「良いものなのに伝わらない」という状況をクリエイティブの力で解決したい。そんな想いを胸に、北海道・厚真町(あつまちょう)を拠点に活動する「ローカルデザイン・プロデューサー」田中克幸(たなかかつゆき)さん。
かつては東京都の広告代理店に勤務していましたが、仕事道具だけを車に積んで北海道・厚真町へ移住。震災やコロナ禍という変化をくぐり抜けながら、地域の可能性を開拓してきました。現在はデザイナー、プランナー、トレーナー、そして人と地域をつなぐコネクターという複数の役割を掛け合わせ、北海道全体をひとつのアトリエと捉えて活動しています。クライアントと消費者の間に立ち、相互理解を生む「価値の翻訳者」として走り続ける田中さんに、その原点といま見つめている景色を伺いました。
目次
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01
ローカルデザイン・プロデューサーの原点
- 01-01 美大生の思考への好奇心
- 01-02 デザインは「おしゃれなものをつくること」ではなかった
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02
「余白のキャンバス」を探して
- 02-01 スポンジ時代に手に入れた、時代を先読みする力
- 02-02 理想のものづくりの環境を求めて
- 02-03 余白のキャンバス、厚真町
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03
地域で生き抜く覚悟
- 03-01 移住後半年で訪れた試練
- 03-02 生まれたかけがえのない絆
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04
「ファームするようにデザインする」仕事のつくりかた
- 04-01 雑談から生まれるクリエイティブ
- 04-02 伝わらなさをデザインする
- 04-03 事業者自身をクリエイターに
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05
北海道全体を、ひとつのアトリエに
- 05-01 創発する場
- 05-02 手放したからこそ、出会えたものがある
ローカルデザイン・プロデューサーの原点
美大生の思考への好奇心
私は美術大学の出身ですが、もともとデザインに興味があったわけではないんです。国立大学を目指していて、美大は受験直前の冬に選択肢に加えたという、少し変わった経緯でした。周囲に建築やインテリアデザインに詳しい人がいたので、幼い頃から何かをつくったり絵を描いたりする環境ではあったのですが、美大に進もうと思った一番の理由は、高校時代に外部講師として来ていた教育ベンチャーの経営者や大学生との出会いでした。
彼らとの交流は、その後の進路に大きな影響を与えました。彼らが、ものの見方にはいろいろな視点があると教えてくれ、サッカーしか知らなかった自分の世界を広げてくれたのです。その延長として「自分とは違う視点で物事を捉えている美大生が何を考え、何をつくり、どんな生活をしているのか」に興味を持ち、アートやデザインという領域に惹かれていきました。

デザインは「おしゃれなものをつくること」ではなかった
美大時代は、才能のある人たちに囲まれていました。当時の恩師からは、デザインの考え方やつくり方の基礎を学ぶ中で、「デザインはおしゃれなものをつくることではなく、人のため、課題解決のためにある」という価値観を教わりました。「独りよがりのものづくりは社会の役に立たない」というマインドは、この頃からじわじわと育っていった気がします。
学生時代に起業をしていたからか、大学在学中はデザインとビジネスを繋ぐ役割を担うことが多かったです。ちょうど「デザイン経営」が注目されはじめた時代だったこともあり、美大生だった私は企業の社内研修の場に呼んでもらう機会が多かったのです。社員の方々とデザインについてのワークショップやディスカッションを行ったりと、学生時代からビジネスの現場を体感していました。次第に「デザインを求めるビジネスパーソンは、どんな考えをしているのだろう」と関心が広がり、卒業後は広告代理店への就職を決めたのです。
「余白のキャンバス」を探して
スポンジ時代に手に入れた、時代を先読みする力
広告代理店では、大型予算の案件や、芸能人を起用したプロジェクトなど、濃密な経験をさせてもらいました。1年で5年分働くような日々の中で、知識や技術をスポンジのように吸収していた時期です。
ただ、プラットフォームありきの企画や、予算の規模を競い合うようなスピード感のある構造に対して違和感を覚えるようにもなりました。「一過性のものではなく、残るものをつくりたい」という想いを持っていた自分にとっては、ここは本当に理想のものづくりの環境なのだろうかと感じはじめたのです。
それでも、この環境で得た「時代の先を読む力」は大きな収穫でした。在籍中は、ちょうどSNS広告やインフルエンサーマーケティングが広がりはじめた頃。「都内の代理店を中心に回っている仕事も、デジタルシフトが進めば直接手がけられるに違いない。課題を抱える地域に飛び込み、解決から発信までを一貫して手がけることで、地域でしか生み出せないクリエイティブができる」と早い段階で気付けたことが、新しい道を拓くきっかけとなりました。
理想のものづくりの環境を求めて
この気付きを実践に移すべく、動き出すことにしました。「移住したい」というよりも、「小さな挑戦や試行錯誤を繰り返せる、余白のある環境でものづくりをしたい」という想いからです。
候補として北陸や四国、関西地域なども見てまわりましたが、そこはすでにクリエイターやデザイナーが活動し、マチのカルチャーの土台ができあがっていました。そこにジョインする選択肢もありましたが、「ゼロイチ(0→1)をつくれる場所に行きたい」という気持ちが強く、拠点とする地域の決め手がなかなか見つかりませんでした。

