見方を変えて、価値を見つける
<砂浜を美術館に>

〜thincなこと・砂浜美術館×高知県黒潮町〜

「私たちの町には美術館がありません。美しい砂浜が美術館です。」

印象的なこちらのコピーは、高知県黒潮町の砂浜美術館が立ち上げられた際に生まれたものです。「砂浜が美術館である」とはどういうことなのか、そこでどのような取り組みが行われているのか。砂浜美術館の立ち上げメンバーのひとりであり、前黒潮町長の松本敏郎(まつもととしろう)さんと、現在、NPO砂浜美術館で働く塩崎草太(しおざきそうた)さんにお話を伺いました。

建物のない美術館の誕生

砂浜美術館が誕生したのは、昭和から平成へと移り変わる1989年のこと。前年の1988年は東京ドームが完成し、バブル景気で日本中が浮かれていた時代だったといいます。

Q.砂浜美術館が生まれた背景を教えてください。

松本:そもそも、最初から「砂浜美術館を作ろう」と考えていたわけではありません。はじまりは、私が大方町(現 黒潮町)の職員として、町の振興計画の担当になったことでした。前任者から引き継いだ仕事のひとつに、入野松原の再生計画がありまして。当時の松原は松くい虫の被害により全滅しかけていて、それを再生させる10年計画が立てられていたんです。

まず取り組んだのは、振興計画案を冊子にまとめることでした。その冊子作りを通じて出会ったのが、グラフィックデザイナーの梅原真(うめばらまこと)さんです。

ちょうどその頃、大方町が「全国松原サミット」を開催することになり、その中のプログラムのひとつとして梅原さんたちが「Tシャツ写真展」のアイデアを提案していました。Tシャツを並べてはためかせる様が海に似合うのではないかという発想で、この話をきっかけに、マチづくりについて4時間も大激論することになりました。本来の目的であった仕事の話は5分ほどしかしていなかったと思います(笑)。

梅原さんはストレートな物言いをされる方で、こちらもつい熱くなってしまいましたね。議論を戦わせているなかで、「大方町の者(もん)は元気があるやんか」という言葉が梅原さんから飛び出たことを受け、その雰囲気に飲まれて「Tシャツアート展をぜひ大方町でやりましょう」と返事をしてしまいました。とはいえ、私は当時32歳のイチ職員です。予算もついていないのに、勢いだけで何とも無責任なことを言ったと思います。

梅原さんたちの企画案には、デザインされたTシャツを飾ること、砂浜に砂で作った彫刻を並べることという2つのアイデアがありました。ただ、Tシャツを並べて砂像を作ることがどう振興計画に寄与するのか、町長に納得してもらうのは一筋縄ではいきませんでした。はた目には洗濯物を干し砂遊びをしているようにしか見えないでしょうしね。

話が動き出したのは、梅原さんから送られてきたFAXにあった、この言葉からでした。

「私たちの町には美術館がありません。美しい砂浜が美術館です。」

話が長くなりましたが、「砂浜美術館を作ろう」と思ってはじめたのではなく、「Tシャツアート展をやりたい」という梅原さんたちのアイデアを実現させるための過程で、砂浜美術館のコンセプトが生まれたという経緯だったのです。

(Photo:CURBON)

Q.1回目のTシャツアート展はいかがでしたか。

松本:第1回目は、現在のような一般公募式ではありませんでした。ただ、その形では長く続けるのは難しいと考え、2年目から今の形に変えています。初回はマスコミなどメディアが取り上げてくれ、町民の皆さんにも喜んでいただきました。

しかし、「砂浜美術館」のコンセプトはまだ十分に浸透しておらず、県外から訪れた方がイベント期間外に「砂浜美術館はどこですか?」と町民に訪ねて返答に困ってしまうということが起きていました。

イベントが開催されていないときの砂浜は、文字通りただの砂浜なわけです。美術館といっても、それらしき建物があるわけでもない。そのため、当初は町民の方も戸惑っていたのではないかと思います。

また、こんな誤解エピソードもありました。Tシャツアート展について報じた新聞記事を見て、大手ゼネコンの営業マンの方がいらっしゃったんです。その方が言ったのは、「美術館を建設するそうですが、その建設をぜひ我が社に」。そのまま丁寧に説明をはじめてくださったのですが、砂浜美術館は砂浜が美術館ですから、もうすでにあるわけです。30分ほどお話を聞いたあと、その旨をお伝えすると、「ああ、そういうことですか」と照れ笑いを浮かべながら帰っていかれました(笑)。

Q.いつ頃から、コンセプトが浸透したと感じられるようになりましたか。

松本:論文化したのが3年目なので、それぐらいからでしょうか。その論文が毎日新聞社が主催する「毎日郷土提言賞・論文の部」の準提言賞に選ばれたこともあり、単なるイベントではなくマチづくりの理論であるという私たちの考え方が徐々に伝わりはじめたのだと思います。

Q.Tシャツアート展は、開始から30年以上続けられています。公募式への変更の他、何か変化はありましたか?

