
高知県黒潮町の砂浜美術館での取り組みはTシャツアート展だけではありません。さまざまなプロジェクトやイベントがあるなか、共通するのは「視点を変えること」「発想を変えること」。たくさんある取り組み事例から、それぞれが関わりの深いものについて、前黒潮町長の松本敏郎(まつもととしろう)さん、NPO砂浜美術館の職員、塩崎草太(しおざきそうた)さんに伺いました。
発想を変えて考え、
やってみることが変化を生む
発想を転換することで、今まで見えていなかった新しい価値に気付くことができる。砂浜美術館の設立以降にはじまったさまざまな取り組みからは、見方を変えることによる変化を感じることができます。
Q.1991年から続く漂流物展のお取り組みについてお聞かせください。
松本:漂流物展は、その名の通り、砂浜に流れ着いた漂流物を集め、作品として展示する取り組みです。もともとは遊び半分ではじめたものでしたが、福岡県の漂着物研究者の方とご縁があり、漂着物を分類して『漂着物事典』という書籍にしているんですよ。展示物は植物の実のような自然にあるものもあれば、一般的にはゴミとされるものも含まれています。
第1回の展示にはアメリカ人の11歳の男の子、ブライアンさんが自身の実験として流した手紙入りの小瓶も展示しました。このメッセージボトルに記載されていた宛先に手紙を送ると、すぐに彼から返事がきて、当時1106本のボトルを流したこと、今は16歳になっていることがわかりました。このメッセージボトルは、展示物のなかで唯一、どこから流れてきたのかがわかる貴重な展示物です。

Q.マイクロプラスチックといった問題が知られるようになったことで、海への漂着物=ゴミとネガティブなイメージがありますが、どのような視点で展示をされていらっしゃるのでしょうか。
松本:今でこそマイクロプラスチックの問題が注目されていますが、実は小さなペレットは50年ほど前から問題視されていました。日本ではじめて気付いたのは、我々が立ち上げた漂着物学会の2代目会長なんです。
漂流物展では、ぜひいろいろな見方をしてみてほしいなと思っています。ある視点から見れば環境汚染の原因と捉えられるかもしれませんが、「椰子の実」の歌のように文学的な見方もできます。流木をアートとして捉える方もいれば、木の実や種子を植物学的な観点で見る方もいる。漂流物展を訪れる方が関心を持つジャンルはさまざまです。子どもから大人まで、それぞれ関心があるところを中心に見ていただけているのがうれしいですね。
実は、「ビーチコーミング」という漂着物を拾いながら歩くことを愛好している方が、世界中にいらっしゃるんですよ。
展示をはじめて、2001年に学会が設立され、2003年に漂流紀行文学賞を創設しました。きっかけは、ダイヤモンドを含む宝石の指輪が、箱に入ったまま漂着したこと。一体なぜこれが流れてきたのだろう。その背景を想像し、物語として書いていただこうと思い、この文学賞を開催することにしました。
この文学賞は一度中断していましたが、2022年に19年ぶりに再開しました。テーマがメッセージボトルになり、ブライアンさんに再び手紙を送ったんですよ。30年以上前の住所だったこともありすぐに返事は届かなかったのですが、3カ月ほど経ち、48歳になったブライアンさんからエアメールが返ってきました。この知らせにチームメンバーは大いに興奮していましたね。その後、チームメンバーが彼の住む地に足を運び、対面も果たせたんですよ。
Q.ドラマのようなエピソードですね。塩崎さんには、ホエールウオッチングについてお伺いしたいです。
塩崎:砂浜美術館の館長は、人ではなく、クジラなんです。そのため、単なるホエールウオッチングではなく、「館長に会いに行くツアー」と称して催行しています。
漂流物に海洋ゴミ問題というネガティブな側面があるのと同じく、クジラにも捕鯨、反捕捕鯨という難しい話があります。ただ、我々のホエールウオッチングは誰かを敵にするような取り組みではないんです。
松本:そうですね。1994年に、黒潮町に6か国が集まって国際会議を行ったことがあります。そこで、漁師たちで構成される国際ホエールウオッチング会議実行委員会が発した言葉が印象的でした。「私たちにはクジラを捕るのが正義か、捕らないのが正義かはわかりません。ただわかるのは、私たちはいつも海の恵みを受けて生きているということです。それはずっとずっと昔から変わらないことです。私たちは豊かな生活を願っていつも新しい漁業を生み出してきた。ホエールウオッチングは、新しい漁業です」。捕鯨、反捕鯨の議論の是非はわからない、ただ我々漁師は海で生活してきたんだと。そのなかで、「ホエールウオッチングは新しい漁業です」とも表現されているんです。
塩崎:漁師たちがやっていることに意味があると思っています。いろいろな海洋問題があるなか、クジラに会えるマチで、館長と呼ぶことで親しみを持ちクジラに会いにいくことで、クジラや自然との付き合い方を考えるきっかけにつなげていく。
