるのだということを、地域の高校生や大学生に知ってもらいたいなと思っています。私の場合は経営判断として複数の仕事をする必要があったのがはじまりではありますが、「どこの地域にいてもいろいろな働き方ができる」と伝えていきたいですね。

(Photo:CURBON)
偶然からの学びが次につながる
「計画的偶発性理論」という言葉をご存知でしょうか。これはクランボルツ教授という方が提唱したキャリア理論で、「個人のキャリアの8割は偶然の要素で構成されている」という考え方です。この理論によると、偶然を自分に有利に運ぶには5つのマインドセットがあるのだそうです。キャリアコンサルタントの資格勉強をしている中で知り、腑に落ちました。
自分のこれまでの道を振り返ると、まさにそうだなと思うんですよね。最初に盛岡へやってきたのも人事異動という偶然でした。でも、そうやって配属された土地で、その土地の魅力や知らなかった資源、尊敬できる方々や文化に触れることができたんです。こうした偶然から得た学びが次につながり、それを繰り返した結果が、今の自分の人生だなと。ベンチャー企業に適応できなかった経験も、振り返ると自己理解を深めるきっかけになりましたしね。
結果的に岩手県に移り住んだことで、尊敬できる方々に多く出会えたのは本当に恵まれているなと思っています。人口が減り、財政状況も厳しい中、地域づくりに課題意識を持っている仲間と話せたり、地場の経営者たちと会議をしたり、時には飲んだり。地域をより良くしたいという志を持った方たちと関わりながら地域に関する取り組みができるのは、埼玉や東京にいたころにはなかったことであり、私がここにいる理由のひとつだなと思います。
移住関係の媒体や社会問題、経済ネタを掲載しているWeb媒体に載せる取材記事を書く中で、岩手の起業家や地域で面白いことをはじめた人に話を聞く機会が増えました。文章を書く力で彼らを応援できていると感じられるのがうれしいですね。新聞記者時代より、自分の仕事の意味を感じやすくなったような気がしているんです。こうした出会いの数々も、偶然のひとつだと思っています。
何かが起きたとき、その受け止め方が人それぞれであることを、私は震災被災者との関わりを通じて実感しました。偶然のできごとから何を感じ、何を学ぶかも人それぞれです。私は偶然のできごとから学ぶことを大切にし続けたいと思っています。
計画的偶発性理論(プランド・ハップンスタンス)※日本の人事部より
【注】プランド・ハップンスタンス(Planned Happenstance)は、日本語で「意図された偶然」や「計画された偶発性理論」と訳される、比較的新しいキャリア論です。20世紀末にスタンフォード大学のジョン・D・クランボルツ教授が提唱した理論で、これまでになかった偶発性とキャリア形成の関係を示すものとして注目を集めました。・・・
なお、元文中では「キャリアの多くは偶然でできている」と表現されており、先行研究の文脈から「キャリアの約8割が偶然による」という解釈がなされることもあります。
外から来た人間だからこそ
持てる視点がある
復興支援員だった時代は、「東京から来てくれてありがとう」と言っていただける一方で、「いつか帰ってしまうんですよね」と言われたこともありました。こうした言葉がプレッシャーになる支援員もましたし、私自身、「どう答えればいいんだろう」と複雑な気持ちになったことがあります。ただ、いつしかそういった言葉をかけられることはなくなりました。釜援隊の任期が終わった後も釜石市に住み続けていることで、「この人は当分いるんだな」と認識されるようになったのかもしれません。
ただ、どれだけ長く暮らしていても、「外から来た人」であると感じることはあります。毎年3月は特にですね。震災の話が増えるこの時期には、毎年「自分にはわからない」と感じます。どれだけ親しくなっても、震災をこの地で体験していない私には、震災で誰かを亡くされた方の心の傷を理解することはできないのです。想像はできても、それは理解ではありません。「わかった気にならない」ことは、この地域で暮らす者としても、取材者としても必要な感覚だと思っています。そもそも、「家族を亡くした」方でも、感じ方や傷の癒え方は人によって違います。わかることはできないけれど、そのことを理解したうえでこの地域に暮らしているのだということは、何年経っても胸に留めておかなければと思っています。