松本:プリント技術の進化もあり、依頼する業者はその時々で代えてきています。初期にお願いした大手印刷会社さんから言われたのは、「10年は続けてください。10年やれば、文化になります」という言葉でした。その約束のもと、印刷を引き受けてくださるというお話だったので、私自身も10年間は実行委員長を務めようと決意しました。当初は台風シーズンに開催していたため、天候の影響を受けることもありましたが、約束通り毎年続けてきました。

塩崎:Tシャツプリントは、通常なら同じデザインのものを何枚も印刷するものです。しかし、Tシャツアート展では1000点の応募作品を刷るので、それだけでも業者さんにとっては受けづらい理由になるんですよね。

松本:1枚を1000種類ですからね。途中からTシャツの素材を変えたことで、より業者さんにとっては難易度が増したと思っています。第11回か12回から、オーガニックコットン製のTシャツを使うことにしたのですが、これが印刷しづらいそうなんです。ただ、Tシャツアート展のコンセプトを考えると、化学繊維のものよりオーガニックコットンのほうがふさわしいと考えたんです。当時お世話になっていた業者さんは、こちらの想いを汲んでくれ、特別プロジェクトチームを立ち上げて新しい印刷技術の開発に挑戦してくださいました。

Q.枚数は当初から1000枚だったのでしょうか。

松本:一般公募をはじめた第2回目からは1000枚になりましたが、初回は200枚でした。ただ、当初は1000枚を満たすのが大変で、県内のスーパーマーケットに営業に行き、スポンサーをお願いしたり、企画者側から足したり、自治体予算を使って小学校6年生や、中学校3年生の子どもたちの絵を使って作ったりと、あらゆる手を尽くしていました。しかし、年々申し込みが増え、7回目くらいからは公募だけで1000枚に達するようになりました。

Q.塩崎さんは県外から黒潮町に移住されてきたそうですが、砂浜美術館やTシャツアート展についてご存知だったのでしょうか。

塩崎:黒潮町への移住者はサーフィンをするか農業をするか砂浜美術館やTシャツアート展が好きかでやってきた方が多いのですが、私はどれでもなく、砂浜美術館やTシャツアート展についても知らなかったんですよ。黒潮町を知ったきっかけは、父が教員時代に実習で訪れたと聞いたことでした。

2016年に地域おこし協力隊として黒潮町に移住するまでは、地元の兵庫県から出たことがなく、いわゆる田舎にも旅行でしか行ったことがありませんでした。田舎の良さや、反対に難しさって住んでみないとわからないだろうと思い、思い切って飛び込んでみたんです。こんなことを言ったら協力隊に選んでくれた方に怒られてしまうでしょうが、「ダメだったら帰ろう」くらいの気持ちでしたね。

黒潮町に越してきたら、町内のいたるところで「私たちの町には美術館がありません。美しい砂浜が美術館です。」というコピーを目にしました。その言葉に興味を惹かれましたね。変なコピーだなと思ったんです。ふつう、マチのコピーって「食べ物が美味しいです」とか、その土地の良いところを前面に押し出すものが多いですよね。そうではなく、「美術館がない」というある意味ネガティブな表現を使っているところに、なぜなんだろう、何か理由があるはずだと感じていましたね。

私がTシャツアート展の担当になったのは2021年ですが、それ以前からも補助的に関わる機会がありました。実際に運営に携わることで、「そういうことか」と楽しみ方に気付きましたね。

Tシャツアート展について取り上げられるとき、その写真はたいてい晴れの日のものが使われています。青空と青い海を背にTシャツがはためく、何ともすがすがしい雰囲気なんです。ただ、もちろん雨の日もあるわけですよね。一般的に、屋外イベントで雨天だと「運が悪い」と言われます。実際、雨の日は訪れる方が少なく、運営スタッフが暇をすることもありました。でも、「だから運が悪い」ではなく、むしろ彼らは雨の日ならではの楽しみ方を見つけていたんです。

そうした過ごし方を見て、「晴れている時だけが良いのではなく、ありのままを受け入れることこそが、自然の美術館の楽しみ方なのだ」ということに気付かされました。この場所で大切なのは、自然とどう向き合うのか。その考え方こそが、砂浜美術館の本質なのだと実感しましたね。

松本:私も今でも印象に残っている情景があります。第1回目の開催期間、4日間ほど砂浜にテントを張り、盗難防止対策も兼ねて泊まり込んだんですよ。夜にはお酒を飲んでキャンプのように楽しんでいたのですが、ある夜中にTシャツの様子を見ようとテントを出たんです。すると、その日は満月で、ちょうど潮が満ちてきたタイミングでした。

当時は波打ち際に近い場所にTシャツを並べていたため、Tシャツの下にまで波が押し寄せ、夜空には満月が輝き、その光が海面に反射し、幻想的で素晴らしい景色だったんです。この景色が今も目に焼き付いていますね。「必ずすごいものになる」と確信できた瞬間でもありました。

(提供:特定非営利活動法人NPO砂浜美術館)