また、これは何も観光産業としての話だけではありません。私たちは今、国立科学博物館との共同研究として「クジラのうんこプロジェクト」を進めています。クジラの排泄物は、気にしないと海に流れていってしまうものですが、これを採取して分析すると、いろいろなことがわかるんです。2024年6月にはこの研究の成果として、黒潮町で観測されていたクジラが実はこれまでニタリクジラだと考えられていたものの、カツオクジラだったと判明しました。これからも探求心を持って展開していきたいですね。きっと、泳ぎを得意としない人間にはわかっていない新発見が待っていると思います。
Q.地域の方々に向けての取り組みについても伺いたいです。塩崎さんは防災学習プログラムに取り組んでいらっしゃるそうですね。
塩崎:南海トラフ巨大地震の新想定による防災施策は、松本さんが防災課長の時代にはじまったものです。私はその中で、黒潮町の防災の考え方を伝える防災ツーリズムとして、体験プログラムの実施を担っています。
防災学習プログラムの特徴は、本質を突いたテーマを持たせていることです。そのテーマは「自然の二面性」。砂浜美術館をはじめ、黒潮町の永遠のテーマは「人と自然との付き合い方」です。クジラの肉を食べたり、砂浜でTシャツアート展を開催したり、私たちは海から多くの恵を受けています。しかしその一方で、自然は時に災害を引き起こす存在でもあります。自然が豊かな場所であればあるほど、自然災害のリスクも高い。それとどう付き合っていくのかをプログラムで展開しています。
実は黒潮町への移住を決めたとき、妻からは反対されたんです。私は兵庫県神戸市出身で阪神淡路大震災を経験しているため、「なぜ地震が起きた町から」と。でも自然災害が起こらない場所なんてありませんよね。じゃあ、どうするのか。黒潮町は、南海トラフ地震で日本最大級の津波が来るおそれがあると想定されています。いざというとき、200名弱の町役場の職員だけで住民を守るのは無理でしょう。そのため、自分たちで自分たちを守るんだという意識を持ってもらうため、住民参加型の避難訓練を重ねてきました。
最初は訓練への参加者の多さ、避難訓練の頻度の高さに感銘を受けましたよ。妻は保育士として保育園で避難訓練に参加しているのですが、子どもたちにも防災意識が染みついていて、訓練後には反省会もしっかりと行う、そのレベルの高さに驚いたそうです。
ただ、これは人口1万人弱という小さなマチだからこそできたことかもしれません。日本一の津波が襲うかもしれないと突きつけられたからこそ住民にも意識が芽生えたわけですが、これが大きなマチだと、つい「大丈夫だろう」と気が緩んで、ここまでの防災訓練は実現できなかったかもしれませんから。黒潮町では、1万人に伝われば「伝わった」といえる、その規模感だからこそ実現できていることなのかなと。

松本さんと塩崎さんの出会い
実は、お二人の出会いは、塩崎さんが防災に取り組むことになったのがきっかけだったのだそう。塩崎さんがスポーツツーリズムの取り組みを行っていた中で、スポーツ大会中の地震発生を想定した避難訓練を実施することになり、先輩から「松本さんに聞きに行け」と言われ訪れたのが、最初の出会いでした。
Q.入野松原の保全・活用プロジェクトも進めていらっしゃるそうですね。こちらについてはいかがでしょうか。
塩崎:2024年に令和の入野松原再生計画が作られました。これは松本さんが町長時代に作られたもので、5年10年単位で進めていく長期的な計画です。
松原の保全活動自体は全国各地で行われていますが、私たちの特徴は、「砂浜美術館では松原そのものが作品である」と位置づけていることでしょう。一昔前は、生活と松原が密着していて、お風呂を沸かすために焚き付けを拾いに行ったり、松原の中に中学校があった時代には、子どもたちの遊び場になっていたりしていたんです。
ただ、時代が変わり、松原で遊ぶというシーンが生まれにくくなりました。それでも私たちにとって、松原は砂浜美術館の大切な作品です。だからこそ、ただ保全するだけではなく、松原に親しみを持ってもらうような取り組みも大切にしています。
たとえば、1994年にはじまった「潮風のキルト展」。これは松原を美術館に見立て、そこに公募したパッチワークキルト作品を展示する企画展です。キルト展は通常室内で開催するものですが、松原を会場に木漏れ日の中で開催する潮風のキルト展は、時間によって作品の見え方が変わるので松原とキルト作品を新しい視点で楽しむことができるイベントです。
また、2023年の年末には、子ども向けに門松づくりのワークショップも開催しました。松・梅・南天といった自然素材を使って門松を作ることで、松原や黒潮町の森林に目を向けてもらい、親しみを持ってもらいたいと考えたんです。高知県は森林率が日本一(2022年4年時点)なんです。これは県民として誇っていいところなのではないかと思っています。
2027年は、入野松原が名勝に指定されてから100年の節目を迎えます。そのタイミングで、松原サミットのような場を設けたいと思っています。日本全国の松原に関わる人々が集まり、「松原と日本の風景」のネットワークづくりに取り組んでいきたいですね。