ただ、震災から時が経つ中で地域の方々が実際にどう捉えているのかはわかりません。私はある地元企業のSNS運用サポートの仕事もしているのですが、ショート動画の撮影、編集、投稿に関して、私は3月11日には会社からのメッセージ動画を出すのが当然と思っていて、友人でもある専務の動画を撮り投稿してきました。友人同士の関係性で、彼の意向を理解しているつもりでいますが、震災から10年以上たった今も、3月11日にメッセージを出したいというのは、もしかしたら私の思い込みなのかもしれません。当時、関西にいた私は、震災による影響を何も受けなかったことに、ある種の申し訳なさがあるんです。計画停電もありませんでしたし、お店から商品がなくなることもなかった。だからこそ、被害がなかった地域の人たちにも3月11日を忘れないでほしいという気持ちが強いのかもしれません。
震災前から釜石に住んでいる人の気持ちを完全に理解できない一方、10年以上この地で暮らしてきた中で、すでに私の中でも「当たり前」になってしまった地域の風景や慣習などもあるだろうと思っています。先入観がないからこそ気付ける視点が必ずあると思うんですよ。特に地域の課題に関しては、長く暮らしている人ほど「これが当たり前だから仕方ない」と思ってしまいがちなので、知らない方だからこその発想があるだろうなと。
何か専門分野を持っている方、若い方、地域とこれまで関わったことがない方だからこそ、生み出せる価値があるのではないでしょうか。ぜひ、新しい風を吹かせてくれる人に岩手県に来ていただきたいです。いわて地域おこし協力隊ネットワークの仕事も、今のメンバーが年を重ねていったら、若い方が参加しにくくなるかもしれないなと思っているんです。こちらも組織として新陳代謝していったほうがいいのかなと思うと、あまり立場に固執したくはない。そのためにも、キャリアコンサルタントとライターとを掛け算してできる仕事を増やし、自分の幅を拡げていきたいと思っています。
とはいえ、自分の今後について、あまり戦略じみたことは考えられていません。キャリアには偶然の要素が強いとはいえ、もう少し戦略的に動くべきなのかなと思いつつも、悩ましいところです。ひとまず、今やりはじめているのは、岩手県内のある企業の取り組みを言語化し、noteを活用してその全体像を伝えるというプロジェクトです。都市部の企業に比べて就職活動の時期がやや遅い地域もあるために、「地元に戻りたい」という学生たちが、先んじて首都圏で就活がはじまり内定をもらったためにそちらに就職するという状況になり、Uターンできない要因になっていたりするんです。これは単に情報が届いていないがゆえのことで、非常にもったないないですよね。
岩手県の企業の発信力、伝える力を拡張していくことで、出身者が地元に戻りやすくなり、さらに県外出身者を呼び込めるのではと思っています。地元で能力を発揮する人の輩出につながったらうれしいですね。学生たちが知らない社会的価値の高い地元企業もたくさんあり、知られていないのはもったいないと思っています。岩手県に住むライターであり、キャリアコンサルタントであり、移住定住の促進活動に携わる者として、これからも複業フリーランスとして、スキルを掛け合わせた仕事をしていきたいです。

ー おわりに ー
「ローカルで活動していると、異常気象など環境問題や社会課題との距離が近く感じる」と手塚さん。岩手県沿岸部の三陸の漁場が豊かな理由は、冬に山に降った雪が溶けて川から海に流れ込むことだといわれているそうなのですが、「今年は全然雪が降らない」と気候の変化について教えてくださいました。「社会課題の解決に向かうマインドは、クリエイティブ思考により培われるのでは」。手塚さんのこの言葉からも、クリエイティブ思考を持つ人が地域に貢献できる可能性を感じました。
PROFILE
手塚さや香(てづかさやか)
埼玉県さいたま市出身。全国紙の新聞記者、釜援隊(復興支援員)を経て、2021年から複業フリーランス。釜石市を拠点に、取材ライター、キャリアコンサルタント(国家資格)のほか、(一社)いわて地域おこし協力隊ネットワークのマネジャーとしても活動。<岩手の仕事をもっと豊かに もっと多様に>をテーマに自身も複業を実践している。「岩手移住計画」代表。ライター、国家資格キャリアコンサルタント。
手塚さや香_岩手在住ライター(note):https://note.com/sayakatezuka
手塚さや香@岩手在住ライター/キャリアコンサルタント(X):https://x.com/tezukasayaka