Q.塩崎さんが担当になられてから印象に残っているエピソードをお聞かせください。

塩崎:はじめて担当として迎えた2021年は、新型コロナウイルスの影響もあり、毎年初夏に開催していたTシャツアート展が秋に延期となりました。初担当としてどうにかやり遂げたあと、「2022年は例年通り春に戻そう」とみんなが言い出して、すぐにまた次の準備に入らなければならなかったのが大変でしたし、印象に残っていますね。

もうひとつ印象に残っているのは、ちょうど松本さんが町長に就任されたタイミングで、審査員の人たちと理事長と一緒に開いた歓迎会でのワンシーンです。その席で、松本さんが「砂浜美術館(で取り組むこと)は人生を賭けてやらなあかん」とお話されたんですよ。たぶん、覚えてらっしゃらないんじゃないかと思うんですけど(笑)。

松本:覚えてないですね(笑)。

塩崎:人生を賭けるほどの強い想いは当時の私にはなかったので、「へー」と聞いていたんですけど(笑)。ただ、2022年に2回目のTシャツアート展を担当し終えたとき、「砂浜美術館の面白さに気付けたような充実感があり、恵まれた仕事に就いているんだな」という実感が湧いてきました。松本さんは「人生を賭けてやらなあかん」とおっしゃいましたが、言いたかったのは「砂浜美術館(で取り組むこと)は人生を賭けてまでやる価値がある」だったのかなと。そういう意味だと、確かにその通りだと思ったんです。

私にとっては、Tシャツアート展をはじめ、砂浜美術館に関わりはじめたことが、マチづくりやマチ、自分の将来のことを考えるきっかけになりました。人生のターニングポイントだったなと思います。

Q.Tシャツアート展は、「HIRAHIRAフレンドシップ」という派生プロジェクトにも広がりを見せています。スケールアップへの想いについて伺いたいです。

塩崎:私が担当する以前より、無断で類似イベントを開催している事例があったそうです。その一方で、丁寧に問い合わせをしてくださる方もいました。大半は「イベントがやりたい」なんですよね。でも、我々はイベントを開くことが目的ではなく、「砂浜が美術館である」という考え方を伝える手段としてイベントを続けているわけです。その価値観をしっかり伝えていきたいと思っています。

「HIRAHIRAフレンドシップ」は、そうした我々の想いに共感してくださっている方々にノウハウをお伝えしたうえで、その方たちの地元で開催してもらっているプロジェクトです。現在、香川県、愛媛県、徳島県、和歌山県、茨城県、静岡県でこの取り組みが行われています。

入口は「イベントをやりたい」であっても、私たちの想いや価値観を理解し、共感してくださる方がいます。ただ、これだけで生計を立てるのは難しく、継続には課題もありますね。それでも、茨城県大洗町では7年目を迎えました。Tシャツの枚数規模は黒潮町とは異なりますが、根底にある想いは変わらず、同じ方向を向いています。

Q.Tシャツアート展の今後の展望についてお聞かせください。

塩崎:「ひらひらの風景」は変わりませんし、「砂浜が美術館」という考え方を伝える手段であるということも変わりません。これからも世の中が変わっていくなかで、この風景を守り続けていきたいと思っています。

松本さんたちがはじめられた37年前は「変なことをやっているやつら」だっただろうと思うんです。でも、時代が変わるなかでその価値が自然と受け入れられるようになったのではないかと思います。イベントはどうしても前年比を上回る成果を求められがちです。実際に「2000枚など、もっと枚数を増やしてやったらいいじゃないか」と言われることがあるのですが、あまり規模にフォーカスしすぎると考え方が商業的なほうにぶれてしまうので、それは避けたいですね。

今まで通り1000枚の風景はこれからも目指していきたいですが、たとえ100枚でも10枚でも、私たちが伝えたい想いは変わりません。あくまでも考え方を伝える場として続けていくことが、結果として観光振興にもなっている。そのあり方を守っていきたいと思います。

(Photo:CURBON)

ー おわりに ー

「Tシャツアート展」というひとつのアイデアが、「砂浜が美術館である」という斬新なコンセプトにつながった本取り組み。「10年やれば文化になる」の「10年」を超え、30年以上続く取り組みになりました。後編の「発想の転換がひらめきの種に」では、他にもある黒潮町を盛り上げる取り組み事例について、たっぷりお話を伺います。

PROFILE

松本敏郎(まつもととしろう)

1956年高知県生まれ。高校卒業後、黒潮町役場に就職。1989年に砂浜美術館の立ち上げに携わり、主に「Tシャツアート展」「漂流物展」に実行委員長として以後10年間担当する。2012年には情報防災課長(消防・防災・情報システム)となり、「黒潮町南海トラフ地震・津波防災計画の基本的な考え方」をまとめる。2020年10月から4年間、黒潮町長を務め、退任。趣味はジョギング。

塩崎草太(しおざきそうた)

1984年兵庫県生まれ。2016年、地域おこし協力隊として黒潮町へ移住。スポーツツーリズムの担当を経てNPO砂浜美術館に勤務。現在は観光部としてTシャツアート展などの砂浜美術館の考え方を伝えるイベント(シーサイドギャラリー)や大方ホエールウオッチングを担当。

特定非営利活動法人NPO砂浜美術:https://sunabi.com/

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