Q.お二人の今後の展望についてお聞かせください。
塩崎:砂浜美術館というと、どうしてもTシャツアート展の印象が強く、砂浜美術館=Tシャツアート展と思われることが多いんです。ただ、そうではないんですよね。「私たちの町には美術館がありません。美しい砂浜が美術館です。」というコンセプトに魅了されたひとりとして、今後もこの考え方を軸にしたマチづくりをしていきたいと思っています。
松本さんは「何にでも使える」とおっしゃっているのですが、私もそう思っています。ただ、何かをするには発想の転換、視点の転換が必要です。漂流物展が代表例ですよね。本来ゴミとされるものを作品として捉えるには、どう価値を見出すかという視点の転換が求められます。
私の故郷は神戸ですが、私の娘にとっての故郷は黒潮町になります。Tシャツアート展が広まったのは、「砂浜が美術館である」と目に見える形で示せたからでしょう。この考え方を活かし、これからもこのマチで何が誇れるのかを目に見える形で表現していくことで、娘が成長したときに、自分の故郷を好きになってくれたらと思いますね。
個人的に興味があるのは、砂浜美術館の考え方を使って、「粗大ごみの日は町中がフリーマーケットになる」みたいな価値感を社会で共有するプロジェクトをやってみたいです。粗大ゴミの日は、今は「捨てる日」ですが、捨てられているものを見て「まだ使える」「ほしい」と思ったことはありませんか?私はあります。ただ、今は法律上、勝手に持ち帰ってはいけません。
この仕組みを変えられたら、価値がないと思われていたゴミが、誰かの価値となり捨てられずに、結果的にゴミを減らせるかもしれません。また、小さなマチの好事例を他地域に派生させることで、より大きな効果が見いだせるかもしれない。小さなマチだからこそできることがあるかもしれませんし、そこから世界に広げていける可能性だってあると思っています。
変なアイデアかと思うかもしれませんが、Tシャツアート展だって最初は賛否両論ある変なイベントだったわけですよね。それが「いいね」となったら、30年以上も続けられてしまう。松本さんたちがはじめた当初は、こんなに続くイベントになるなんて誰も予想はしていなかったでしょうし、狙ってできるものでもありません。やってみないとわからないんです。
だからこそ、今までの価値観ややり方にとらわれず、「やってみたら続けられるものになるかもね」というものに、きちんと挑戦してみることが大事だと思います。
「こうなりたい、ああなりたい」といった具体的なイメージはあまりありませんが、砂浜美術館の考え方が誰かの人生を豊かにしたり、価値観を広げて社会を良い方向へ変えたりすることにつながればいいですよね。その可能性が、砂浜美術館にはあると思います。
松本:私は町長を退任し、今は砂浜美術館についても塩崎さんたち次世代に託しています。30代で砂浜美術館の考え方に出会えたことで、地域の豊かな資源に敏感になったような気がしています。私は19歳から公務員として働いてきましたが、公務員の仕事って、正直あまりおもしろくないものが多いんです(笑)。でも、私は砂浜美術館に出会い、ミクロからマクロまで通じる考え方を身につけることで、仕事を面白いものにしてこられました。厳しい課題でもクリアできる発想方法を得られたことで、42年間助けられてきたと思います。
Tシャツアート展は、10年で文化になりました。私はこれからの10年間は、砂浜美術館の考え方を深めながら人生のしつらえを整えていきたいですね。田んぼしかないところを茶室にしようというイベントをするなど、地域との取り組みも行っています。自分の周囲で、私の持っているノウハウや地域資源を活用しながら、人生を楽しくしたい。そんな10年にしたいと思っています。

ー おわりに ー
30歳近く年の差があるお二人。世代により考え方も価値観も変わっていくものですが、お二人からは「砂浜美術館の考え方」「視点を転換すること」といった軸を魅力だととらえ、大切にされている様子が共通して伝わってきました。何かとネガティブに思える社会問題も、視点を変えることで課題解決の糸口をつかめたり、新たな価値を見出せたりするかもしれない。発想の転換の大切さを感じたお話でした。
PROFILE
松本敏郎(まつもととしろう)
1956年高知県生まれ。高校卒業後、黒潮町役場に就職。1989年に砂浜美術館の立ち上げに携わり、主に「Tシャツアート展」「漂流物展」に実行委員長として以後10年間担当する。2012年には情報防災課長(消防・防災・情報システム)となり、「黒潮町南海トラフ地震・津波防災計画の基本的な考え方」をまとめる。2020年10月から4年間、黒潮町長を務め、退任。趣味はジョギング。
塩崎草太(しおざきそうた)
1984年兵庫県生まれ。2016年、地域おこし協力隊として黒潮町へ移住。スポーツツーリズムの担当を経てNPO砂浜美術館に勤務。現在は観光部としてTシャツアート展などの砂浜美術館の考え方を伝えるイベント(シーサイドギャラリー)や大方ホエールウオッチングを担当。
特定非営利活動法人NPO砂浜美術:https://sunabi.com/