余白のキャンバス、厚真町
そんな中で出会ったのが北海道の厚真町です。きっかけは、まったく異なるコミュニティに属する感度の高い方々が、口を揃えて「厚真町が何か仕掛けそうだ」と言っていたこと。面識もないはずの人たちが同じマチの名前を挙げているのが不思議で、興味が湧いてきたんです。
実際に足を運んでみると、役場の方が熱心にマチの案内してくださいました。その方の姿勢や言葉の端々から、厚真町が新しいことに挑戦しようとしている熱意が伝わってきたのです。また、北欧に近い「暮らしを大切にする」空気も印象的でした。北欧デザインには、自然と調和しながら心地よい温かさを生み出す「Hygge(ヒュッゲ)」の思想が根底にあるそうです。厚真町にはその感覚に近いものがあり、自分の暮らしと創作環境を地続きにデザインできるとも感じました。
これからみんなで新しいチャレンジを積み上げていく段階の「余白のキャンバス」のような場所。そう肌で感じられたからこそ、最後は自分の直感を信じて移住を決めました。

地域で生き抜く覚悟
移住後半年で訪れた試練
2018年4月、車に布団とカバン、仕事道具と小さな自転車を積んで、フェリーで北海道へ渡りました。荷物を最低限にした方が、新しいことをすぐにはじめられる気がしたんです。
ところが、移住からわずか半年後、北海道胆振東部地震が発生しました。避難所で過ごす中で、「デザイナーとして今ここで何ができるか」を考えた私は、匿名で困りごとを伝えられる掲示板をつくりました。情報を正しく整理して伝えることこそが、デザイナーの役目だと考えたためです。匿名だからこそ本音を発信しやすくなり、本当に必要な物資が現場に届くきっかけにもなりました。この取り組みが他の避難所にも広がっていったのは、デザイナーとして役に立てた経験のひとつです。

左上:移住時の荷物 右上:厚真町の方々 左下:震災時の取り組み 右下:田中さんが避難所に設置した掲示板
生まれたかけがえのない絆
過酷な生活ではありましたが、震災をきっかけに普段は出会えない人たちと出会い、力を合わせる中で絆が生まれていったのも事実です。人間ひとりでは何もできないということを痛感したからこそ、地域のコミュニティの大切さや関わり方を、より意識するようになりました。あの時の被災地での経験や心の動きが、時々開催している交流の場づくりの大きな原型になっています。
その後はコロナ禍も重なり、当初の事業計画はほぼ白紙状態になるなど、移住して数年は苦難が続きました。それでも東京に戻るという選択肢は浮かびませんでした。ここで逃げたら二度と厚真町に戻れない気がしていたからです。この土地に来てから変化に強くなったと思いますし、たくましく育ててもらいましたね。北海道らしく言うなら、試される大地の洗礼を受けたという感覚です。

「ファームするようにデザインする」
仕事のつくりかた
雑談から生まれるクリエイティブ
仕事をする上で大切にしているのが「ファームするようにデザインする」という考え方です。大量生産・大量消費的なものづくりではなく、種を蒔いて、時間をかけて丁寧に育てていくものづくりをしたいと考えたからです。当初は「地域やプロジェクトを育てる」という意味合いが強かったのですが、現在は「人や関係性、伝わり方を育てる」という意味の方が大きくなっています。デザインの手法やツールが成熟してきた現代だからこそ、最終的には、誰のために、誰と一緒に何をどうやるかが大切になってくるためです。
感動するのも、させるのも、そして心を動かすものをつくるのも、結局は人。完成されたきれいなデザインに寄せていくだけでは、どれも似たような仕上がりになり、市場に並んだときに埋もれてしまいます。それよりも、誰かの娘さんがふと口にした言葉がキャッチコピーになったり、おじいちゃんと孫の何気ない会話がコンセプトの起点になったりする方が、ずっと面白いものができる。目の前の人をちゃんと見つめることが、クリエイティブの核心だと感じていますし、「雑談から生まれる創造」は、当時から変わらず大事にしている感覚です。
実は、移住後最初の仕事も、雑談の中から自然に生まれました。「営業しよう」という意識はなくて、缶コーヒーを一緒に飲みながら畑作業を手伝ったり、バーベキューに参加したり。地域に溶け込んでいく中で、気づいたら仕事へと結びついていたのです。

伝わらなさをデザインする
現在は「ローカルデザイン・プロデューサー」として、デザイン、企画、教育、そしてコミュニティのコネクターなど、複数の役割を掛け合わせながら活動しています。挑戦と検証を重ねられる北海道は、クリエイターが実績を積むには最高の土地です。そんな中で、最も向き合っているのが「価値があるのに埋もれてしまっているもの」をどう世の中に伝えるかという課題です。
たとえば、原木しいたけの魅力を届ける仕事がそうでした。施設内でおがくずの培地を使って育てる菌床しいたけと、自然の木で育てる原木しいたけは手間も育ち方も違いますが、店頭に並んでしまえば消費者にはその違いが分かりません。かといって、一方を悪く見せて売りたい方をよく見せるような比較はしたくないですし、それでは本質的な魅力は伝わらないものです。だからこそ、ただ情報を発信するのではなく、そのプロダクトが持つ固有の価値にスポットライトを当てる「伝え方の工夫」が必要になります。
そのために大切にしているのが、二重のフィルターをかけることです。まずつくり手の仕事を深く理解し、自分が感動したポイントを見つける。そのうえで、届けるターゲットに応じて見せる情報を厳選していくのです。たとえば北海道の農業をPRするなら、地元の人にとって当たり前の情報は省いて訴求するし、東京の人にはその「当たり前」を見せる、といった具合に伝える要素を最適化します。クライアントと、その先にいる人たちの間に立って、相互理解が生まれる「伝わる形」を一緒に探っていく。現在の私の役割は、「クリエイター」というより「価値の翻訳者」に近いのかもしれません。

事業者自身をクリエイターに
「価値の翻訳」を持続可能なものにするため、最近取り組んでいるブランディングでは、依頼者である一次産業者さんたちにもクリエイターになってもらう、というアプローチをとっています。映像やデザインを制作して終わりではなく、売上を共につくるビジネスパートナーとして伴走していくのです。
職人の方々は自分の仕事に誇りを持たれている一方で、その魅力に気づいていないケースが少なくありません「そんなの当たり前だよ」と言うことに、「それ実はすごいんです」と伝えることが出発点です。そこからは、良き壁打ち相手として実験の繰り返しです。客観的な視点をひとつ加えるだけで、動画再生回数が100回から数万回へと劇的に変わる面白さを体感してもらいます。結果に一喜一憂しながらも、楽しみながら伴走できる関係を築き、発信側のリテラシー自体を底上げしていくこと。それこそが、長期的な産業の発展につながると考えています。
ただ、一蓮托生になってみんなで一枚岩でやる必要はないとも思っています。それぞれが自分のやっていることを突き詰めていて、それが自然とうまく噛み合った結果として、なんだか面白いマチや地域ができあがっていく。北海道を起点に日本全国へ広がっていけばいいなと考えています。

北海道全体を、ひとつのアトリエに
創発する場
土地があって人がいれば、そこはいつでもクリエイティブなアトリエへと変わります。外から訪れてくる人との積極的な交流を通じて、コミュニティに新しい発見という「新陳代謝」を起こせば、地域の課題もポジティブに解決していけるはずです。
私が厚真町で開いたクリエイティブキャンプでは、キャリアを模索したい人や撮影を学びたい人、バーベキューを楽しみたい人など、異なる動機を持つ人たちをあえて、ひとつのイベントに混ぜ合わせました。来るための理由はいくつあってもいいと思って。ですが、人を巻き込む場づくりでは、無理強いはしないようにしています。種を蒔いた後の成長スピードは人それぞれであり、水をやりすぎれば枯れてしまいます。適切なタイミングを待ち、思わぬ瞬間に想定外の反応が生まれることこそ、コミュニティ運営の面白さです。
この、人と人の関わりから何かが育つ「創発する場」は地域と人の数だけ存在します。だからこそ厚真町という枠を超え、現在は十勝エリアをはじめ、旭川市・函館市・小樽市・積丹町・道東など、道内各地との横のつながりを広げながら、北海道全体の活性化に関わっていきたいと考えています。

手放したからこそ、出会えたものがある
一歩を踏み出せない人には、荷物を少し手放してみることをおすすめしたいです。荷物が重いと、小回りが利かなくなりますから。私自身も、東京を離れたら人脈も何もかもリセットされてしまうのではという不安はありました。それでも手放してみると、新しい風や出会い、挑戦の機会は意外と巡ってくるものです。
クリエイターを目指す人たちには、「何のために、誰のために、何を叶えたくてつくるのか」を、経営者やクリエイター本人と一緒に話せる土台をつくることが大切だと伝えています。クリエイティブツールが誰でも簡単に使えるようになったからこそ、技術より前に、その問いに向き合う姿勢こそが大事になってきていると思います。

ー おわりに ー
訪れる変化を前向きに捉え、多角的な視点で自身の原動力に変えている田中さんですが、東京を離れる前は不安を抱えていたと明かしてくれました。「でも、不安は誰だって感じるもの」と受け止め、落ち込んだときは、北海道のおいしいものを食べて気分をリフレッシュするのだそうです。
新しい挑戦には不安がつきものですが、「理想の環境」は、待っているだけでは訪れません。もし今、何かに迷っているのなら、その悩みを一度横に置いて心の赴くままに動いてみるのはいかがでしょうか。





